(2009.8.9)
<参考資料> アメリカ経済 @
<本文の内容>

基礎データ
全体観
歴史
大恐慌のあと
概説
政府の役割
規制と管理
経済的規制
金融政策
通貨供給
社会的規制
直接行政業務
直接援助

 (以上@)

英語版Wiki「Economy of the United States」
<http://en.wikipedia.org/wiki/Economy_of_the_United_States>
が原資料である。
アメリカ経済関係では日本語Wikiに力作が多く見られる。たとえば
「アメリカ合衆国の経済史」<http://ja.wikipedia.org/wiki/アメリカ合衆国の経済史>
「狂騒の20年代」<http://ja.wikipedia.org/wiki/狂騒の20年代>
「双子の赤字」<http://ja.wikipedia.org/wiki/双子の赤字>
「世界金融危機(2007年―)」
<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%87%91%
E8%9E%8D%E5%8D%B1%E6%A9%9F_(2007%E5%B9%B4-)>
などだ。

これだけの内容がいつでも好きな時に読める時代とその担い手たち、特にWikipediaとその執筆陣には心から感謝しなければならない。また民主主義社会では幅広く情報と知識を自ら求め、世論操作に誘導されることなく、自分の頭でものを考える事のできる多くの「自立した市民」の存在が不可欠とすれば、彼らは日本の民主主義社会の建設の重要な一翼を担っているというべきであろう。大手新聞やテレビのキーステーション各番組からこの役割はすでに、去った。
ところが「アメリカ経済」という事になると、テーマがデカ過ぎるためか、これはと思うサイトがない。それで英語Wikiを訳出する事にした。といってもこのテーマでは、さすがに英語Wikiもあまり目新しい事実や記述があるわけではない。ただ私自身が、全般的に基礎知識として必要としているだけだ。といって日本語Wiki「アメリカ経済」
<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%A
A%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E3%81%
AE%E7%B5%8C%E6%B8%88
>ではいかにももの足りない。
私の第一の関心事は、「トルーマン政権による日本への核兵器の使用」、「その後の核兵器の発展成長」そして「核兵器廃絶」、一言でいえば「核兵器」である。

ジョージ・ウォーカー・ブッシュ政権時代から、アメリカの支配階級が「核兵器のない世界」を言い出した。表面に出てきたのはシュルツら4人の「核兵器のない世界」「核のない世界」と題する共同論文あたりであろうか?09年4月「オバマのプラハ演説」でこのキャンペーンは一つの頂点を迎えた感がある。彼らがこれを言い出したのには、なにか目的があるという感じがあった。そしてそれは1990年代以降のアメリカの経済となにか関係があるという感じもあった。それを私なりに明らかにして行きたいという思いもあった。私の第一の関心事を掘り下げるにはアメリカ経済をやらなければならない、という思いはずーっともっていた。
ところが、やってみるとてんで歯が立たない。学者や高名ジャーナリストの論文や記事がまるで理解できないのである。つまりは素養がないのである。(元来経済記者であった私が経済問題の素養がないというのは皮肉だが。)そのうちに気がついた。素養も素養だが、そもそも私が当面する対象(アメリカ経済)に対するごく初歩的な知識がない、これでは素養も育まれないし、現在的な問題や課題を理解していく手がかりもできない。急がば回れだな・・・。というわけでこれを自分自身の<参考資料>とする事にした。
(*青字)、青字見出しは、私の註かコメントである。黒字見出しは原文のものである。
( )*なし緑色も原文のものであるが、色分けしたほうが読みやすい箇所は処理をしている。



アメリカ経済(Economy of the United States)


基礎データ

【通貨】 合衆国ドル(USD)
【会計年度】 10月1日から9月30日
【貿易】 NAFTA(*North American Free Trade Agreement-北米自由貿易協定)、WTO(*World Trade Organization-世界貿易機関)、G−20(Group of Twenty グループ20)その他
【GDP】 14兆2640億ドル(2008年)(*1355兆円 1USD=95円)
【GDP成長率】 1.3%(2008年)、―5.7%(2009年第1四半期)
【一人あたりGDP】 4万6800ドル(2008年)(世界10位)(*446万6000円)
【分野別GDP】 農業(0.9%)、工業(20.6%)、サービス分野(78.5%)
(*別途図1参照のこと・・クリックすると大きい画像をご覧いただけます)
【インフレ率】 ―1.3%(2008年5月―2009年5月)
【貧困人口比率】 12.5%(2008年)
(* 貧困ラインは大きく2通りの考え方がある。一つは絶対貧困ラインである。世界銀行の定義では1日1人1ドルで生活する場合を貧困ラインとする。もう一つは相対貧困ラインである。大ざっぱに言ってその国の平均収入の50%以下の収入が貧困ラインである。当然国によって相対貧困ラインは変化する。アメリカは65歳1人暮らしの家庭で、年間収入が1万1201ドル=106万4095円、子供2人の標準4人家族で家計収入が2万1834ドル=207万4230円がそれぞれ貧困ラインである。この統計で12.5%といっているのは、こうしたグループの総人口比率である。
<http://en.wikipedia.org/wiki/Poverty_
line#National_poverty_lines>
【労働力人口】 1億5500万人(失業者含む)(2008年)
【職業別労働人口比】 経営・専門職(35.5%)、技術・販売・管理補助職(24.8%)サービス業従事者(16.5%)、製造業・鉱業・運輸業・手技職従事者(24%)、農業・林業・漁業従事者(0.6%) (失業者は含まない。2007年)
(*別図2参照の事・・クリックすると大きい画像をご覧いただけます)
【失業者】 9.5%(2009年6月)
(* 失業者の定義については、ILOの決議がある。これを解説した文書が総務省統計局からでている。
「失業者の国際比較」
(http://www.stat.go.jp/data/roudou/report/2006/
dt/pdf/ref.pdf)

ILOの定義では「失業者」は、
調査期間中、
1「仕事を持たず」、すなわち,有給就業者でも自営就業者でもなく、
2「現に就業が可能で」、すなわち,有給就業又は自営就業が可能で、
3「仕事を探していた」、すなわち,最近の特定期間に,有給就業又は自営就業のために特別な手だてをした一定年齢以上のすべての者から成る。』
 としている。今ここでの問題は、3である。日本は、調査期間1週間に求職活動をしたもの、あるいは過去の求職活動の結果待ちのものを失業者としている。アメリカは「1週間」が「4週間」と変わっている。ILOの定義では過去に求職活動をしていたものを全部含めている。アメリカは1995年まではILOの定義に沿って失業者統計を発表していた。その後は「過去4週間求職活動をした事があるかまたは過去の求職活動の結果待ちをしているもの。」と失業者の定義を変えている。だから、求職活動をしていたが、職がないのであきらめてしまったものは失業者と定義されないことになる。もしこれを含めれば、アメリカも日本も失業率は上がるだろう。なおILOの定義では、軍隊従事者は就業者であるが、アメリカの統計では軍隊従事者は労働力人口の分母そのものから除外されている。これを分母に含めれば、失業率は逆に下がるだろう。)
【主要産業】 石油、鉄鉱、自動車、航空宇宙、通信、化学、文化、電子、食品加工、消費者製品、木材、鉱業、防衛(*銀行金融業が上がっていないのは何故だろうか?)
【輸出】 1兆2830億ドルf.o.b.(2008年)(*121兆8850億円)
(* f.o.b.はfree on boardの略。本船引き渡し価格とか輸出時出荷価格とか訳される。要は積み出し時の価格で運賃や保険料は含まれていない。)
【輸出品】 産業用供給品(29.8%)、生産機械(29.5%)、非自動車用消費者製品(12.4%)、自動車及び部品(9.3%)、食料・飼料・飲料(8.3%)、航空機及び部品(6.6%)、その他(4.1%)(2008年)
(*別図3参照の事・・クリックすると大きい画像をご覧いただけます)
【主要輸出相手国】 カナダ(21.4%)、メキシコ(11.7%)、中国(5.6%)、日本(5.4%)、ドイツ(4.3%)、イギリス(4.1%)
(*別図4参照の事・・クリックすると大きい画像をご覧いただけます)

【輸入】 2兆1150億ドルc.i.f.(2008年)(*200兆9250億円)
(* c.i.f はCost, Insurance and Freightの略。運賃・保険料込みの意味。)
【輸入品】 非自動車用消費者製品(23.0%)、燃料(22.1%)、生産機械及び装置(19.9%)、非燃料産業用供給品(14.8%)、自動車及び部品(11.1%)、食料・飼料・飲料(4.2%)、航空機及び部品(1.7%)、その他(3.2%)(2008年)
(*別図5参照の事・・クリックすると大きい画像をご覧いただけます)
【主要輸入相手国】 中国(16.9%)、カナダ(15.7%)、メキシコ(10.6%)、日本(7.4%)、ドイツ(7.4%)
(*別図6参照の事・・クリックすると大きい画像をご覧いただけます)
【総対外債務】 13兆7700億ドル(2008年6月30日現在)(*1308兆1500億円)
【公的債務】 11兆4000億ドル(2009年6月現在)GDPの81%(*1083兆円)
(* この項目の英語名は“Public Debt”である。“Federal Debt”ではない。だから「公的債務」とした。なお財務省の“The Debt to the Penny and Who Holds It”というサイト
<http://www.treasurydirect.gov/NP/BPDLog
in?application=np>
を見ると2009年7月29日現在この数字は11兆6000億ドルになっている。)
  
【歳入】 2兆5230億ドル(2008年)(*239兆6850億円)
【歳出】 3兆1500億ドル(2008年)(*299兆2500億円)
(* 歳入・歳出とも連邦政府の数字である。)
【経済援助】 ODA190億ドル GDPの0.2%(2004年)
(* 主なデータ元:CIA世界実情報告=CIA World Fact Book)


全体観

 アメリカ経済は世界最大の国民経済(national economy)である。国内総生産は約14兆3000億ドルと推定される。アメリカ経済は高い1人あたり国内生産を維持しており、2008年1人あたり4万6800ドルで、世界第10位あたりと推測される。アメリカ経済は、全体的に見て安定したGDP成長率、低い失業率、高い研究レベルを保っている。また国内的には低い預け入れ銀行金利にために高い資本投資資金が集まっており、外国からの投資も増えている。2008年アメリカの経済活動の72%までが消費者からのものだった。

(* もちろんこの記述は09年半ばのものとしては当てはまらなくなっている。2009年第1四半期の経済成長率はマイナス5.7%と年率換算してみると信じたくないような数字だし、すでに上昇傾向にあった失業率は、08年暮れの金融危機をきっかけにして、もの凄い勢いで上がった。)
(* 日本語Wikiは1人あたりの国民生産について2つのサイトをもっている。一つは購買力平価であり<http://ja.wikipedia.org/wiki/国の国内総生産順リスト(一人当り購買力平価)>であり、もう一つは単純為替レートによるリストである。<http://ja.wikipedia.org/wiki/国の国内総生産順リスト(一人当り為替レート)>である。単純為替レートリストではアメリカは15位から17位というところである。購買力平価のリストでは、6位から8位といったところである。ちなみに日本は為替レートリストで21位から25位、購買力平価では21位から27位と行ったところである。)


 主要なアメリカの経済的問題は、対外債務、社会保障口座から抜けて隠退しはじめているベビーブーマーたちに対する給付金の交付問題、企業の負債、住宅ローンの負債、低い銀行預金金利、住宅価格の下落、最近の大きな公的負債などである。対外負債は世界中のほとんどの国に対して発生している。2008年のアメリカの公的負債は13兆6000億ドル以上で、GNPの73%、2009年6月現在の連邦政府の負債はおよそ11兆4000億ドルで、国民1人あたり3万7348ドルである。

(* これは現在時点の現状認識であろうか?連邦負債を誰が所有しているのかというと、アメリカ政府が44.2%、州やその他の自治対政府が5.5%、外国からの投資が27.8%、その他民間所有が17.5%、連邦準備制度が5.0%で公的機関が50%以上所有している。<*別図7参照の事><なおこのデータは米議会調査局=CRSの「The Federal Government Debt: Its Size and Economic Significance March 04 2009」という調査報告《http://opencrs.com/document/RL31590/2009-03-04》によっている。>この国債発行がいつまで続けられるのか、という問題が一番大きいのではないか?)

歴史(History)

 アメリカの経済の歴史は、16世紀、17世紀、18世紀におけるヨーロッパ人の定着にそのルーツがある。アメリカ植民地は、限界的に成功した植民地諸経済から小規模で独立した農業経済へと進歩した。これがアメリカ合衆国となった。230年で、合衆国は広大で、最大の、統合された一つの産業経済に成長した。現在世界経済の1/4以上を形成するまでになっている。主要な原因は、大きな単一の市場、政治・法律の支援、広大な生産性の高い農地、広大な天然資源(特に木材、石炭、石油)、起業家精神、物的資本や人的資本に対する投資関与などが上げられる。これに加えて、これら資源を開発しそこから摘出することを推進するような一連のユニークな組織が考え出されたことが、これら資源の活用を可能にした。その結果、合衆国の1人あたりGDPは、それ以前に経済的牽引車となったイギリスなど他の諸国のそれと重なり合った。その経済は高い賃金を維持し、世界中から数百万人の移民を引きつけてきた。

(* ここで指摘されていない事は、アメリカの経済は、その帝国主義的膨張とともにもたらされた、という事だ。独立戦争、南北戦争以来、アメリカは一貫して戦争をし続けた。そしてその結果、現在のアメリカの領土ができあがったのだし、アメリカ国外の商品、労働、資源、資本市場を獲得してきた、という点が指摘されていない。この点で、アメリカは世界史上まれに見る「戦争国家」だという事ができるし、この特徴は今に至るも変わっていない。)


大恐慌のあと(After the Great Depression)

 不況の危険がもっとも深刻に現れた1930年代の大恐慌に続く何年もの間、政府は連邦支出を大幅に増やしたり、消費者の購買意欲をそそるための減税を行ったり、通貨供給量の急速な拡大―それは同時に支出を促す事になるのだが−などによって経済を強化するする道を追求してきた。1970年代、ベトナム戦争の費用、主要産品の価格高騰―特にエネルギーーによってもたらされた経済的悲惨は、インフレに対する強い恐れを作りだした。その結果、政府の指導者は政府財政支出を抑えて不況と戦うよりもインフレを制御するほうに集中する事になった。

(* 私が自分で経済的素養がない、と感じるのは上記のような記述が全く理解できない事である。前半部分は、アメリカが行き詰まった資本主義経済を立て直すに当たってケインズ経済学的政策を採用し、それまでの古典経済学的政策と訣別したという点で理解できる。1970年代のインフレは別図<参考資料>「全米都市部 全産品消費者物価指数(CPI)の推移 1913年〜2009年」で見るように確かに、大きかった。特に1974年から81年まで、大都市部における消費者物価の上昇率は、毎年平均10%程度だったといっていい。結果1975年から85年の10年間の間に消費者物価指数は2倍になっている。ところが、上記の説明を良く読むと、物価上昇がインフレの原因だった、といっているようにしか取れない。もしそうだとすれば、これは同義反復である。アメリカの経済学者やジャーナリストの説明にはこの手の説明を回りくどくわかりにくく展開するものが多く、私にはついていけない。この時代の説明では、景気拡大のために通貨供給量を増やした、特にベトナム戦争による戦費増大も別な言い方で云えば、通貨供給量を増やしたという言い方ができる、そのためにインフレが毎年のように発生した。つまりこのインフレは政策的なものだった。別な言い方をすれば意図的にドルの価値を下落させた、と説明した方が筋が通るように思うのだが・・・。)


 経済変動を安定化させるもっとも効果的な方法論に関する考え方は1960年代と199年代とでは大きく変わった。60年代には政府は財政政策(*fiscal policy<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%
A1%E6%94%BF%E6%94%BF%E7%AD%96>
 ただし読んでもよくわからない。現実にはあり得ないいくつかの仮定の上に乗っかった説明である。)
に忠実だった。財政政策というのは経済に影響を与えるため歳入を操作することである。(*こちらの方がわかりやすい説明である。)支出と税金は大統領及び議会によって統御されるので、経済を管理監督するに当たって、これら選挙で選出された高官たちは主要な役割を果たしていた。高いインフレ、高い失業率、莫大な政府予算赤字などによって、経済活動の全体的なペースを規制していく手段としてのこれら財政政策に対する自信は弱められて行った。

(* この記述はおかしい。財政政策は政府・議会が経済を統御する手段だった、といいながら、高いインフレ、失業率、財政赤字などによって財政政策は有効な手段ではなくなった、といっている。ということは財政政策も絶対的な手段ではなく、その場の経済的問題を場当たり的に解決する一つの方法でしかなかった、という事になる。)


 (*財政政策に)替わって金融政策(*monetary policy <http://ja.wikipedia.org/wiki/金融政策>が成長の鍵を握ると考えられた。

 1970年代のスタグフレーション以来、アメリカ経済は幾分かの低成長ということで特徴づけられてきた。

(* スタグフレーションについては次。
<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%8
2%B0%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%
B7%E3%83%A7%E3%83%B3>
 ただし読んでもよくわからない。

『通常は物価上昇《インフレーション》と景気後退とはトレードオフの関係にあると理解されており、フィリップス曲線にみられる実証研究によりその有意性には一定の評価がある。しかしスタグフレーションでは、景気が悪化するとともにインフレーションが進行する。インフレーションは景気回復局面で発生すれば雇用や賃金の増加もともなう。デフレーションは景気後退局面で発生すれば雇用・賃金は減少するが物価は安くなる。しかしスタグフレーションは雇用や賃金が減少する中で物価上昇が発生し、貨幣や預貯金の価値が低下するため生活が苦しくなる。』と説明している。

普通、科学ではその理論と合致しない現実が出てくると、その理論のどこかに誤りや欠陥があると考える。まことにヘーゲルの云うように『理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である。』この場合で云えば、スタグフレーションが現実として登場してきた時点で、『通常は物価上昇《インフレーション》と景気後退とはトレードオフの関係にあると理解されており』が当てはまらない場合が出てきた、と理解するだろう。つまりこのセオリーは絶対的真実ではない、と考えるべきだ。ちょうどニュートン力学やユークリッド幾何学が、相対性原理の中の一部分の真実に過ぎなくて、普遍的な真理ではなかったように。

ところがこの人たちの経済学は、『物価上昇と好景気はセットである。』というセオリーを何の修正も訂正も加えずにスタグフレーションを説明しようとする。当然諸説が出てくる。しかしどれを読んでも、結果を使って原因を説明するだけで、論者によって恣意的である。)


 産出の減少という意味で、ここ数十年の最悪の景気後退は1973年から75年のオイルショックの時に発生した。その時GDPは3.1%下落した。1981年―1982年の景気後退の時にはGDPは2.9%下落した。

(* 09年第1四半期は―5.7%である。)


 1970年代以降、アメリカは他の諸国に対して一貫して貿易赤字であった。

(* たった一行挿入されているだけであるが、極めて重要なコメントである。つまりアメリカは1970年以降、一貫して「世界の販売市場」の役割を担い続けてきたのである。アメリカが旺盛に世界の製品を買い続けてきたから世界経済は保てたのであり、1990年代から始まった中国の改革開放経済も軌道に乗せる事ができたのである。その間アメリカの産業は見るも無惨な衰退を遂げた。GDPに占める鉱工業産出の割合は約2割、農業が1%。残りはサービス産業である。つまりこの間にアメリカの主要産業は金融・銀行業に変貌を遂げたわけである。このことが1990年代末期からのアメリカ経済の特徴を規定していくことになり、08年から始まった金融危機を準備していったのではないか?アメリカが70年代以降、「世界の市場」の役割を担ったのは、基本的に誰の利益に合致していたのだろう?)


 1991年から92年の下降局面では産出は1.3%下落した。また2001年のリセッションでは小さく0.3%の下落であった。2001年の下降局面は8ヶ月続いた。

 近年の主要な経済的関心は以下の事項に集まっている。
:高い家計の負債(14兆ドル)(*1330兆円)。これには2兆5000億ドル(*237兆5000億円)の消費者負債が含まれている。
:高い国家負債(9兆ドル)(*855兆円)
:高い企業負債(9兆ドル)(*855兆円)
:高い住宅負債(2005年末で10兆ドル以上)(*950兆円以上)
:高い未償還の医療負債(30兆ドル)(*2850兆円)
:高い未支払いの社会保障給付金(12兆ドル)(*1140兆円)
:高い対外負債(国外債権者が所有する負債の合計)
:高い貿易赤字:対外資産負債残高(net international investment position -NIIP)の深刻な劣化(GDPのマイナス24%)
:2006年にはアメリカの銀行預金利率は1933年以来最低のレベルになった。これらの問題は全国的にエコノミストや政治家の関心を高めている。

(*  別にエコノミストや政治家でなくても・・・。つまり1970年代以降、アメリカの主要産業は金融銀行業となるにつれて、国家、連邦政府、家計、公的機関をあげて借金漬けになってきたということだろう。この借金漬け状況には終わりがあるのかないのか?また一体だれがこれだけ厖大な借金を賄っているのか?別な言い方をすれば、誰の利益に合致しているのか?)

 アメリカ経済は比較的高い1人あたりGNPを維持してきた。ただしこれは借金で底上げされているのではないかという警告も出されている。また安定した経済成長、低い失業率―これが世界中から移民を引きつけてきたが−も維持してきた。

(* ただし2008年からはこの事情、特に「安定した経済成長」「低い失業率」はあてはまらなくなるかも知れない。)

 アメリカは、住宅市場の修正局面、サブプライム住宅ローン危機、ドル価値の下落といった問題のまま2008年に入った。2008年12月1日、NBERは、雇用、生産指標、GNPの第3四半期の指標から見て、アメリカは2007年12月から景気後退に入った、と宣言した。

(* NBER=the National Bureau of Economic Research 全米経済研究所。1920年設立の民間経済研究機関で非営利、超党派。アメリカには31人ノーベル経済学賞を受けた経済学者がいるそうだが、そのうち16人がこのNBERに参加している。研究者は、全米の大学で経済学やビジネスを教えている現役の大学教授約1000人。アメリカ経済については、もっとも権威ある経済研究所と見なされている。
<http://www.nber.org/>または
<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E7%B1%B3%E7%
B5%8C%E6%B8%88%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80>

または<http://en.wikipedia.org/wiki/National_Bureau_of_Economic_
Research>


概説(Overview)

 アメリカ経済の中核をなす特徴は経済的自由である。経済的自由があるために、民間セクターが自分自身で、アメリカ経済が生産するものの規模と方向を決定するに際して、経済的決定をなすことができる。このことは、財産権と契約の実行性を全体として云えば保護する裁判システムと共に、比較的低いレベルの法規制と政府の関与によって強化されている。

 アメリカは鉱物資源に恵まれ、農地は肥沃である。また幸いも温暖な気候に恵まれている。太平洋岸でも大西洋岸でも、またメキシコ湾岸でも海外線が延びている。河川は大陸内部を貫流しており、五大湖―カナダとアメリカの国境に沿っている5つの大きな内陸湖―はさらなる海上輸送手段を提供している。これら長い水上路は何年にもわたってこの国の経済成長を促進する助けになってきたし、一つの単一市場として、アメリカの50の個々の州をまとめ上げる助けにもなってきた。

 失業者の数やさらに重要なことは労働の生産性はアメリカ経済の健康度を決定する要素になっている。その歴史を通じて、アメリカは堅調な労働力の成長を経験してきた。労働力の成長はその一定した経済拡大の原因でもあったし効果でもあった。

(*  別図8「アメリカの労働力推移 48年から09年ー直近人口調査より」をみても、48年から2009年の約60年間、アメリカの労働力人口(雇用者のみ)は極めて堅実な成長線をたどっており、綺麗なゆっくりとした右肩あがりの比例線を描いている。年の平均成長率を見てみると1.5%である。もう一つの別図9「アメリカの失業者推移 48年から09年ー直近人口調査より」は年によってアップダウンが大きくギザギザ線で推移している。アメリカの失業者がアメリカの雇用の調節弁に使われてきた実態を良く表している。それにしても6月末だけで比較すると、48年から2009年の約60年間、失業者が1000万人を越えた年は、1982年(1054万人)、1983年(1125万人)、1992年(1004万人)の3回だけである。それだけに2009年6月末の1473万人がいかに深刻な数字かがわかる。)

 第一次世界大戦のすぐ後まで、ほとんどの労働者はヨーロッパからの移民、あるいはその子孫、それにほとんどはアフリカから奴隷として連れてこられたアフリカ系アメリカ人の子孫だった。20世紀のはじめ頃、多くのラテン・アメリカ人移民が始まった。それに引き続いて国別移民枠に基づいた多くのアジア人移民がそれに続いた。高い賃金の約束で世界中からアメリカへ多くの高い熟練労働者もやってきた。

 労働の流動性もアメリカの環境変化に対応する能力として重要である。東海岸で製造業労働力として移民が溢れた時、多くの労働者は内陸部に移動した。しばしばそれは耕作を待つ農地へと向かった。同様に20世紀の前半、産業界の経済的機会を求めて、南部の農業地帯から北部諸都市へ黒人系アメリカ人が引きつけられた。

(* ここの記述は、日本語Wiki「アメリカ合衆国の経済史」
<http://ja.wikipedia.org/wiki/アメリカ合衆国の経済史>、元の資料は英語Wikiであるが、適切にも次のように叙述している。

 1950年代のアメリカは、冷戦の中で経済成長が持続するなか、社会構造の変化を生みだすこととなった。農業機械の導入による合理化の進展により、農業人口が1940年の17%から1960年にはわずか6%にまで減少、黒人が農業から締め出され都市へ移動し都市化が進展した。結果として、1960年代の公民権運動へとつながっていく。」

   恐らくはアフリカ系アメリカ人の都市部流入の説明としてはこちらの方が優れているだろう。また1930年代の大恐慌時、農業機械の導入と大干ばつで土地を失ったヨーロッパ系アメリカ人が生活の糧をもとめて西部に向かう様子は、ジョン・スタインベックの「怒りの葡萄」に描かれている。ついでだが、インターネットで、この「怒りの葡萄」の優れた解説記事があったので紹介しておく。

29年の大恐慌と、33年から2年間も吹き荒れた砂嵐――テキサスからカナダ国境にまで及んだといわれる――による大凶作は、中部アメリカの古典的な開拓農民をそれこそ根こそぎ滅ぼしてしまった。彼らはみな金融奴隷になり、土地を奪われ、ルンペン・プロレタリアートの大群と化して、カリフォルニアなどへ賃仕事を求めて流浪していったのである。

 だが、彼らの没落は自然的な災告、天災によったのではない。天災であれば、彼らは野鼠を食い、木の根をかじってでも土地にしがみついて生きていっただろう。

誰でも食べて税金を払っていくことさえできれば、土地をもっていられるんだ。人間なら、できるんだ。/そうさ、それはできますだよ。作物が不作になって銀行から金を借りなければならなくなるまではな。/しかし!いいかね、銀行や会社は、そういうことができないんだ。なぜって、ああいう生きものは空気を呼吸するわけではないし豚の脇肉を食うわけでもないからだ。あの連中は利益を呼吸しているんだ。金にくっついた利益を食っているんだ」

 だが追われた先に天国があったわけではない。労動力は突然生まれたこのルンペン・プロレタリアートのために過剰となり、賃金は資本家の意のままに切り下げられた。

 最初、「彼らには理屈もなければ組織もなく、数の多いことと困っていること以外には何もなかった」、だが「突然機械が彼らを駆逐し、彼らは国道に群がった。この大移動が彼らを変質させた。国道道端のキャンプ、飢餓への恐怖と飢餓そのもの、それらが彼らを変質させた。夕食を食わせられないことが彼らを変質させ、絶え間ない移動が彼らを変質させた。彼らは移住民である。それからまた、敵意が彼らを変質させ、彼らを結びつけ、彼らを団結させた――小さな都市が一団となり武装して、まるで侵略者を駆逐するように人々を駆りたてる敵意、居直り百姓は鶴嘴で勤め人や商店主は短銃で、自分たちと同じ国民に対して土地を守ろうとする敵意」

 「会社や銀行も、自分たちの破滅のために働いていることを自ら知らずにいる。田園には果実が実り、道路には飢えたる人々が働いている。穀食は満ち、しかも貧しきものの子らは佝僂病となり、紅斑病の小膿疱が彼らの脇優にふえてゆく。大会社は、飽えと怒りとのあいだには、かぼそい一線しかないことを知らぬ。そして、賃金となって出て行くべき金は、催涙ガスに、小銃に、代理人やスパイに、ブラックリストに、練兵に費やされる。国道では人々が蟻のように動いて職を求め、金を求めていた。そして憤怒が醗酵しはじめていた」

 スタインベックは、こうしたルポルタージュ風の描写を一章おきに挿入しながら、この没落農民の典型的な運命をオクラホマのジョード一家の姿において描き出している。それは、あの“原始的蓄積”の過程、農民たちが巨大な規模で狩り出され、労働力を売ることによってのみ生きていかなければならない労働者階級に転化させられていく過程に酷似している。

 ジョード一家に代表される労働者(今はこういってよかろう)たちは、資本に対して団結し、ストライキや時には武装してまで闘う術を学んでいった。しかし彼らは自分たちの闘いの輪を広げることはできず、「赤」のレッテルを貼られるままに、また職を奪うという恫喝に屈し、敗北していった。「人々の魂のなかに怒りの葡萄が実りはじめ、それがしだいに大きくなって」いったにもかかわらず。散発的な武装闘争は警官隊や自警団によって簡単に鎮圧されてしまった。

 スタインベックは、こうして30年代の農業における大不況によって滅ぼされた人たちに代わって、大資本の勢力を激しく告発している。だが、彼が結論したかったことは何だろうか。終章で、死産した「シャロンのバラ」が死にかけているジョン伯父に乳をふくませる有名な場面は大変感動的ではあるが、ここで彼は人間愛等々の安易な解決の道にすべりこんではいないだろうか。スタインベックの続作である「エデンの東」などのイメージを重ねれば、嘆息せざるをえないのである。(Y)』
<http://www.mcg-j.org/mcgtext/bungaku/US/2ikarino.htm>

  よく見るとこのサイトは、マルクス主義同志会<http://www.mcg-j.org/>の記事だった。しかしだからといってこの優れた解説の価値が減じるわけではない。)

 アメリカでは企業は、所有者の連合体、株主として知られているが、として出現した。株主は複雑なルールと慣習によって支配される企業体を形成する。大量生産の過程を通じて、企業は、たとえばジェネラル・エレクトリックなどは、アメリカを形成するに当たって中心的な役割を果たしてきた。株式市場を通じて、銀行や投資家たちは、利益の上がる企業に投資したりあるいは資本を引き上げたりしながらその経済を成長させてきた。今日、グローバリゼーションの時代にあっては、企業や投資家たちは世界中に影響を及ぼしている。

(*  何気なく決まり文句のようにして記述されている一言だが、極めて重要だ。つまり彼ら、アメリカの企業や投資家たち−それは恐らく、今となってみれば独占金融資本といっていいのだろうが−はその利益で世界中と関係している。国務省、外交問題評議会。)

 アメリカ政府もまた経済に対する投資という意味では主要な役割を果たしてきた。たとえば低価格な電力供給(たとえばフーバーダムからの)や戦争の時の軍事契約などがそのような分野である。

(*  ここは政府の役割を随分割り引いて記述している。連邦政府は今や最大で最も影響力のある単一の投資家であり、支出者である。たとえばかつての上院フルブライト委員会は、アメリカの雇用の約10%は直接間接に軍事産業で維持されていると分析・報告した。<シドニー・レンズ著 小原敬士訳「軍産複合体制」岩波新書>)

 確かに消費者や生産者は経済を作り上げるにあたって、もっとも重要な意思決定を行っている。しかし連邦政府も、資本家的システム(Capitalist system)を採用しているので、最低限4つの分野でもっとも大きな効果を与えるひとつの要素である。アメリカ経済において強力な政府の規制は、1920年代から30年代にかけて登場した「革新運動」(the Progressive Movement)の時代にスタートした。この時までは政府は、保護関税をかけて産業の不満をおさめるとか、インフラを整備するとか、金本位制を含む銀行政策を立案するとか、生産的な企業に対する投資を促し、銀行貯蓄を奨励するとかといった政策を通じて経済成長を促進していた。

 2009年6月26日、GEの最高経営責任者ジェフ・イメルト(Jeff Immelt)は、労働力人口の約20%でしかない製造業の基盤を増大することを要求し、次のようにコメントした。「アメリカはいくつかの分野でアウトソーシングし過ぎている。(*輸入して過ぎている。)需要を牽引するには、もう消費者セクターや金融セクターに、これ以上依存している事はできない。」

(*  この文章は前段と全くつながらない。当初別な文章が挿入されていたはずだがカットされてしまっている。どんな文章だったのか興味深いが、それ以上に興味深いのはイメルトのコメントである。現在のGEを総合電機企業と考えると大間違いで、先端航空宇宙産業や軍事産業などの先端分野、それから金融業に深く関わるコングロマリットである。イメルト自身現在ニューヨーク連銀の理事の1人であり、これは金融業界からの指摘と考えなければならない。アメリカは70年代以降、国内市場を「世界最大のマーケット」とする替わり、連邦政府、地方政府、家計、企業などあらゆるセクターを借金漬けにして需要を喚起し、財とサービスを購入しながら経済成長を遂げてきた。ブッシュ政権のイラク戦争も、需要喚起が目的だったと思えるほどである。08年秋から始まった金融危機は、このアメリカ経済のあり方が根本的に行き詰まっていることを示している。こうした認識を背景にしてイメルトのコメントを読むと、「アメリカには新たな製造業が必要だ。」と云っていることが理解できよう。金融資本の投資先がないのだ。しかしアメリカの製造業とは、もう一度、たとえば、自動車産業を復興しようということではない。自動車産業はアメリカのような先端技術産業国家が担当する産業ではもはやない。恐らくは環境産業、先端医療産業、先端軍事産業、航空宇宙産業、コンピュータネットワーク産業、先端通信情報産業といったどちらかといえば未知の分野にその興味は向いているのではないか?そしてここからが私の関心の中心だが、そうした産業にはエネルギー産業が含まれ、その中核部分をなすのは原子力産業ではないか、ばかりでなく大きな期待をかけられているのではないか、ということだ。こうした目でもう一度オバマの「プラハ演説」を分析してみるのもおもしろい。)



政府の役割(Government Role)

規制と管理(Regulation and control)

 ある種の努力は間接にしろ直接にしろ物価の管理に向けられている。伝統的には政府の努力はたとえば供給電力のように極めて大きな利益を保証するようなレベルでの独占的値上げを防止する方向へ向けられてきた。何度も他の産業へも経済的管理を拡張してきた。大恐慌に続く数年の間に、それは農業産品の価格を安定化させる複雑な仕組みへと手直しされていった。農業産品は、需要と供給の急速な変化によって大幅に価格が変動する傾向にある。他の多くの産業、トラック輸送、後には航空輸送、などは有害な価格の下落と彼らが考える限度まで彼ら自身を規制するところまで行くほど成功を収めた。このプロセスは「捕虜規制」(*regulatory capture。レギュラトリーキャプチャー)と呼ばれている。

(* 私もこのレギュラトリーキャプチャーの意味がよくわかっていない。ただ、この記述はレギュラトリーキャプチャーを随分肯定的に捉えているように思う。本来は規制するにある規制権限を、規制される側、この場合でいうとトラック輸送業界や航空輸送業界の側の自己規制に任せて、有害な価格の下落を招かないようにした、というわけだが、素人の私が考えてもどこか胡散臭い。少なくとも価格の下方への弾力性は小さいだろう。インターネットで調べる限り日本語でこのレギュラトリーキャプチャーを説明したサイトはないが、平成14年「中央環境審議会 総合政策・地球環境合同部会 地球温暖化対策税制専門委員会第2回懇談会」<http://www.env.go.jp/council/16pol-ear/y161-kon2a.html>で、天野明弘という委員が次のような発言をしている。

よく外国の文献なんかを見ておりますと、これは正確ではないのですけれども、例えば民間の非常に強力な団体があって、それが規制主体のやろうとしていることを邪魔をするような、そういうことで力を発揮する。英語では、レギュラトリーキャプチャーと言うのですけれども、つまり公的な形で進められている規制のプロセスを、民間の大きな力を持っている団体が私有化してしまうというのですか、捕虜にするというわけですが、私有化してしまうというレギュラトリーキャプチャーという問題がよくあるわけですね。特に温暖化政策については、いろいろな国でそういった心配がされています。』

   つまり天野委員の理解では、レギュラトリーキャプチャーは規制する側と業界の癒着現象として否定的に捉えている事になる。適訳がなかったので、キャプチャー=捕虜の意味を重視して、「捕虜規制」あるいは「規制の捕虜」としておいた。)
 もう一つの経済的規制の形は、反トラスト法である。これは市場の力を強化するためであり、従って直接の規制が必要である。政府、そして時には民間団体が、市場の競争を不当に制限するような合併や行為を禁止するために反トラスト法を使ってきた。
 

 もう一つの経済的規制の形は、反トラスト法である。これは市場の力を強化するためであり、従って直接の規制が必要である。政府、そして時には民間団体が、市場の競争を不当に制限するような合併や行為を禁止するために反トラスト法を使ってきた。

(* この記述も今となってはどうか?反独占の動きも相当弱められている。)

 銀行に対する規制もアメリカは他のG10諸国と較べると、相当分断化している。他のG10諸国では単一の銀行監督官庁である。アメリカにおいては、銀行業は連邦レベルと州レベルで規制をしている。アメリカは世界の中でももっとも高度に規制された環境の中で銀行業が行われている。しかし、その規制の方向は安全性や健全性に関連した規制と云うよりも、むしろ、プライバシー、情報公開、詐欺防止、反資金洗浄、反テロリズム、反高金利貸し付け、低所得者層向け貸し付けの促進などの方向に向いている。

(* G10諸国とは、アメリカ、イギリス、オランダ、カナダ、イタリア、スイス、スエーデン、ドイツ、日本、ベルギー、フランスの11カ国を指す。スイスが遅れて参加し現在11カ国だが、名称はG10、グループ10のまま。
<http://ja.wikipedia.org/wiki/G10>


金融政策(monetary policy)

 連邦政府は、金融政策(金利の変更などのメカニズムを通して通貨供給を管理する)と財政政策(税と支出)の両方の政策を使って、低いインフレ、高い経済成長そして低い失業率を維持しようとしている。比較的独立した中央銀行、連邦準備制度として知られているが、安定した通貨供給と金融政策を提供するため1913年に作られた。アメリカ・ドルはもっとも安定した通貨の一つと見なされており、多くの国々がアメリカ・ドルの準備を背景にして自国通貨を持っている。ここ2−3年アメリカ・ドルはその価値を減価しており、その準備通貨としての地位はかつてほど高くない。ドルは1785年から1975年まで金本位制または銀本位性を採ってきたが、1975年に不換通貨となった。(*これは1971年の間違いではないのか?71年いわゆる「ニクソン・ショック」でドルは金兌換を廃止したのではなかったか?)

(* 短い記述だが、随分問題の多い文章である。連邦準備制度-Federal Reserve Board-はアメリカの中央銀行だが、オーナーは連邦政府でも議会でもない。連邦準備制度は100%民間大銀行のグループが株主なのである。それでいて、アメリカ政府の一機関として位置づけられている。しかも、ここが世界の基軸通貨たるドルの発券をしている。「比較的独立した中央銀行」といっているが、何から独立しているかというと、連邦政府や議会から独立している、ということだ。オーナーである民間銀行―これは言い換えれば独占金融資本グループということだが−から一体どれほど独立しているのかというとこれは全くのブラックボックスだ。アメリカの金融政策を決めて実施するのも連邦準備制度である。

 次の問題は、ドルである。上記の記述では、ドルが安定性の高い通貨であることは一種の経済的自然現象のように描いているが、そうではないだろう。G7財務省・中央銀行総裁会議は「ドルの世界の基軸通貨体制」をいかに維持するかの会議といっても過言ではない。もしこうした人為的支えがなければ、ドルはすでに基軸通貨としての実力はない。これはあとでも出てくる話題に違いない。

 最後に。各国通貨はここにも簡単に触れられているように、各国国民経済の実力とともに保有している「ドル」がその信用の裏付けになっている。その実力や保有ドルの枠を越えて通貨を発行すれば、その国の通貨に対する信用は落ち、ただちにインフレが起きるだろう。旧日本銀行法では、各国国民経済の実力、などという曖昧な規定ではなく、はっきり銀行券発行高に見合う優良資産を日本銀行が保有することを義務付けた『発行保証制度」』、銀行券の発行高の上限をコントロールすることを目的とした『最高発行額制限制度』が設けられていたほどだ。つまり勝手にお札を刷ることはできない、ということだ。それではドルは何を根拠に発券されているのか?世界の基軸通貨、ということは単に貿易決済で使われる通貨ということではない。「王の中の王」「通貨の中の通貨」ということだ。各国通貨の信用に対する裏付けは基軸通貨たるドルにある。基軸通貨たるドルの裏付けはもはや「金」ではない。ニクソン政権の時に、金兌換をやめてしまったのだから。

 昔ニューヨークにいた時、「ドル紙幣をよく見てご覧。“In god we trust”と書いてあるから。」といわれて、よく見たら確かに全てのドル紙幣にこの言葉、すなわち「我らが信頼せる神の下で」と書いてある。ドルへの信頼は神への信頼が裏付けになっているという意味だが、「ところがそうじゃないんだな。- It isn't that. -」とその人はいう。「Ingot we trust. なんだよね。」つまりわれらが信頼せる金塊(ingot)の下で、が実態なんだ、とその人は云う。“In god”と“ingot”の洒落だが、ドルへの信用は金と兌換できる、というところにあった。当時はすでに名目的であり、だれも金に交換しにいくものはいなかったが、制度上は裏付けがあった。71年以降、ドルの裏付けはもはや制度的にも金ではなくなった。

 それでは、ドルの信用は何を裏付けとしているのか?ドルの発行権限を持っているのはアメリカの中央銀行たる連邦準備制度(The Fed。以下フェド。)である。そしてフェドの設置を決めたのは1913年のアメリカ議会である。ここが私など素人にはわからないところなのだが、ならば、議会は直接自分の管轄下において議会の一重要機関とすれば良かったのに、連邦準備制度の一機関とした。議会は立法機関であり行政機関ではない、というのならそれも理屈であろう。連邦政府の一機関とするのはそれなりに筋の通る話だ。ならば、連邦政府が自ら基金を創設して、連邦政府100%出資の中央銀行たる連邦準備制度をつくれば良かった。ところが、フェドの株主は100%当時ニューヨークの大手銀行資本だった。これはいまでも変わらない。完全な民間企業(フェド)が政府の一機関として位置づけられている。しかもその設置を決めたのが、アメリカ議会なのだ。日本銀行も店頭上場しているが、株主構成を見ると55%は日本政府である。フェドは誠におかしな存在なのである。日本語Wikiは参考になるかも知れない。
<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E9%82%A6%
E6%BA%96%E5%82%99%E5%88%B6%E5%BA%A6>


 フェドをおかしな存在と思うのは私ばかりではないようで、テキサス州出身の民主党下院議員だったライト・パットマンもフェドを“a pretty queer duck"(とてもへんてこりんなアヒル)と呼んだそうだ。

 ともかく、ドルの信用の裏付けはなんだろうか?それはもう明白だろう。不換通貨たるドルへの信用とは、ドルの唯一の発行機関たる連邦準備制度の設置を決めたアメリカ議会への信用である。ドルの信用の裏付けはアメリカ議会である。連邦準備制度のオーナーである国際的独占金融資本ではない。アメリカ議会への信用とはとりもなおさず、この記事の主要テーマである「アメリカ経済」の事である。われわれはアメリカ経済をいつまで信用できるのか?という問題でもあるし、アメリカの支配階級はいかにしてアメリカ経済への信用をつなぎ止めるか、という問題でもある。)
 


通貨供給(Money supply)

 (*通貨供給に関して)もっとも通常の方法は、M0(最も狭い)、M1、M2、そしてM3である。アメリカでは連邦準備制度によって次のように定義されている。

(* ここの説明は、英語Wiki「Money Supply」
<http://en.wikipedia.org/wiki/Money_supply>の方がわかりやすいし正確なので、そこから引用する。)
 
■M0(エムゼロ) 流通中の紙幣及び貨幣(通貨)、それに銀行準備残高、一般銀行が中央銀行にもっている口座残高の総計。(*一般銀行は必ず中央銀行に最低残高が残る。というのは一般銀行が集める預金の10%は必ず準備金として中央銀行に預ける必要がある。)M0は通常マネタリーベースと呼ばれている。
■M1(エムワン)  考え方としては、すぐに流通することができる基金である。M1は次の4種類から成り立つ。
(1) 全ての通貨。ただし、財務省及び連邦準備制度が保有する通貨、預金受け入れ機関の準備通貨を除く。
(2) ノンバンク系機関の発行したトラベラーズチェック。
(3) 要求払い預金
(4) その他のすぐ現金化できる預金。

■M2(エムツー)  M1に貯蓄預金、10万ドル以下の定期預金、個人のマネーマーケット預金を加えた総量。M2は“お金”と“その近接した代用品”(close substitutes)全体を表している。M2はM1より幅広い“お金”に関する分類である。エコノミストたちは、流通中のお金の総額を量ろうとする時、M2を使う。そして経済金融的状況の変化を説明しようとする。M2はインフレを予測する時の鍵となる経済指標である。
■M3(エムスリー)  M2に高額定期預金、機関性マネーマーケットファンド、短期買い戻し約束証書、それにその他の大きな流動性資産、を加えたもの。M3はアメリカ中央銀行からもう発表されていない。あるいは明らかにされていない。

(*  アメリカの中央銀行=連邦準備制度がM3を発表しなくなったのは、06年の3月度からである。その時の理由は、「M3はM2に較べて経済活動に関する追加情報をなんら付加していない。M3は金融政策立案プロセスでもう何年間も重要な役割を持たなくなっている。従ってM3のデータを作成するコストは、M3データを作成する利益をはるかに上回っている。」と説明した。
<http://en.wikipedia.org/wiki/Money_supply>

 要するにM3は大した指標ではないから、もうコストをかけてデータを整備する意味はない、という事だ。だれが聞いても首をひねるような苦しいいいわけだ。1959年からとぎれずに発表してきた指標の発表を突然打ち切る理由としては説得力がなさ過ぎる。特にM3に含まれるマネーマーケットファンドの総額は鰻登りで、経済界に重要な影響を与えようとしていた時である。当然各方面から非難が出た。下院議員のロン・ポール<Ron Paul><http://en.wikipedia.org/wiki/Ron_Paul>または<http://ja.wikipedia.org/wiki/ロン・ポール>などは、M3の公表を要求して次のように云った。

 M3は連邦準備制度がいかに素早く新しい金と信用を創り出すかを知るもっとも優れた説明指標である。常識的に云って、政府中央銀行は無から(out of thin air)金を創り出し、流通中のドルの価値を減価させている。」

 要するにこの「ニセ金作り」の実態を覆い隠すために、M3の発表をやめたのではないか、という指摘である。

 別表に年次ごとの通貨供給量を纏めておいた。<図10 アメリカの通貨供給量 1959年―2009年>このリストで物理的通貨+M1+M2+M3の合計を出す事に意味があるのかどうかはわからない。連邦準備制度の云う事を信ずれば意味はない事になるし、ロン・ポール議員の云う事を信ずれば大いに意味がある事になる。とりあえず全体を産出して各要素の占める比率を出してみた。

 そうするとM3の全体に占める比率は、59年12月度から最後の発表の12月度の05年の平均は46.9%だった。M3が全体比率の50%を越えるのが98年からである。その後、年によって伸び率にはばらつきがあるものの、10兆ドルの大台を超えるのが最後の発表の2005年12月度である。もっとも月度で見ていくと、最初に10兆ドルの大台を超えるのは2005年10月度10兆320億ドルである。その後05年11月度10兆780億ドル、12月度の10兆1540億ドル、翌06年1月度10兆2430億ドル、そして最後の発表月の06年2月度10兆2990億ドルと続く。

 この後どうなるのか非常に気になるところだが、アメリカには面白い人たちがいるもので、この後のM3を推測している。それによると2007年末には12兆ドルレベル、08年末には13兆ドルレベル、09年半ばには15兆ドルレベルに達しているだろうという。
<http://www.shadowstats.com/alternate_data/money-supply>
 

 ここでロン・ポール議員のコメント、「常識的に云って、政府中央銀行は無から(out of thin air)金を創り出し、流通中のドルの価値を減価させている。」に立ち戻ってみよう。これが一体どういう事かわからない。

 なぜ、連邦準備制度がM3を創り出すと、無から金をつくる事になるのか?いやそもそも「M3を創り出す」とはどういうからくりなのか?

 この問題を考える手がかりとなる記事が、09年7月15日付「The Nation」の電子版に掲載された。ライターはこの道35年の政治経済記者、ウィリアム・グレイダー(William Greider <http://en.wikipedia.org/wiki/William_Greider>または<http://williamgreider.com/>)である。「Dismantling the Temple」(寺院の解体)<http://www.thenation.com/doc/20090803/greider>と題する記事でグレイダーはつぎのように書いている。

 過去一年間、フェドは街中を金の洪水にしてきた。何兆ドルもの金を銀行や金融市場、商業関係者に注ぎ込んできた。再び信用機構と経済成長を回復する事を企図してである。その結果、この世俗世界からかけ離れた組織体の、この畏怖に満ちた権威は、一般のアメリカ人にとっても目にみえるものとなってきた。人々も、政治家も自分の見ていることにショックを受け、困惑し、そして怒った。さらに連邦準備制度の理事たち(governors)にも満足に答えられないような難しい質問を発しはじめたのである。

 中央銀行(*フェド)は一体全体自分たちの扱う金をどこから持って来たのか?基本的にフェドは何もないところから(out of thin air)刷ったのである。これが中央銀行のしていることだ。彼らがそうできると誰が言ったのか?誰でもない。議会でもなければ大統領でもない。政府諸機関のうち、連邦準備制度だけが、議会の承認や予算立法のために予算書を議会に提出していない。フェドは自身の金を出し、自身でその優先順位をつけている。』

フェド(*The Fed 連邦準備制度の事)は、アメリカ政府が民間銀行業界とその力を分け合おうとする、極めてユニークな「混合体」(hybrid)として設計された。銀行家たちはフェドの政策に密接に協働している。銀行たちは、(*フェド)の「株主」でもある。そして「株主」は直示的に(ostensibly)は12の地域連邦準備銀行を所有している。理事会に座った銀行家たちは、ワシントンのフェド理事たちに決定すべき公定歩合の利率を提案している。銀行家たちは、また、特別諮問委員会をもっており、その委員会は私的に(*フェドの)理事たちと会って、金融政策や経済運営を批判している。』

フェドは見えすぎる事に堪えられないし、その特殊な地位をうまく説明する事もできなければ正当化する事もできない。連邦準備制度はわれわれ民主主義のブラックホールみたいなものだ。最も重要な諸公共政策の中の声が人民や代議員に遮り続けるという重大な矛盾である。だから中央銀行の銀行家たちには、いつも秘密に運営されているのである。特別な政策決定を糾弾されたり、公共の議論から遮断しておくためである。

 最近の危機は中央銀行からカバーを吹き飛ばしてしまった。議会の多数の議員たちは警戒を強めより広汎な透明性を要求している。250名以上の下院議員(*アメリカ下院の定数は435名)が、フェドの独立した会計監査を追求している。下院議長ナンシー・ロペシは、フェドが議会の領分を食い荒らしている、すなわち公共諸政策を議論抜きで決定し公共の金を扱う事だが、ように見えると観察した。

 「フェドがAIGに出し抜けに800億ドル投資した時、われわれの多くは、ビックリ仰天しないまでも、不意打ちを食らったような気分でした。」とペロシは云った。「全く突然に、ある朝起きてみたら、AIGは800億ドル受け取っていました。だから、当たり前の事ですが、私たちは云いました。「一体全体このお金はどこから来たの?ああそう。私たちは持っていたの。これぱっかりじゃないわ。もっと持っているのよ。」』

ペロシの云う事には偽りはない。しかし彼女はこの金をどこからフェドがもって来たかはよく知っていた。彼女は中央銀行の銀行家たちの弱みを突いてその鼻先をこすからく、ぐいとつまんで見せたのである。

 フェドの議長ベン・バーナンキはいつもの超然とした態度でこう応えた。彼はこう主張したのである。監査は「金融政策が議会にのっとられる事になる。」と。バーナンキは自分がいかに傲慢であるがあまりよくわかっていないように見える。議会がフェドを創設した。しかし、議会はフェドの私的な仕事にあまり深く立ち入ってはいけないように見える。フェドの神秘性は多くの政治家に怖じ気をふるわせる。フェドの力は、それが一体何であるかをわかっていない人々に、決定的に依存しているのだ。』

 やや引用が長すぎたかもしれない。連邦準備制度はどこからこの大金を持ってきたのか?明白である。刷ったのだ。なんの裏付けもなしに、輪転機でドル札を刷ったのだ。もちろんドル札を刷るとは比喩的な表現で、実際には刷る手間も要らない。コンピュータに、AIGの残高口座に「800億ドル」と打ち込めば、それでいい。しかしポール議員の云うように、これは無から金を創りだしたことにならないか?もしそうだとすれば、いつまで続けられるのか?あるいは永遠に続けることができるのか?)


社会的規制(Social regulation)

 1970年代以降、政府は社会的ゴール、たとえば大衆の健康と安全を改善するとか、健康な環境を維持するとかといったことを達成するために、民間企業を管理監督するようになった。たとえば、職業安全健康管理局(the Occupational Safety and Health Administration)は、職場の安全基準を提示し施行しているし、合衆国環境保護局(the U.S. Environmental Protection Agency)は、大気、水、国土資源の基準を提示・施行している。合衆国食品薬品管理局は(the U.S. Food and Drug Administration)は、どのような薬品が市場に出されるべきか、また食品に関する情報公開基準を定めている。

 アメリカ人の規制に対する態度は、20世紀最後半の30年間の間に最小限の範囲で変化していった。1970年代の始めごろ、航空業界やトラック輸送業界のような産業界では、消費者側の費用で企業側の効率を保持しつつ、経済的規制を行っていたが、立法者の間ではこのことに次第に満足を感じるようになっていた。同時に技術的変革でいくつかの業界では新しい競争も起きていた。たとえば通信業界がそうである。これはかつては独占業界と見なされていたものだ。この2つの展開は継続的な法的規制をやりやすくする事につながった。

 1970年代、80年代、90年代と、2つの最も影響力のある政党の指導者たちは、経済的規制に好意的でありつつも、一方で社会的ゴールを達成するという目的の経済的規制にはより合意に至らなくなっていった。社会的規制は、大恐慌と第二次世界大戦の後に続く数年、そして再び1960年代、1970年代にその社会的重要性が高まったと考えられている。1980年代は、政府は労働問題、消費者問題、環境問題のルールは緩和方向に向かった。それはそのような規制は、企業活動の自由を阻害し、ビジネスコストの増大、従ってインフレにつながるものという考え方が基本にあった。そのような変化に対する反応は一様ではなかった。多くのアメリカ人はある特定の出来事や傾向については、政府は新たな規制を一定分野でかけるべきだ、という声を大にした。環境保護問題などはそうである。

 立法チャンネルの反応はなかったものの、市民の中には社会問題をもっと素早く社会に問いかけるべく問題を法廷に持ち込むものもいた。たとえば、1990年代、各個人は、そして事実上政府も、喫煙の健康リスクの理由をもってタバコ会社を告訴した。1998年、タバコ主和解協定(Tobacco Master Settlement Agreement -MSA)が成立し、喫煙関連の疾病医療費用を負担する長期間の協定が各州との間に成立した。

(*  “Tobacco Master Settlement Agreement”は、インターネット上に適訳が見つからなかったので、「タバコ主和解協定」としておいた。これは告訴を受けたタバコ会社4社、フィリップ・モリス<Philip Morris USA>、RJレイノルズ< R. J. Reynolds Tobacco Company>、ブラウン・アンド・ウイリアムソン<Brown & Williamson Tobacco Corp.>、ロリラード<Lorillard Tobacco Company>と全米46州の司法長官との間に成立した協定である。喫煙関係の病気に関わる医療コストを長期的にタバコ会社が負担する替わりに、個々人の告訴は受け付けないという内容で、当時の情勢では、タバコ会社にとっても悪い話ではなかった。
<http://en.wikipedia.org/wiki/Tobacco_Master_Settlement_Agreement>


直接行政業務(Direct services)

 それぞれのレベルの政府は多くの直接行政業務を実施している。たとえば連邦政府は、国家防衛、新しい製品開発をしばしば主導するような研究業務の後方支援、宇宙開発の全体指揮、職業技能を開発し就業できるようにする(高等教育を含む)ことで労働者を支援するような多くのプログラムを実施運営する、ことなどに責任を負っている。政府支出はそれぞれの地区・地域の経済に大きな効果がある。それは時として経済活動全体の進展に大きな効果すらある。

 一方で州政府は、ほとんどの高速道路の建設や維持に責任を負っている。州、郡、市のそれぞれの政府は公立学校の資金と運用に主要な役割を演じている。また各レベル地方政府は警察と防火について第一義的には責任を負っている。全体的に見て1998年、連邦政府、州政府、各地域政府の支出は、1998年アメリカのGNP全体のほとんど28%を占めている。


直接援助(Direct assistance)

 政府はまた企業や個人に対して多くの種類の援助も行っている。低金利の融資、小企業への技術援助、大学通う学生への融資などである。政府系企業が貸し手から住宅債権を買い取って証券化し投資家が売買できるようにしたりすることは賃貸住宅を促進することになる。

(* こうすらっと云われると、戸惑うばかりだが、これがサブプライム住宅問題の発端になっていく。)
 
 政府は積極的に輸出を促進している。そして外国が輸入を規制したり貿易障壁を維持しようとするのを防止に努めている。

 社会保障制度(Social Security)は、雇用者及び非雇用者から集める税金で賄われている。またアメリカの引退者収入の最大の部分を占めている。メディケイド・プログラム(The Medicaid program)は、低所得者家庭への医療を賄っている。多くの州で、政府は精神障害者や重度身体障害者のための施設を維持している。連邦政府は貧困家庭が食料を十シュする助けとなるようにフード・スタンプ(food stamps)を提供している。また連邦政府と州政府は共同で子供をもつ低所得の親たちに、資金援助(welfare grants)も実施している。

 社会保障制度などを含めこれらの多くのプログラムは、1933年から1945年まで大統領だったフランクリン・D・ルースベルトのニューディール計画にその根源を遡る事ができる。

 その他の多くの、メディケアやメディケイドなどを含む個人や家庭に対する援助プログラムは1960年代、リンドン・ジョンソン大統領(1963年〜1969年)の「貧困との戦い」(War on Poverty)で始まった。1990年代これらの計画のうちのいくつかは資金的困難に直面し、様々な改革提案がなされてきたとはいえ、アメリカの2つの主要な政党の強い支持を得て継続してきている。しかしながら批判者たちは、失業しているが健康な人たちへの福祉を提供するのはむしろ問題を解決するより彼らの依存性を高める結果となっていると主張した。福祉改革法案(個人的責任及び労働機会法―the Personal Responsibility and Work Opportunity Act)が、1996年、ビル・クリントン大統領(1993年から2001年)のもとで成立し、共和党議会は大衆に働く事、仕事を探す事、職業訓練をはじめる事、教育を受ける事など受益の条件とすることを要求し、個人の給付期間に一定の限度を設けた。(州レベルではさらに強い限度もあった。)

(*  ここいらへんは日本の小泉内閣のお手本だったのだろう。ちなみに1996年6月度の失業者は740万人であり、92年の1000万人から漸減していく過程にあった。そして2000年の560万人を底にして、また上昇に転じ、2009年6月には1500万人近くに達している。経済成長に応じて雇用者の数は常に一定の比率で増加している−年平均1.5%。つまり失業者は経済変動の調節弁として使われてきた事を考えれば、96年の議会共和党の主張は余り根拠のないものだということがわかる。

 メディケア<the Medicare Program>は、社会福祉政策の一環として1965年、リンドン・ジョンソン大統領の時にスタートした。基本的には65歳以上の市民の医療費を負担しようというもの。65歳以上でなくても障害者であるとか一定の基準を満たしていれば受けられる。ただし、財源は医療税である。基本的には給料の2.9%を、雇用者及び被雇用者が1.45%づつ負担する税金が財源となっている。受益資格は、読みたくないほど複雑である。基本となる65歳以上の市民の場合、アメリカ市民かまたは永住権を5年以上連続して取得しているもの、あるいはその配偶者であって、医療税を最低10年以上支払っているもの、ということになる。65年にこのメディケア制度が発足した時、最初の受益登録者はトルーマン元大統領だったそうだ。
<http://en.wikipedia.org/wiki/Medicare_(United_States)>

 一方メディケイド<the Medicaid Program>は同じ時期にスタートしたプログラムだが、こちらは困窮した人あるいは貧困家庭及び子供が対象となっている。連邦政府と各州の共同事業となっており、最終的には各州がこの事業をまとめている。したがって州によってこのプログラムの名称が異なっている。たとえばカリフォルニア州では"Medi-Cal"、マサチューセッツ州では"MassHealth"といった具合である。いろいろ複雑な仕組みになっているが、費用は貧乏な州で50%が連邦政府負担、富裕な州では州の負担が違うそうだ。しかし何故かアメリカの貧困層の約60%がこのメディアケイドを受けられていない、という推計もあるという。
<http://en.wikipedia.org/wiki/Medicaid>


(以下アメリカ経済 Aへ続く)