(原文:http://www.doug-long.com/stimson9.htm)
(スティムソン日記の註)

1945年8月6日
原爆投下の知らせ



 ひどい雨の日だ。しかし朝、S−1作戦が成功だったというニュースを受けた。
マーシャルが電話をくれて成功を知らせてくれた。
グローヴズ将軍とハリソンからも電話があった。
私は電話で、何度も何度も作戦のいろんな段階のこと、大統領声明や私自身の声明のことを話した。大統領声明からは目標に関し「破壊」(destroy)という言葉を取って、書き直した。
合計ワシントンからは10本の電話があった。以下がそのリストである。
(この時、スティムソンは、ロング・アイランドのハイホールドにある自分の農場にいた。)

 午前7時45分―マーシャル将軍から電話。その場にグローヴズ将軍とハリソン君もいた。
 (ワシントンと東京の時差は14時間。広島に原爆が投下されたのは、8月6日月曜日の午前8時15分。これはワシントン時間の8月5日日曜日の午後6時15分になる。
つまり、スティムソンは原爆投下後約14時間後に第一報を受けたことになる。恐らくマーシャルは夜が明けるのを待って、スティムソンに連絡をとったのだろう。)


 午前9時25分―ハリソンから電話。大統領に無線で連絡をとって、原爆投下を知らせた。
             大統領声明の書き直し。
 (トルーマンは、ポツダム会談からの帰途で戦艦オーガスタに乗っており、西洋上で原爆投下の知らせを受けた。)
 午前11時05分―ハリソンから大統領声明に関する電話。グローヴズとシュールズ(少将。戦時広報局長)とも話す。
 午前11時30分―ハリソンから電話。用件は大統領への電信文と大統領声明に関して。
 午後12時05分―ハリソンから電話。広報発表資料と原爆による損害状況について。
 午後04時00分―ハリソンから電話。日本帝国に対するプロパガンダ・キャンペーンについて。
             またファレル将軍からの承認も同じ。
(ファレルはこの時、テニアン島にいて、エノラ・ゲイ乗組員から広島に対してなした詳細な、損壊報告を受けていた。この情報を元にして対外発表ができるわけである。)

 午後04時10分―マーシャル将軍から電話。太平洋戦線の作戦について。
             また原爆に関連したことについて。
 午後04時30分―カイルから電話。「タイムズーヘラルド」に掲載する声明について。
             ロベットとも話す、太平洋戦線からのコミュニケについて。
 午後05時35分―ロベットと白鳥文書について話す。カイルから、グルーが会いたいという伝言。

 雨の日だった。電話にかかりきりだったのでさほどさびしくはなかった。