(原文:http://www.doug-long.com/stimson6.htm)
(スティムソン日記の註)

1945年6月19日
陸海国務三長官会談



 (この日、対日問題で、ゲート海軍次官、グルー国務長官代行と共に話し合った。
陸軍長官特別補佐官のマクロイと海軍長官特別補佐官のコリア将軍も同席した。
3省の対日戦争に関する見解を調整するためである。)


 両参謀総長は、6月18日の会議で、その軍事的立場を明確にした。
そして私もフォレスタルも純軍事的には賛成した。しかし、戦争終結に向けて頑固に戦闘し続けるという計画とは別な方法を模索しうるのではないか、という強い感じが私にはあった。
確かに日本本土侵攻計画にわれわれは全員賛成し、その準備計画にも賛成した。
しかし、今日の話し合いを通じて明らかになったことは、われわれは、戦闘を通じてではなく日本を説得する道を見つけてみるべきだという感触をもっているということだった。
それがこの日の主題だ。グルーは、沖縄が陥落した後直ちに日本に新たな警告を行う事を強く主唱する内容で、大統領に進言した報告をわれわれに読み上げた。
しかしこれは、明らかにチャーチル。スターリンとの会談を予定している大統領の計画とは合わなかった。(トルーマンは日本に対する警告を行う前にポツダム会談を行いたかった。)
 私の唯一の日付変更は、日本に対する最後の降伏勧告の日程で、日本上陸作戦(9月1日が予定)前に、内部合意を行えばいいのだから幸いにしてまだ時間がある。
通常空襲とS−1投下を警告の内容とする。―以下略―