(2009.4.10)
アメリカ合衆国大統領 バラク・フセイン・オバマの
プラハにおける演説(オバマ プラハ演説)

(全文訳・コメント入り)
(*Remarks of Barack Hussein Obama, President of the United States of America)

2009年4月5日、チェコ共和国、プラハ、フラッチャニ広場にて
 (Hradcany Square、Prague, Czech Republic、April 5, 2009)

この演説は、英語原文テキストは各サイトで見ることができる。
たとえばホワイトハウス
 <http://www.whitehouse.gov/the_press_office/Remarks-By-President-
Barack-Obama-In-Prague-As-Delivered/>

駐チェコ・アメリカ大使館などである。
<http://prague.usembassy.gov/obama.html>
英語テキストは「バラク・オバマ大統領演説」としたものが圧倒的に多い。地名がプラハのため、「プラハ演説」とか演説をした場所をとって「フラッチャニ演説」とかの表記をしたサイトもある。従って私も単に場所をとって「プラハにおける演説」とした。
なお、アメリカ大統領Webサイト、駐チェコ・アメリカ大使館などの演説テキストは細かい部分で少しずつ違うようである。また更新で更に違ったりする。
私は駐チェコ大使館2009年4月5日12:50更新のテキストを使った。
この演説に「核のない世界」演説と、日本語のサイトや多くの日本語の新聞が表記しているのはなぜだろうか?演説の内容も「核兵器のない世界」に至る過程を具体的に示したものとも思われない。
2009年4月10日現在、インターネット日本語サイトでこの演説の全文訳が読めない。だから訳出することにした。
文中(*青字)は、私が自分の理解のために行った註か、或いは私が自分のためにしたコメントである。読み飛ばしてもらって結構である。
原文には中見出しはない。これは私が後で言及箇所を見つけ易くするための一種の印である。無視してもらって構わない。
訳出するために、私は英文テキストを何度も読んだが、読むたびに、下品なたとえで恐縮だが、『口のうまい女たらし』という印象を強めていくのに自分で驚いた。ただし、以下の4行は別である。この4行だけは、まるで異質な空間に迷い込んだアリスのような異彩を放っている。

Just as we stood for freedom in the 20th century, we must stand together for the right of people everywhere to live free from fear in the 21st. And as a nuclear power - as the only nuclear power to have used a nuclear weapon- the United States has a moral responsibility to act. We cannot succeed in this endeavor alone, but we can lead it.

恐らくは複数のスピーチライターの文章をつきあわせ、最後はオバマ自身が選んだ文章なのだろうが、スピーチライターたちの分裂は、そのまま今のオバマの分裂なのだろうと、結論する他はなさそうだ。
追加※ 私の探し方が悪くて、オバマのプラハ演説の日本語全訳が、インターネット上にあった。
駐日アメリカ大使館のWebサイトである。
<http://tokyo.usembassy.gov/j/p/tpj-20090405-77.html>
翻訳も正確で(あたりまえであるが)、こなれた日本語になっている。あるいはこなれすぎているといってもいいかもしれない。優れた翻訳なのでご案内しておく。(09年4月27日)
<追加註> 2009年9月13日
 私は、全くうかつで杜撰な話でお恥ずかしい次第ではあるが、アメリカがNPTの追加議定書を09年1月に正式に批准していたことを知らなかった。オバマのプラハ演説でも触れてなかったし、ゴットモーラーの声明でも触れてなかった。スーザン・バーク(アメリカ大統領特別代表<核不拡散担当>のジュネーブ安全保障政策研究所における講演のテキストを読んではじめて知った。

 この「批准」の説明については、核不拡散科学技術センターの『核不拡散ニュース No.0116』<http://www.jaea.go.jp/04/np/nnp_news/0116.html>が圧倒的に優れている。それによると、

2008年12月30日、米国が追加議定書の批准書に署名し、翌年1月6日、同議定書は発効した。米国の追加議定書は、「国家安全保障除外」(National Security Exclusion)と「管理されたアクセス」(managed access)の適用についての米国の権利が明文化されており、他の核兵器国の追加議定書には見られない目立った特徴といえる。

他方、「補完的なアクセス」の中に「環境試料の採取」条項を非核兵器国並みに含めてはいるが、その実効性は疑問と言わざるを得ない。

米国の追加議定書の批准は、追加議定書未批准国(イラン、北朝鮮、インド、アラブ首長国連邦等)における追加議定書の適用を促す政治的な狙いの他、IAEAによる未申告活動の検知能力向上への貢献が目的といえる。

しかし、適用に際しては事実上大きな制約が課せられており、米国の追加議定書の適用がねらい通りの効果をあげられるかは不明である。』

と【概要】は説明している。なお解説記事は政策調整室の濱田という人のようだ。

 これで、予告なしの査察権限を認める追加議定書を、NPTが確認する5つの核兵器保有国すべてが批准し、効力を持つ事になり、大きな前進といえる。ただ、濱田の解説記事に詳しく述べられているとおり、アメリカの「批准」は特異である。まずアメリカの国家安全保障に関わる案件については、アメリカは査察を拒否できる。また環境資料の採取についても、実質的には認めなくていい内容になっている。またアメリカが「テロ支援国家」と認定する国の国籍を持つ査察官が、査察に来た場合、アメリカは拒否する事ができる等々、余りにも付帯条件が多すぎる。政策調整室の濱田は、これは追加議定書をまだ未批准の国に対して、批准を促すことが狙いの一つと解説しているが、濱田も云うとおり、この内容で説得力があるのかどうかは大きな疑問である。言い換えればこれは『形ばかりの批准』で実質を伴っていないという事でもある。

以下訳出である。



マサリク初代大統領

 この素晴らしい歓迎をどうもありがとうございます。プラハのみなさんありがとうございます。そしてチェコ共和国のみなさんもありがとうございます。今日、ヨーロッパの真ん中にあるこの偉大なる街の中心に、みなさんと共にここに立っていることを私は誇りに思います。そして、私の前を歩んできた人たちになりかわって、ミッシェル・オバマ(*バラク・オバマの夫人のこと)をこの地につれ来たった一人の人間であることを誇りに思います。

 私のふるさとであるシカゴの街で、私はチェコの人たちが善隣の精神に優れまた、よき人間性をもった人たちであるかについて、何年もの間、驚嘆もし、また学んでも来ました。私のすぐ後ろにはチェコの人たちの英雄、トマス・マサリクの銅像があります。1918年、アメリカがチェコの独立の支持を固く約束した後、マサリクはシカゴで10万人以上と推測される群衆に語りかけました。私はマサリクの記録に比肩できているとは思えません。しかしマサリクのシカゴからプラハへの足跡をたどれたことを名誉に思います。 

(* 1918年=大正7年はロシア革命の翌年、第一次世界大戦終結の年である。この年のはじめ、アメリカの大統領ウッドロー・ウイルソンは14ヶ条の原則を米国議会で発表し、高らかに民族自決の原則をうたいあげ、全世界の民独独立運動が大いに勢いづいたが、後のベルサイユ講和会議で「ウイルソンの14ヶ条の原則」はことごとく裏切られる。

  この箇所はその当時の出来事について触れたものだと思われるが、オバマはやや誇張を行っている。その後の経過をみれば、アメリカがチェコスロバキアに独立支持を固く約束したとは言い難いし、オーストリア=ハンガリー帝国から1918年に独立を宣言したのはチェコ共和国ではなく、チェコスロバキア共和国だった。ソ連崩壊後、チェコ共和国とスロバキア共和国に分裂したため、オバマは「チェコスロバキア共和国」の独立支持を「チェコの独立」支持と言い換えたものと見える。トマス・マサリクはチェコスロバキア独立の英雄であり、初代大統領であるが、18年には一方的に独立を宣言しただけで、苦労の末、チェコスロバキア共和国の成立は1920年である。まあこの程度の不正確さはチェコの国民感情に配慮したものとして許されるのだろう。)


分断されていた世界

 1000年以上にもわたって、プラハは他のどの場所の他のどの都市とも違っておりました。プラハは戦争と平和を知悉してきたのであります。プラハは諸帝国の興亡を目撃してきたのであります。プラハは芸術と科学の分野で、また政治と詩の分野で革命を主導してきました。こうしたことの全てを通じて、プラハの人々は、彼ら自身の道を追求することに固執してきました。そして自らの運命を決定づけてきたのです。そしてこの街、「黄金の街」(*The Golden City 大文字なっており固有名詞扱いになっている。)は、歴史の厚みをもちかつ若々しいこの街は、あなた方の不屈の精神の記念碑として屹立しているのです。

 私が生まれた時、世界は分断されていました。われわれ諸国は全く違った状況に直面していました。

(* バラク・オバマは1961年、ハワイ州ホノルルのカピオラニ母子医療センターで生まれた。http://en.wikipedia.org/wiki/Barack_Obama 翌1962年10月キューバ危機が発生している。)

 誰か私のような人間がいつかアメリカの大統領になるだろうと予測する人は殆どいませんでした。アメリカの大統領がいつか、このようにプラハで聴衆を前にして語りかけることが許されると予測した人は殆どいませんでした。チェコ共和国が自由な国家になり、NATOのメンバーになり、統合ヨーロッパのリーダーになる、と予想した人は殆どいませんでした。このような考え方はすべて夢として片付けられていたことでしょう。


(* チェコ共和国は、現在EUの議長国。それでオバマは、a leader of a united Europe と表現したものと思われる。ちょっとお世辞がすぎるような気もするが、ま、いいか。)

 「世界は変わらない」と人々に語る声を無視する十分な人たちがいたからこそ、今日われわれはここに集えたのです。

 「壁」のどちら側にいようが、また彼らがどんな風に見えようが、立ち上がって、危険を冒し、「自由こそすべての人たちにとって正しいことだ」という勇気があったからこそ、今日われわれはここに集えたのです。

プラハの春

 「プラハの春」があったからこそ、単純かつ基本的な自由と機会の追求が、戦車と人間の意志を抑圧するような戦車と武器に依存する人たちの顔を赤らめさせたればこそ、今日われわれはここに集えたのです。

(* プラハの春。1968年1月5日、のチェコスロバキア共産党中央委員会総会において、スロバキア共産党第一書記のアレクサンデル・ドゥプチェクがノヴォトニーに代わって、チェコスロバキア共産党第一書記に就任。これをきっかけにして、ドプチェクを支持し、スターリン主義を批判して民主主義的自由を求める人民の戦いが始まった。これを「修正主義」とし、ソ連の帝国主義的支配体制が崩壊することを憂慮したブレジネフ政権がチェコスロバキア国内に軍事侵攻して弾圧した事件。日本語Wikipedia「プラハの春」
<http://ja.wikipedia.org/wiki/プラハの春>は優れた記述を行っている。

どちらにせよオバマがここに描き出しているような単純な事件ではない。社会主義の路線問題とソ連の基本的性格をめぐる深刻な事件だった。)

 20年前、この街の人々が新しい時代の約束を求めて街頭を埋め尽くし、余りにも長い間否定され続けた基本的人権を要求したからこそ今日われわれはここに集えたのです。「Sametova revoluce」「ベルベット革命」(*1989年、共産党政権を倒した無血革命。日本ではビロード革命と呼ばれている。)は多くのことを私たちに教えてくれました。それは平和的な抗議が帝国の根幹を揺るがすことを、イデオロギー(*ここはan ideology と単数形になっているので、イデオロギー一般のことを指すと思う。)の空虚さを暴露し、示してくれたのです。小さな国でも世界的事件において決定的な役割を演じられることを示してくれたのです。そして若い人たちが、古くさい軋轢を克服する道を主導できることを示してくれたのです。そしていかなる兵器よりも近代人道主義的な道徳規範によるリーダーシップの方がより力強いことを証明して見せたのでした。

(* 「近代人道主義的な道徳規範」は原文では単にmoral。「道徳によるリーダーシップ」では文意が尽くせない。)

 だからこそ、平和で一つに結ばれたそして自由なヨーロッパの真ん中で私がこうしてみなさんに語りかけているのです。普通の人々が、分断に橋が架けられることを、壁はこぼたれることを、平和は勝利することを信じたからです。

 アメリカとチェコが、猛烈な困難にもかかわらず(against all odds)、今ではいかなる事も可能だと信じるから今日ここに集えたのです。

 私たちは、この底通する歴史を共有しています。しかし今この世代―われわれの世代はじっととどまっているわけにはいきません。私たちにもまた、採るべき選択があります。世界の分断はかつてより小さくなっております。それで世界はかつてより相互に密接に結びつくようになりました。また物事の動きがわれわれの制御能力よりも早く動くようになっていることも分かって来ました。危機にあるグローバル経済、気候変動、依然として存在する古い葛藤からの危険性、新しい脅威や破滅的兵器の拡散・・・。

 これらに対する挑戦はいずれも素早くあるいは簡単に達成できるというものではありません。しかしこれらの問題はいずれも、お互いによく耳をかたむけあい、協働することを要求しております。たまたま生じている違いにではなく、われわれの共通した利益に焦点を当てることを要求しております。われわれを引き裂くいかなる力よりも強い共通の価値観を再確認することを要求しております。これが、われわれが続けなければならない仕事なのです。これが、私がヨーロッパに来てはじめなければならない仕事なのです。

 われわれの繁栄を新たにするため、われわれには国境を越えた連携が必要とされています。それは新たな雇用を生み出すための投資であります。それは、成長の道に立ちはだかる保護主義の壁に抵抗していくことであります。それは、濫用と将来の危機を予防する新たなルールを伴って、われわれの金融システムを変えていくことであります。そしてわれわれには、われわれに共通した繁栄と人道主義に対して、危機に瀕した市場や、最も苦しんでいる窮乏化した人々に手をさしのべる義務を負っております。ですから、今週の初め国際通貨基金に1兆ドルを越える資金を投入したのです。

(* このステートメントはどうなのか?09年ロンドンG20における合意事項についての言及だが、もっとも「窮乏化した人々」に手をさしのべることになるのかどうかは、これからの施策にかかっているし、その施策の効果に関する検証が必要だろう。特にフランス、ドイツは借金をもとにした財政支出は、決して世界経済を立ち直らせない、不況が長引くだけだ、という立場で、いまなお英米と対立している。)


化石燃料依存からの脱却

 われわれの惑星を防衛するため、今やエネルギーの使い方を変えていく時です。手を携えて、世界が化石燃料に依存することを終わらせ、気候変動に立ち向かわなくてはなりません。そして、風力、太陽のような新しいエネルギー資源の口を開けなければなりません。そして全ての国々がそれぞれ自分のできることをすすめていなかくてはなりません。そして、この地球的努力において、合衆国は世界をリードする準備が整ったことを固くみなさんにお約束します。

(* なにもいまさらいわれなくても、という感じがする。特に化石燃料からの転換問題では、アメリカはこれまで世界の足を引っ張ってきた。だからリードすると言われても・・・。少なくとも協力してくれればそれで十分、という気はする。ともあれオバマもまた、世界をリードするアメリカでなくては気が済まないと見える・・・。)

 共通した安全保障を提供するため、われわれは同盟を強化しなくてはなりません。NATOは64年前、共産主義がチェコスロバキアを乗っ取った後、創設されました。その時自由世界は、分断を何とかできるには遅すぎたことを学んだのです。だからわれわれは世界がかつて知らなかったような最強の同盟を一緒に作り上げたのです。そしてわれわれは肩を並べ、毎年毎年、十年また十年と、鉄のカーテンが引き上げられるまで、奔流のように自由が拡散するまで共に立ってきたのです。

(* ここいらへんは冷戦イデオロギーむき出しだ。またこの通りなら、オバマの社会主義に関する教養は、ブレジンスキーやキッシンジャーなどに較べて相当お粗末だ。いいたいことは、だから共にアフガニスタン派兵に協力してくれ、ということだろうが、ヨーロッパ諸国の反応は今のところ冷ややかだ。)

 チェコ共和国がNATOに加盟して10周年を迎えています。私は20世紀において何度も、諸決定があなた方抜きに交渉のテーブルでなされたことを知っております。大国はあなた方を無視しました。あるいはあなた方の声に耳をかたむけないままあなた方の運命を決めました。私は、合衆国はこの国の人々を2度とそのような状態に押し戻さないということを言うために、ここに来ているのです。私たちは共有の価値観、共通した歴史、そして辛抱強くわれわれの同盟を維持することで結びつけられています。NATOの第5条は明確に次のように述べております。一国への攻撃はすべての国への攻撃である、と。これは、われわれの時代の約束であると同時に全ての時代の約束です。

チェコ軍のイラク派兵

  チェコ共和国の人々は、アメリカが攻撃され、数千人がわれわれの土地の上で殺された後、その約束を守ってくれました。そしてNATOも応えてくれました。

(* これは9・11事件の事を言っており、イラクにチェコも100人派兵したことを指しているとしか読めない。大統領オバマは、イラク戦争を正当な戦争だったと考えているのかどうか?9・11にイラクが全く無関係だったことは今日明らかになっているし、イラク戦争の開戦事由もでっち上げだったことは明らかになっている。アメリカとチェコの同盟関係を強調するあまり、9・11とイラク戦争を持ち出すのであれば、大統領オバマの見識を疑わざるを得ない。仮に不当な侵略戦争であったとしても、同盟関係は同盟関係だ、という論法なのか?しかしそれは奴隷の同盟だ。要は、ここではオバマのイラク戦争に対する歴史観が問われている。)

 アフガニスタンにおけるNATOの使命は、大西洋の両岸に住む人々の安全にとって諸基幹(fundamentals)となります。われわれはニューヨークからロンドンまでを攻撃した、同じアル・カイダ・テロリストを標的とし、またアフガニスタンの人々がその未来に責任を取るのを助けることを目的としています。


(* ニューヨーク攻撃、ロンドン地下鉄テロは本当にアル・カイダの犯行だったのか?それは本当に証明されたのか?最近出てきた研究は、実はそうではないのではないかという説が有力ではないか?そもそもアル・カイダなるものは存在するのか?

<例えば次。http://polidics.com/cia/top-ranking-cia-operatives-
admit-al-qaeda-is-a-complete-fabrication.html
 
http://www.rense.com/general75/critical.htm 
論文「Active Thermitic Material Discovered in Dust from the 9/11 World
TradeCenter Catastrophe> 

何もかも判然としないまま、強引にアフガニスタン侵攻、イラク侵攻をしたのが、ブッシュ政権ではなかったか?オバマもまたブッシュ政権のいかがわしさをそのまま受け継ぐのか?そもそも、対テロ戦争=「テロとの戦い」は、アメリカが作りあげたフィクションではないのか?その後のアメリカの政策を見る限り、対テロ戦争を軸に立案されている。その対テロ戦争がもし、創造されてものだとすれば、われわれは、対テロ戦争を軸に構築される今のアメリカの政策をどうみればいいのか?)

 われわれは、われわれの共通した安全保障を象徴するように自由国家群が共同戦線を張ることができることを誇示しているのです。そして私は、あなた方に、この真剣な試み(endeavor)で、チェコの人々が犠牲を払っていることにアメリカ人が名誉に思っていること、またあなた方が払った損失に哀悼の意を表明していることを知っていて欲しいのです。

 いかなる同盟といえどもじっと動かないでいることははできません。どこからやってこようが、新たな脅威に対応する緊急事態対応諸策(contingency plans)をもつため、NATOのメンバーとしてわれわれは協働しなくではなりません。われわれは、国境のない危険に立ち向かうため、お互いに連携し合わなくてはなりません。世界中の他の諸国家や諸機関とも連携しなくてはなりません。

(* 9・11で開始される「テロ戦争」なるものが壮大なフィクションに基づくものであるとしたら、オバマはここで大ボラを吹いていることになる。そしてブッシュ政権が開始したテロ戦争がフィクションに基づくものではないかと疑っている人は、世界中にかなり多い。)


核兵器の将来

 そしてわれわれは、共通の諸課題についてロシアと建設的な関係を追求しなくてはなりません。

 そうした諸課題のうちの一つで私が今日焦点を合わせたい課題は、われわれの国家(*アメリカ。our nation)や世界の平和と安全にとっての基本問題、すなわち21世紀における核兵器の将来です。

 数千発の核兵器の存在は冷戦のもっとも危険な遺産です。

(* Bulletin of the Atomic Scientistsなどによると、実戦配備できる核弾頭は世界に1万発以上存在し、すぐ実戦配備できない核弾頭まで含めると2万発以上存在する。
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/kono/wold_atomicbomb.htm>
殆どを米ロで保有している。) 

 核戦争はアメリカとソ連の間では行われませんでした。しかし幾世代にもわたって、たった一つの閃光が世界を消し去るという知見とともに生きてきました。幾世紀にもわたって存在して来たプラハのような諸都市は、もう存在できないかも知れないのです。

核兵器は冷戦の遺産

 今日、冷戦は消え去りました。しかし数千もの核兵器はそうではありません。歴史の奇妙な展開で、地球的な核戦争の脅威はなくなりつつありますが、しかし核攻撃のリスクは高まっているのです。

(* ここは相当興味深い話である。オバマによると、現在の核兵器は冷戦の遺産である。すなわち冷戦の結果、核兵器が作られ、冷戦そのものは終わったのに核兵器だけが残ってしまった、ということだ。しかし本当にそうか?冷戦のために核兵器が存在したのではなく、逆に、核兵器のために冷戦が作られたのだと考えてみよう。事実広島への原爆投下は、冷戦開始の前に行われている。そう考えてみれば、冷戦が終わっても核兵器が残っていることに何の不思議もない。歴史の奇妙な展開でも何でもない。「冷戦」は核兵器のための口実だったのだから。従って現在存在する核兵器のためには別な口実が必要になってくる。オバマはここで苦しい言葉のトリックをつかわなければならなくなる。つまり、「地球的な核戦争」と「核攻撃」を別種のものだというのである。「米ソが核戦争」をするのは「核戦争」であり、オバマが言うテロリストがニューヨークを核攻撃するのは違うことだというのである。そして国家間の「核戦争の危険」は消滅しつつあるが、「テロリストの核攻撃のリスクは高まっている。」というのである。)

 さらにこれらの兵器を獲得した国も増えました。核実験は続いています。ブラック・マーケットは核の秘密(nuclear secrets)や核物質を取り引きしています。核爆弾を製造する技術は拡散しています。テロリストはそれを買い、製造し、盗もうと心に決めています。こうした危険を孕みつつ、われわれの努力は地球的な核不拡散体制へと収斂しているのです。しかしより多くの人たちや国家がこのルールを破るため、この体制を維持できない地点に到達しています。

(* 散々聞き飽きた「核兵器保有正当論者」「核抑止論者」の論理のトリックをオバマもまた使っている。

第一、核兵器には何の秘密もなく、世界の物理学者の共通の知見となっており、いったん核兵器が使われれば、それに対抗しようとして、その翌日から「核兵器軍拡競争」が始まるだろう、と広島や長崎に原爆が投下される1ヶ月前の、1945年7月、すでにフランク・レポートが指摘している。そして実際、核兵器はその後拡散し続けた。トルーマン政権以降、アメリカの歴代政権は、「核兵器はいったん使われればその本質上拡散し続ける。」という原理をよく知っているはずだ。だからこの危険を食い止めるためには、広島や長崎への原爆の投下の1ヶ月後、45年9月、当時の陸軍長官ヘンリー・スティムソンが大統領トルーマンに提言したように、「現在原爆を保有する可能性を持った唯一の国家はソ連です。このソ連に対して原爆の開発をやめるよう、場合によっては、威しをつかってでもソ連に迫り、アメリカとともに原爆を永遠に封印してしまうことが、世界の人々にとって最良の取り引きです。」<45年9月11日付け 原爆管理のための行動提言>という方法しかない。すなわち核兵器廃絶は、一挙に同時に、場合に依れば威しをつかってでも、厳密な検証をもって行う以外にはない。2009年の核兵器廃絶は、1945年の核兵器廃絶より、遙かに困難性を増してはいるが、核兵器廃絶の方法論は基本的にこれしかない。逆にいえば、圧倒的な核兵器の貯蔵を有する米ロが決意すれば今すぐにでもできることだ。

それではオバマの言う核兵器不拡散体制とは本質的には、何なのか?それは核兵器保有国の核兵器独占体制である。それを国際的な取り決めで法的に保障しようとしたが、ここでも「いったん核兵器は使われれば拡散し続ける。」という原理は貫徹している。その後、ソ連、イギリス、中国、フランスが核兵器保有国となり、インド、イスラエル、パキスタン、北朝鮮―やや怪しいが―、が核兵器保有国となった。特徴的には核兵器不拡散条約成立以降、核兵器保有国となった諸国は、すべてNPT体制の外にいる。ここでも「核兵器拡散の原理」は貫徹している。

第二、「核のブラック・マーケット」とはなにか?それはNPT体制以外の、IAEAが統御できる範囲以外の「核兵器関連市場」ということだろう。アメリカが関与した「核の秘密の取り引き」は「ブラック・マーケット」ではなく、アメリカが関与しない「核は秘密の取り引き」は「ブラック・マーケット」だとでも言うつもりか?

本当に存在するのかどうか怪しいテロリストたちを問題にする前に、現在の核兵器保有国がタッチしてきた。「核のブラック・マーケット」の方が大問題だと私は感ずる。イスラエルの核兵器開発に当たって、フランスとアメリカが協力したことは、今日公然の秘密である。インド、パキスタンにおいても既存核兵器保有国の協力はなかったのか?何故パキスタンのカーンは、今も沈黙を強いられているのか?「核のブラック・マーケット」を問題にするなら、こうした過去の秘密の取り引きの実態を明らかにしなければ、「核のブラック・マーケット」はつぶせない。オバマが本気かどうかはここでも試される。)
 

核兵器拡散の原理の否定

 このこと(*前後の文脈からして“核不拡散体制”が揺らいでいること。)は、あらゆる場所のすべての人々にとって大問題です。

(* 原文は This matters to all people, everywhere.)

 1発の核兵器が1つの都市で爆発するーそれがニューヨークであれ、モスクワ、イスラマバードであれ、ムンバイ、東京、テル・アビブ、パリ、プラハであれー数十万人の人々が殺されうるのです。そしてそれがどこで起ころうとも、地球的な安全、安定、社会、経済そして究極的なわれわれの生存にとって終わりのない結果をもたらすことになるでしょう。

(* ここでもオバマは巧妙な言葉のすり替えを行っている。われわれの、究極の生存にとって危険なのは、1万発の実戦配備ができる核兵器なのであって、「核不拡散体制が揺らいでいること」なのではない。)

 ある人たちはこれら兵器(*核兵器)の拡散はチェックし得ないといいます、そして、さらに多くの国々が、さらに多くの人々が、この最終破壊兵器を所有する世界で生きていくことを運命づけられている、といいます。

 この運命論は不倶戴天の敵です。( a deadly adversary)というのはもし、核兵器の拡散が不可避的だ、とわれわれが信じ込んでしまえば、次には、われわれが自身で核兵器の使用は不可避的だと信じることになるからです。

(* ここはおかしな論理展開だ。少なくとも、45年の「フランク・レポート」マンハッタン計画に直接携わった核物理学者や化学者や、マンハッタン計画の政治的最高責任者だったヘンリー・スティムソンの論理展開とは違っている。

彼らは、
1. 原爆(核兵器)には何の秘密もない。
2. 必要なのはそれを開発しようとする意志とそれを実現する力だ。核兵器開発・実戦配備は極めて高度に資本・技術集約的事業である。
3. だから、いったん原爆(核兵器)が使用されれば、その翌日から核兵器軍拡競争が始まるだろう。核兵器拡散は避けられない。
4. しかし原爆(核兵器)は、人類と地球の生存にとって「あまりにも革命的に過ぎ、あまりにも危険すぎる。」
5. だから、世界が統御体制を作って、ソ連と共にこれを直ちに封印してしまおう。(核兵器を廃絶してしまおう。)

とわれわれに、今説いている。

ところがオバマは、核兵器不拡散は実現できるといっている。だから、「核兵器拡散」理論の信奉者は、次には「核戦争不可避論者」になる、といっている。しかし、フランク・レポートやスティムソンはそんなトリック理論は使わなかった。彼らは「核兵器の拡散は不可避である。だから廃絶しよう。」といったのだ。

核兵器はいったん使われてしまえば、核兵器拡散と核軍拡競争の激化は国際政治を貫く原理だ、だから核兵器が赤子のうちにこれを扼殺してしまおう、これが地球の大多数の人々にとって、「最良の取り引きだ」というスティムソンの議論の方が、はるかに説得力があると私には感じられる。)


唯一使用国の道義的責任

 20世紀において、われわれは自由のために戦いました。(stood for)それと同様に、21世紀では、いかなる場所においても「核の恐怖」から解き放たれて生きる権利を共に闘い取らねばなりません。核兵器を使用した唯一の核大国(the only nuclear power)として、アメリカ合衆国には行動する道義的責任があります。この真剣な試み(endeavor)にわれわれだけで成功することはできません。しかしわれわれはこれを主導することはできます。

(* ここで私は大混乱に陥る。これまでのオバマは、一貫して、従来の核兵器保有正当論者、核抑止論者の論理と文脈をもって語ってきた。しかし、この英文テキスト4行の記述は、そうした文脈からは語られていない。全く異なった文脈で、従って明示はされていないが、全く異なった論理で、語られているような気がする。この4行には全く違った文脈が紛れこんでいる。

ここを読んですぐに私が思い出したのは、1946年6月、米国戦略爆撃調査団が大統領トルーマンに提出した「米国戦略爆撃調査団報告 広島と長崎への原爆の効果」と題する報告書の、「結論」<Conclusion>の一節である。次のように述べられている。

・・・戦争から得られるものは、たとえそれが勝利を得たとしても、何もない。ヒロシマとナガサキの廃墟の光景にまさる、平和に関する議論もなければ、平和を希求する国際機関に関する議論もない。この不気味な(ominous)兵器の開発者であり、また利用者(exploiter)として、いかなるアメリカ人といえども転嫁できない責任をわれわれの国家は負った。またその責任は、将来の原爆の使用を妨げるべき国際的保障とその管理を推進し達成するにあたってリードしていく責任でもある。
<原文は次:http://www.trumanlibrary.org/whistlestop/study_collections/
bomb/large/documents/index.php?documentdate=1946-06-19&docum
entid=65&studycollectionid=abomb&pagenumber=1

訳文は次:http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/U.%20S._Strategic_
Bombing_Survey/05.htm
 >

トルーマン政権は、広島への原爆投下直後から、すぐに「原爆使用正当化」キャンペーンをはじめた。45年9月、グローブズのアラモゴード核実験場における「放射能はない」キャンペーンを皮切りに、46年アトランティック・マンスリー・マガジンに掲載されたカール・テーラー・コンプトン「もしも原爆を使用しなかったら」論文、そして47年、なんとスティムソン名義でハーパーズ・マガジンに発表された「原爆と機会」論文でその頂点に達する。そしてここで展開された論理が、歴代アメリカ政権の公式見解となり、アメリカ世論の定説となった。

その定説に従えば、
45年8月の時点で、原爆を使用したことで、対日戦争は終結を迎えた。もし原爆を使わなければ、戦争は終わらなかったであろう。そして九州上陸作戦、関東平野侵攻作戦は実施されたであろう。その際アメリカの将兵が被った損害は人命にして100万人はくだらなかったであろう。それまでの実績からして、日本人の将兵の人的損害は300万人以上だったであろう。その戦いに巻き込まれる日本人市民の生命の数はちょっと計り知れない。

だから、原爆の使用は数百万人の生命を救ったのであり、その意味で人道的だったのだ。
ということになる。

そしてこのキャンペーンをベースにして核兵器保有正当化論が、「核抑止論」とともに形成された。「核兵器は人道的兵器」という言い方もここから生まれた。

アメリカの歴代政権にとって、「ヒロシマ」は人道的行為でありこそすれ、アメリカの道義的責任を認める筋合いの行為ではなかった。

ところが、先の「戦略爆撃報告―広島と長崎」では、原爆を「不気味な兵器」と呼び、アメリカの、これを使用した責任を明確に認めている。全く異なる文脈と論理から出てきた言葉といわざるを得ない。

オバマの「プラハ演説」の、この4行は、伝統的なアメリカ政府の文脈から出てきたものではなく、むしろ「戦略爆撃報告―広島と長崎」の「結論」に見られる文脈から出てきたものだ、と言わざるを得ない。

一体オバマの中にある分裂をどう考えたらいいのだろうか?大統領オバマと一市民オバマの分裂なのだろうか?

あるいは「核兵器廃絶」に当たってアメリカがリードすべきであることを正当化するためにこの4行をすべりこませたのだろうか?しかしそうとは考えにくい。この4行はアメリカの原爆ドクトリンに正面から逆らっている。)

     

生きている間はない

 ですから(*アメリカには行動する責任があるから)、私は、核兵器のない世界に関する安全保障と平和の追求に関し、アメリカのコミットメントを、確信を持って明確に述べようと思います。この目標への到達は容易ではありません。おそらく私が生きている間ではないでしょう。それは忍耐と継続が伴います。しかし、いまやわれわれもまた、世界は変えられないとわれわれに告げる声を無視しなければなりません。

(* この4行から、また、核兵器保有論者の聞き飽きた言説に戻る。結局彼もまた核軍縮という、永遠にゴールに到達しない「ヘラクレスの矢」を使っている。「ヘラクレスの矢」を使う限り、世界は永遠に変えられない。核兵器廃絶は実現できない。核兵器廃絶は決意さえすれば、今すぐカウントダウンに入れるのに・・・。世界は変えられないと言っているのは君だ、オバマ君。)

 第一に、アメリカは核兵器のない世界へむけて確固とした第一歩を踏み出します。

(* Hear! hear! I will listen to you! )


オバマの核抑止論

  冷戦思考(*Cold War thinking)に終止符を打つため、われわれの国家安全戦略における核兵器の役割を削減します。ミスを犯さないようにしましょう。これら兵器が存続する限り、われわれは、安全と保障を維持しますし、どんな敵であろうと彼らを抑止する(to deter)効果的な兵器庫を維持します。そしてすべての同盟国を、チェコ共和国も含んで、防衛することを保証します。しかし、われわれは兵器庫を削減する仕事を始めるのです。

(* 見事なまでの核抑止論である。

第一、トリック理論としても核抑止論が破綻したのは、冷戦が終わり、仮想敵としてテロリストが登場してきたからではないか。核抑止論とは相互確証理論を基にしている。相手が確証できるからお互いに抑止が機能する。相手が確証できないからテロリストだろう。そのテロリストを相手にトリック理論としても核抑止論が成立するわけはない。だから「どんな敵であろうと彼らを抑止する。」ことはできない。核抑止論はトリック理論としても破綻している。

第二、1984年、「核兵器の追放」を公約の一つに掲げて総選挙に勝利した、ニュージーランド労働党のデイビッド・ロンギは首相として、当時のレーガン政権と国務長官シュルツに、こう言ったのだ。「核兵器などという危険なものでニュージーランドを守って欲しくない。今後、核兵器搭載艦船のニュージーランド寄港を一切拒否する。」

核兵器を実際に開発し実戦配備までしていた南アフリカ共和国は、1991年ネルソン・マンデラのANC(アフリカ民族会議)の影響下に、核兵器を完全廃棄し、NPTに加盟した。その時南アフリカ政府は「核兵器で南アフリカ共和国の安全が守れるとは思わない。」と宣言したのだ。

「核兵器で安全が保障できるとは思わない。核兵器そのものが危険である。」―これが冷戦思考に終止符を打つ理論である。冷戦思考を続けているのは、他ならぬオバマである。)


ロシアと戦略兵器削減交渉

 われわれの核弾頭と貯蔵(stockpiles)を削減するため、私は今年中にロシアと新たな戦略兵器削減条約(strategic arms reduction treaty)に関する交渉にはいるつもりです。メドベージェフ大統領と私はロンドンでこのプロセスを開始しました。そして二人とも今年の末までには、法的にも万全で十分大胆なあらたな合意を追求します。これは、さらなる削減の段階を用意するものとなりましょう。そして私たちは(*メドベージェフとオバマは)この真剣な試みに他の全ての核兵器保有国を含むものとして追求を行います。

 核実験の地球的禁止を達成するため、私の政権は即座にかつ前向きに(aggressively),包括的核実験禁止条約のアメリカにおける批准を模索します。50年以上の話し合いの後、ついに核兵器実験禁止の時がやってきたのです。


(* 包括的核実験禁止条約の発効要件は、1996年6月時点で、ジュネーヴ軍縮会議の構成国であり、かつ国際原子力機関の『世界の動力用原子炉』および『世界の研究用原子炉』に掲載されている44ヶ国すべての批准が必要である<第14条>。
現在、44カ国中批准していない国は、アメリカ、中国、インドネシア、エジプト、イラン、イスラエル、インド、パキスタン、コロンビア、北朝鮮の10カ国。
<http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kaku/ctbt/>
特にインド、パキスタン、北朝鮮は批准どころか署名もしていない。だからアメリカ議会が、これを批准したところで、即座に発効するわけではない。特に上記の国のうちもっとも手こずるのはイスラエルであろう。さらにこの条約では、臨界前核実験的研究やコンピュータ上の爆発シミュレーションまで禁止しているのかどうか、またそうだとして検証体制はできているのかどうかが、大きな疑問である。

核兵器については、開発・製造・貯蔵・実験はひとくくりのセットである。このセットのうち、どれかを取り出して禁止しようという時は、必ず核兵器先進国に有利になる。すなわち核兵器及びその技術の独占保有につながる。多くの国が警戒するのはこの点だ。従って「核兵器廃絶」と「包括的核実験禁止条約」は直接の因果関係はない。「核兵器廃絶」に対する漠然とした期待感醸成の効果はあるだろう。)


カット・オフ条約

 さらにまた、爆弾(*核兵器爆弾)に必要な製造部分をカット・オフするため、合衆国は、核兵器の状態での使用を意図した核分裂物質(*回りくどい言い方だが、要するに兵器級核分裂物質)の生産に、検証可能な形で終止符を打つべく新たな条約の締結を追求します。もしこれらの兵器の拡散に止めることに真剣ならば、われわれは、核兵器製造を可能ならしめる、兵器級核分裂物質の生産に終止符を打つべきです。

(* カット・オフ条約に触れた部分と思うが、これはまた露骨な兵器級核分裂物質の独占宣言だ。というのは、アメリカは、1964年に兵器級核分裂物資の生産を中止している。作りすぎてそれ以上生産する意味がないからだ。このオバマの提案を聞いたら、たとえばフランスは不快に思うだろう。だから、生産を単に停止する条約では全く意味をなさない。生産は当然だが、貯蔵している兵器級核分裂物質の貯蔵の廃止、全面廃棄でなければ全く意味がない。クリントン政権時、核兵器問題の担当者だった、フランク・フォン・ヒッペル<プリンストン大学教授>によると、アメリカは兵器級核分裂物質の貯蔵所をテロリストたちに襲撃されることを恐れているほどだ。
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/16_gijiroku.pdf>


NPT体制の強化?

 第二に、われわれは、共に、協力の基盤として「核不拡散条約」を強化します。この(*条約の)基本的取り決めは健全です。すなわちー、

 核兵器保有国は核軍縮をする。非核兵器保有国は核兵器を保有しない。そして全ての国は平和的核エネルギーを利用できる。

 この条約を強化するために、幾つかの基本原理を包摂しなければなりません。国際的な査察制度を強化するための権威当局(authority)とその資源がもっと必要です。ルールを破ったり、理由もなくこの条約を離れようとする国々に対する実効的ですみやかな結果をだすことが必要です。

(* あんたにそんなことを言われたくない、というのが多くの非核兵器保有国の実感だろう。国際的な査察制度の強化を言う前に、まず現行NPT体制の中で、予告なしのIAEA査察を受け入れる追加議定書をまず、承認したらどうか、といいたいのではないか。アメリカがこの議定書批准国になるだけで、NPT体制の強化にどれほど貢献するか。次にオバマの要約はやや不正確である。NPTは参加核兵器保有国に、単に核軍縮ではなく核兵器の廃絶を求めている。また新たな開発も禁じている。アメリカはこのルールを破り、その精神を踏みにじったいきさつをもっており、この過去に対する率直な自己批判を聞くまでは、オバマの言うことを額面通り聞くわけにはいかない。これまでルールを破り続けてきたのはアメリカである。従って、これまでのいきさつをよく知っている人たちからは、何か裏がある、と勘ぐられることになる。逆に北朝鮮はNPTのルールが守れない、と分かったからNPTを脱退したのではないか。

オバマはこの演説の中で、わざとthe nuclear Non-Proliferation Treaty―核不拡散条約―と呼び、Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons:―核兵器不拡散条約と正確な名称で呼んでいない。また彼のいう「核兵器不拡散」は知らない間に「核不拡散」にすりかえられ、「核兵器」から「核兵器、原子力の平和利用技術」一般にすり替えられていく。)


エルバラダイ7原則の換骨奪胎

 そして、「国際的燃料バンク」の構想を含む、民生用核協力に関するあらたなフレームワークも必要です。そして拡散の危険を増大させることなしに、諸国が平和的原子力を利用できるようになります。核兵器の廃絶を宣言した諸国、特に平和的(*核エネルギー開発)計画に着手したばかりの発展途上国にとって、それ(*核エネルギーの平和利用)は権利でなくてはなりません。ルールに従っている諸国の権利を否定するなら、いかなるアプローチも成功しないでしょう。気候変動との戦い、また全ての人々の機会を前に進めるわれわれの努力を代表するかのようにして、われわれは原子力エネルギーの平和利用を馬車馬の如く推進しなければなりません。(harness)

 
(* ここは「エルバラダイ構想」の下手ななぞりである。エルバラダイは、増大する地球のエネルギー需要に対して、基本的には核エネルギーをもって対応することが必要だと考えている。その意味では、核エネルギーの平和利用を推進していかなくてはならないし、またそのことはIAEAの設立目的にも合致している。エルバラダイが苦悩するのは、原子力の平和利用を各国に推進することが、核技術の拡散につながり、世界の危険が増す、ということと、原子力の平和利用はNPT参加国に認められた平等の権利であるという間のバランスをどう取るかという点だ。だからイランの「平和利用ウラン濃縮」は、イランに認められた権利だと認めつつも、核技術の拡散に対処する体制、すなわち公平・中立な地域核燃料製造供給センターが確立するまで、待ってくれと言っている。この点は日本のプルサーマル計画も同様だ。それがイランのウラン濃縮問題の本質だ。ところがアメリカは、原子力エネルギーの平和利用にウラン濃縮は必要ない、あえてイランがこれにこだわるのは、イランに核兵器開発の野心があるからだといっている。しかしこれは問題の本質ではない。問題の本質はこれから、厖大な需要が見込める原子力の平和利用市場で、だれがその根幹部分、すなわち核燃料の製造と供給を独占するか、ということだ。しかし従来のNPT体制では、平和的原子力利用においては、核燃料の製造は、NPT加盟国に等しく認められた権利なのだ。それどころか、NPTはこうした平和利用目的に積極的に技術支援を行う義務を負っている。ここがエルバラダイの悩みである。<「国連と核不拡散に関する事務局長のCNNクリスティアン・アマンプールとのインタビュー」http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/CNN_Elbaradai.htm>。またエルバラダイ7原則は、以下。

第1 ウラン濃縮施設やプルトニウム抽出施設の建設の5 年間の凍結。
第2 US global threat reduction initiative(研究施設などに供給した高濃縮ウランの回収および施設の低濃縮ウラン利用への改修)の実施を加速する。
第3 核査察を強化した追加議定書をNPT の基準とする。
第4 NPT から脱退しようとする国に対する国連安全保障理事会による迅速で確実な対応。
第5 同理事会の決議1540 の実施(核物質と核技術の違法な取引の停止のための法的措置)
第6 5つの核兵器国の核軍縮の誠実な実行。
第7 非核兵器地帯条約の締結など地域的な安全保障の確立。

以上、日本原子力委員会・新計画策定会議―第25回―資料第3号、原子力資料情報室・伴英幸の発言より<05年4月27日>
<http://www.aec.go.jp/jicst/NC/tyoki/sakutei2004/sakutei25/sakutei
_si25.htm>


北朝鮮のロケット発射とルール違反

 いかなる幻想もなしにわれわれは前進しなければなりません。あるものはルールを破るでしょう。しかしだからこそ、いかなる国であってもルール破りをした時、その結果の直面することを確実にする機構が必要なのです。今朝、こうした脅威に対処するより新しくより厳格なアプローチが必要であることを再び思い起こさせてくれました。

 北朝鮮がもう一度ルールを破ったのです。長距離ミサイルに転用できる可能性をもったロケットの発射実験をすることによって。

(* “ミサイル発射”と騒ぎ立てている日本のマスコミより、言葉使いは正確だが、これをもって北朝鮮がルール破りをした、というのは相当苦しいいいかただろう。第一北朝鮮は人工衛星の打ち上げをする、と国際機関に申請をして、人工衛星を打ち上げた。ロケットかミサイルかは弾頭が何か、目的がなにかで決まる。これがルール違反というなら、誰も人工衛星を発射できなくなる。韓国も日本も近々人工衛星を打ち上げる、と伝えられる。いずれもミサイルに転用できる。これもルール違反か?日本や韓国はよくて、北朝鮮がルール違反なら、これは二重基準だろう。ルールは誰にでも公平に適用されるべきだ。北朝鮮は、今回の人工衛星の打ち上げに3億ドルを使ったと伝えられる。今の購買力平価では、3億ドルは1年分の北朝鮮の食糧がまかなえる金額とも伝えられる。いずれにしても今の北朝鮮のGDPは世界第90位、購買力平価換算でも400億ドルである。
<CIA世界実情報告-World Fact Book-08年による。http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/kono/GDPranking.htm >
ソニーの年間売り上げの半分にも満たない。そのような国が人工衛星を打ち上げるとは愚かしい限りだが、いかに愚かしくても、ルールに則って実施している。ルール違反ということはできない。言いたかないが、2000億ドルもかけてバンカーバスターという小型核兵器を開発しているアメリカの方が、NPTの精神に照らして、よほどルール違反ではないか。)

 この挑発行為で、単に今日の午後の国連安全保障理事会の場だけではなく、核兵器拡散を防止することにおけるわれわれの決意においても、行動する必要性を強調せざるを得ません。ルールは厳守されなければなりません。違反は罰せられなければなりません。言葉は何か意味あるものでなくてはならないのです。世界は核兵器の拡散を防止するため共に立ち上がらなければならないのです。今や強い国際的対応をするべき時です。北朝鮮は、違法な兵器と威しを通じては、安全保障と尊敬の道は得られないと知るべきであります。そして全ての国家は共に、より鞏固で地球的な体制に来たり集うべきです。

(* オバマはどの時点でこの北朝鮮に関する下りを挿入したのだろうか?もちろんあらかじめ幾つかの文案を用意していたのだろうが、その後のいきさつを見ると、ここの下りはややオバマの見込み違いだったように思われる。すなわち、ヨーロッパの諸国も含めて、オバマの呼びかけには、日本を除いて誰も同調しなかった。日本が最後まで強硬だったので、オバマはメンツを保った格好だ。そしてついにはアメリカ自身も持てあますようにして、当たり障りのない安全保障理事会議長声明を出して、一件落着となったのである。いったいロシア、中国を含めて、ヨーロッパ諸国もこのオバマのプラハ演説には冷ややかな反応だ。)

イランの権利を認める?

 イランはまだ核兵器を製造していません。そして私の政権は、相互の利益と相互尊重の原則に基づいて、イランと何らかの交渉を持つことを模索します。そして明確な選択肢を提示していくつもりです。われわれはイランに対し、政治的にも、経済的にも、国際社会において(in the community of nations)、ふさわしい地位を占めて欲しいと考えています。われわれは、厳格な査察の基に、その平和的核エネルギー利用の、イランの権利を支持します。これがイラン・イスラム共和国の採る事のできる道です。さもなければ、イラン政府は国際的孤立と圧力を増すことになるでしょう。そしてこの地域(*ここは中東地域という意味だろうが、伝統的にはイランは中東地域と見なされていないので戸惑う。しかしイスラエルを含んだ地域でなくては、ここは全く意味をなさない。)における潜在的な核兵器軍拡競争は、全体としてこの地域の不安定さを増すことになるでしょう。

(* ここも興味深い記述である。ウラン濃縮を行うことは、核兵器開発をしている証拠だと決めつけていたブッシュ時代とは様変わりという印象を受ける。しかし、ペンタゴンは09年3月、CNNに統合参謀本部議長マイケル・ミューレン提督の名前で「イランは核兵器をもちつつある。」というコメントを流させている。<Unti-War News Mixed Signals on Iran's Nuke Capability As Mullen Warns of Iran's Fissile
Material, Gates Admits They're Not Close to a Weapon Posted March 1, 2009>あるいはワシントンポスト
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/
article/2009/03/10/AR2009031003626_pf.html
>。どちらにせよ、「この地域」での核兵器軍拡競争を論ずる時、イスラエルという顕在化した核兵器国の脅威を全く問題にしない姿勢はブッシュ時代と変わりない。なおイランのGDPは、購買力平価換算で現在世界18位<IMF>、または第17位<世界銀行及びCIA>。一方イスラエルは51位<CIA>。)


東欧MD構想の撤回?

    はっきりいいましょう。イランの核と弾道ミサイルに関する活動は実際上、アメリカにとってだけでなく、イランの近隣諸国やわれわれの同盟国にとって脅威です。チェコ共和国とポーランドはこれらミサイルに対して防衛拠点となるという勇気を示してくれました。イランからの脅威が存在する限り、われわれは、コストにおいて優れ、実証済みのミサイル防衛システムを前進させるつもりです。もしイランからの脅威が消え去るのなら、われわれは、より安全保障にとってより鞏固な基盤を持つことになるので、ヨーロッパにおけるミサイル防衛システム建設を、現在時点では撤回するでしょう。

(* ここは噴飯ものの話である。ブッシュ時代、チェコ、ポーランド、ハンガリーに展開しようとしたヨーロッパMD構想は、イランの核攻撃に対抗するため、というふれこみだったが、誰もそれを信じたものはいなかった。ロシア包囲網だとだれもが思った。
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/Military-industrial_
complex/Missile_shield_Warsaw_in_crosshairs_2008_0815.htm>
 
恐らくロンドンでオバマはメドベージェフと会談した時、このMD構想の撤回を約束したのだろう。ここはその口実を説明しているものと思える。フィクションで振り上げた拳はフィクションでおろさざるを得ない。こんなことまで、「核兵器廃絶への道」の一段階として使われている。)

テロリスト

 最後に、われわれはテロリストが核兵器を獲得しないことを確かなものにしなければなりません。

 これは、地球的な安全保障にとって、もっとも喫緊の、もっとも大きな脅威です。1発の核兵器をもった1人のテロリストは大量破壊をもたらし得ます。(unleash)

 アル・カイダも爆弾の入手を明言しています。そしてわれわれも地球中に不安定な核物質が存在していることも知っています。人々を保護するために、一刻の猶予もなく目的意識をもって行動しなくてはなりません。

(* 今最軽量の核兵器というとどれくらいの重さになるのだろうか?昔、米原子力委員会時代に、一人の兵士がランドセルのように核兵器を背中に背負って落下傘で飛び降りる、という開発中の核兵器の写真を見たことがあった。今はポケットにはいるようになったのだろうか?それともオバマは、車のトランクに核兵器を積んでつっこむ、といったイメージを持っているのだろうか?どちらにせよ高度な製造技術と製造装置がなければむつかしいだろう。)

ブッシュ時代の対テロ・イニシアティブ

 今日私は、4年以内に世界すべての脆弱な核物質(*vulnerable nuclear material)を安全化する新たな国際的努力について明らかにしたいと思います。

(* vulnerable nuclear materialは普通研究論文では「脆弱な核物質」と訳され、プルトニウムを指すことが多いが、オバマはその意味で使っているのだろうか?)

 われわれは、ロシアとの協力関係で拡張する新たな基準を設け、これら敏感性物質(sensitive materials)に錠をおろしてしまうような新たな連携関係を追求します。

 われわれはまた、搬送中の(*核)物質を探知し、その流れを阻止し、ブラック・マーケットを粉砕する努力を構築しなければなりません。またこの危険な取り引きを壊滅させるべく、金融的手法も用いなくてはなりません。こうした脅威は長く続きますから、われわれは共に、われわれの努力を、「拡散に対する安全保障構想」<Proliferation Security Initiative-PSI>とか「核テロリズムに対抗するためのグローバル・イニシアティブ」<Global Initiative to Combat Nuclear terrorism-GI>といった永続的な国際機構に向けて傾注すべきであります。また来年中に合衆国が主催する「核の安全保障に関するグローバル・サミット」<Global Summit on Nuclear Security>を開催すべく始動すべきであります。

(* 「拡散に対する安全保障構想」<PSI>も「核テロリズムに対抗するためのグローバル・イニシアティブ」<GI>も一体何なのか私にはよく分からない。PSIは外務省のウエブサイトによるとブッシュ政権の主導のもとに、02年12月の「大量破壊兵器と闘う国家戦略」の一環として提唱された。
<http://www.mofa.go.jp/Mofaj/Gaiko/fukaku_j/psi/psi.html>
またGIはやはり2002年アメリカ主導でロシアが乗ったという形で提唱された。
<http://www.mofa.go.jp/MOFAJ/gaiko/atom/gi.html>
いずれにせよ、核兵器廃絶、核兵器及び核分裂物質の国際的統御機関であるIAEAの枠外に設けようとしている点で、胡散臭さを感じる。いずれもブッシュ政権時のアメリカ主導型国際機構である。また「核の安全保障に関するグローバル・サミット」に至っては、何を狙ったものか皆目見当もつかない。日本は直ちに支持を表明した。誰か、色のついていない専門家に解説して欲しいものだ。しかしこれも、NPTやIAEAの外に権威を設定しようとする、筋のよくない流れ、という気はする。)

 このような幅広い協議事項に関して実施に移せるかどうか、疑問をもっている人たちもいることを、私は知っています。国家間の間に、避けがたい違いがあるにもかかわらず本当に国際協力が可能か、と疑う向きもあります。そして核兵器のない世界に関する話題を聞いて、達成不可能と見える目標を設定することに価値があるのかと疑う人もいます。

 しかし、間違わないようにしましょう。われわれは道がどこに続いているか知っています。国家や人々が、お互いの違いで規定されるというのであれば、お互いの溝は広がるばかりです。もしわれわれが平和の希求に失敗するなら、平和は永遠にわれわれの手から逃げていくでしょう。協力への呼びかけに消極的だったり、攻撃することは簡単ですし、またそれは臆病なことでもあります。戦争というものはそうして始まります。そして人類の進歩はそこで止まります。

(* どうでもいいが、このオバマの説教調が、だんだん鼻につき始めた・・・。)

 われわれが直面すべき世界には、暴力と不正義が存在します。私たちは、お互いにバラバラにではなく、自由国家として、自由な人々として、共にしっかり立って、世界に立ち向かわなければなりません。武器をとって立ち上がれという呼びかけは、静かに冷静でいようという呼びかけよりも、男たちや女たちの心をかき乱すことができることを私は知っています。しかしだからこそ、平和と進歩のためにする声を共に上げていかなければならないのです。

 そうした声は今でもプラハの隅々に谺しております。それらは1968年の亡霊です。(*これは失言ではないかな?)それらはベルベット革命の喜びに満ちた響きであります。それらは、1発の銃弾も放たずに、核兵器帝国を屈服させるのに預かって力があったチェコ人です。(*これはロシアが怒るだろう。)

 人類の運命は、私たちが作りあげるものです。ここ、プラハで、よりよき未来に到達することによって、われわれの過去を名誉あるものとしましょう。われわれの分断に橋を架けましょう、われわれの希望を築きましょう、そしていま我々が見るよりもより繁栄し、より平和な世界と旅立つ責任を受け入れましょう。ありがとうございました。

核の平和利用市場の一元的掌握?

(*  アメリカ大統領バラック・オバマは、「アメリカは核兵器のない世界へむけて確固とした第一歩を踏み出す。」と、プラハでおごそかに宣言した。当然、彼の「核兵器廃絶への具体的ステップ」と「その思想」に関心が集まる。

 この演説を読む限り、オバマの核兵器は廃絶へのステップは以下のようなものだった。

1. 09年度中にロシアと核兵器削減交渉に入り、一定の成果をあげる。
2. 包括的核実験禁止条約の米議会批准を働きかける。
3. カット・オフ条約成立を目指し、兵器級核分裂物質の生産を停止する。
4. 核兵器不拡散条約以外の新たな核不拡散体制の枠組みを設定する。

オバマは、NPT強化を強調しているが、実はそうではない。アメリカが、IAEAの抜き打ち査察を承認する追加議定書を承認・批准するとか、イスラエル、インド、パキスタン、北朝鮮などにIAEA加盟を迫るとかの施策が含まれているのなら、これはIAEA体制の強化ということができるだろう。しかし内容を見ると、核分裂物質の取り引きを監視・遮断する国際査察機構の新たな創設、あるいはテロリストを念頭においた国際的な管理監督機構の創設と強化など、既存のIAEA体制以外の権威・枠組みを作ろうとしている、と考えることができる。あるいは、IAEAの既存の枠組みと機能を変容させよう、という言い方も可能であろう。いずれにせよ、NPT体制の強化、ということはできない。)

 具体的内容は、大まかに言えば上記4点ではないか。はたして、こうした施策が「核兵器のない世界」「核兵器廃絶」に至るステップなのだろうか、という検討が先ず必要だ。上記のうち1−3は、冷戦時代に積み残した課題の実行、ということができる。米ロの軍縮、カット・オフ条約の成立、包括的核実験禁止条約の発効、いずれも仮にすべて実現できたとしても、核兵器廃絶とはほど遠い、いわば冷戦時代の後始末をしようという内容だ。すでに落とす意味のなくなった約束手形をおとしましょう、といっているに過ぎない。

 したがって、オバマ演説の「核兵器廃絶」へ向けての具体的内容は4.のテロリストを念頭においた、既存NPT体制以外の新たな管理・検証体制の強化のみ、ということになる。しかし、これは核兵器廃絶へ向けての取り組みというよりも、「核不拡散体制」の強化の効果しかない。

 ここでオバマの演説を注意深く読み進めていくと、オバマが「核兵器拡散」の危険性をいいながら、実は「核拡散」の危険性とその対応について述べていることが見て取れる。

 現実に「核兵器拡散」の恐れがあるのだろうか?現在、米、ロ、英、仏、中、インド、イスラエル、パキスタン、北朝鮮(多分に疑わしいところはあるが、少なくともIAEAによれば兵器級プルトニウムは保有している。)の9カ国である。これ以上核兵器が拡散する恐れは、主権国家を念頭に置いてみると、南アフリカ、リビア、キューバ、ブラジル、アルゼンチンなどが正式に核兵器保有をしない、と宣言しそれぞれ法的に拘束力のある措置をとっている現在、可能性のある国は日本以外にはない。
日本は核兵器保有能力のある国として、唯一核兵器保有を禁ずる法的枠組みを持っていない。この点は別途に議論するとして。)

 イランは再三再四、「核兵器を保有することはイラン国民の権利だ。」とは明言するが、「核兵器を保有するつもりはない。」とも明言している。またIAEAの結論も、「イランが核兵器を開発している証拠」はない、としている。オバマも今回の演説でしぶしぶそれを認めた。

 すなわち、その存在が確証できないテロリスト以外には、地球上の主権国家でこれ以上の核兵器拡散の恐れはなくなった、と考えるべきだ。

 従ってオバマのいう「核拡散」とは、「核エネルギーの平和利用技術やそれに必要な基本原材料」の拡散のことだと見て取れるだろう。つまりオバマは、「核兵器のない世界」「テロの脅威」をいいながら、核の平和利用を含めた「核不拡散」体制構築を意図しているのだという結論になる。オバマがNPT体制に触れる時、「核兵器不拡散体制」といわずに「核不拡散体制」と呼び続けるのは相当の理由がある。

 しかし、この意図を実現するには、大きな障害がある。それは他ならぬNPT体制だ。NPT体制は、平和目的の核燃料製造を含めて、核エネルギーの利用、技術開発、技術取得を参加国に等しく認められた権利としている。これがある限り、オバマの「核不拡散」体制はその正統性を留保できない。したがって、今回のプラハ演説では、「NPT体制以外の体制の強化」あるいは「NPT体制そのものの変容」を提唱したものと見られる。

 それが、「核兵器廃絶」「核兵器のない世界」を見出しに掲げながら、決して核兵器廃絶につながらない諸施策の羅列、竜頭蛇尾に終わった理由であろう。

 以上の議論を補強するためには、IAEAの政策(それはエルバラダイ7原則として現在明確な形をとっている。)の詳細な検討、世界は何故平和的原子力エネルギーに依存せざるをえないのか、世界の原子力エネルギー産業を支配しているのはだれか、といったテーマを検討しておかねばならないが、今ここでは準備不足である。

 今回のテーマでいえば、私がもっとも関心のあるテーマでもあるが、オバマ演説に見られる「核兵器廃絶の思想」が重要である。これまで、見てきたように、少なくともオバマには「核廃絶の思想」という点では、むしろ冷戦思考、核抑止論者、核兵器保有正当論者というマイナスの評価しかできない。ブッシュにシュガーコーティングをした「オバマ菓子」といったところだ。


大統領オバマと一地球市民オバマ

 ただ1点、「日本への原爆使用」の道義的責任を認めたところは異質である。これを大きな前進という評価はまさにその通りだが、私は、オバマの全く異なる文脈から派生してきている、と感じている。その内容はここでは繰り返さないが、私はオバマ個人の本音、オバマ個人の認識という感じがしてならない。アメリカ大統領オバマと一市民オバマは決して同心円的に一致しているわけではない。特にトルーマン政権で顕著だったのは、アメリカ大統領職の傀儡政権化だ。アイゼンハワーの大統領離任演説は、そうした傀儡化がアメリカの民主主義にとって根本的脅威となっていることを指摘し、警告した演説として読むことができる。

 おそらくは、オバマ個人は無条件の核兵器廃絶論者なのだろう。07年、オバマが民主党大統領候補として急浮上し、ヒラリー・クリントンについで第2位に躍り出た時に、「パキスタンのテロリストに核兵器攻撃をすべきだ。」とオバマが発言し、大騒ぎになったことがある。この発言の裏を取ろうとしたAPの記者がオバマのコメントをとった記事が、インターネットに残っている。引用するとー。

私はいかなる状況においても核兵器を使用することは、われわれにとって深刻な誤り(profound mistake)である。」とオバマは語った。さらに一呼吸おいて、「一般市民を巻き込む。」そして急いでこう付け加えた。「取り消させて欲しい。(Let me scratch that.)核兵器についての議論はない。テーブルに乗っていない。」・・・「核兵器の使用についての議論は全くない。また仮定の話としてもこれからそのような議論をするつもりもない。

 いったん核兵器を使用することは根本的な誤り、と発言しておいてあわてて、それを取り消したくだりだ。発言しておいて「核兵器不使用」を宣言することが、大統領選にいかなる影響与えるかを、オバマはすぐに悟った。そしてあわてて取り消し、「核兵器の使用」についてはノーコメントを決め込んだのだ。しかし「いかなる状況においても核兵器の使用は誤り」とする見解はオバマの本音であろう。
 
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/obama/obama_02.htm>