2010.10.8
第7回 広島市長時代―国際司法裁判所勧告的意見の意味

1991年(平成3年)、平岡はRCC中国放送の社長から、広島の財界に担がれる形で広島市長選挙に出馬、当選する。1995年市長第二期目の始め、オランダ・ハーグにある国連の下部機関、国際司法裁判所(ICJ)で長崎市長の伊藤一長とともに、「核兵器使用の国際法上の違法性」に関する審理に証人として意見陳述をする。翌96年、ICJは一般論としてではあるが、「核兵器の使用は国際法違反」と云う内容の「勧告的意見」を出す。この事件は、その後平岡にジワリと、深い影響を与えることになった・・・。 

ナウル共和国から証人要請
哲野 これから広島市長になられてからのお話を聞くんですが、といっても、いくつかのエピソードを選りだしてお伺いします。まずハーグの国際司法裁判所ですね。
平岡 1995年ですね。

  平岡が広島市長に当然するのは1991年(平成3年)。だから任期2期目の初めの頃にオランダ・ハーグの国際司法裁判所(ICJ)の証言台に立つことになる。

平岡は『希望のヒロシマ』(岩波新書 1996年)の中で、証言台に立つことになったいきさつを次のように書いている。少々長くなるが引用する。

 『ICJ(国際司法裁判所)とは国連憲章にもとづき設置された国連の主要な司法機関で、国によって付託される紛争の裁判をするほか、国際機関の要請があった時には勧告的意見を出すことが出来る。』広島市と長崎市は「核兵器使用の違法性について」というICJの審理に際して、陳述の機会を窺っていたが、ICJ規定には国家あるいは国際機関以外からの陳述の規定はない」ということで、国家あるいは国際機関の証人として以外に証言台に立つ道はなかった。

 『この問題は、1993年5月WHOが「核兵器使用の国際法上の違法性」についてICJの勧告的意見を求めたことから始まった。これを受けてICJは94年6月10日を期限に日本を含む関係国に陳述書を提出するように求めた。』ところが日本政府はこの問題についてなかなか態度を明らかにしない。しかし提出期限を前に「核兵器使用は必ずしも違法とはいえない。」という陳述書を準備していることがわかった。これに対して平岡は、『羽田孜首相、柿沢弘治外相に対して核兵器の違法性を訴える陳述書を提出して欲しいという要請文を送った。』『この政府の方針に私は強い不満をいだいた。すでにはっきりと「核兵器の使用は国際法違反」と表明している国もあるのに、被爆国の政府がこれでよいのか。「核兵器が人道上の精神に合致しない」というのであれば、当然「国際法に違反する」と明言すべきである。しかし外務省の丹波条約局長は94年6月8日の衆院予算員会で「核抑止力が世界の安定に一定の役割を果たしていることも認めるべきだ」と核抑止力容認論を述べている。政府が「国際法違反」といえないのは、まさにアメリカの核に遠慮しているからである。この外交姿勢があるかぎり、政府がよく使う「唯一の被爆国」という枕ことばも空虚に響くし、世界の非核国の先頭に立って核兵器廃絶へのリーダーシップをとることはできないのである。』日本政府の立場としては、「ヒロシマ・ナガサキ」を証人として立たせないわけにはいかないし、かといって「核兵器使用は国際法上違反」などといった政府の方針と反する証言もして欲しくない。そんな中で『日本政府の証人として広島・長崎両市長を申請したい、との連絡があったのは、−中略−(95年)9月19日である。』
(前掲書、p101からp104を抜粋引用) 

哲野 広島・長崎の市長を証言台に立たせろ、という国際的な声もあったわけですね?
平岡 それをニューヨークの人たちが取り上げて、そして、日本政府に言ったんじゃないかと思うんですがね。とにかく日本政府は相手にしなかったんですよ。要するに私の所に来たのが、94年だったと思いますね。94年くらいにある人を通して打診があったんですよ。ナウル共和国・・・。    
 哲野 南太平洋の?
 平岡 ナウル共和国の代理人と称する・・どういう関係かわからん、ニューヨークの弁護士。そのアメリカ人がナウル政府の代理人なんですね。その人がナウル共和国は核兵器に反対である。ついては法廷で証言をする証人に立ってくれんかっていう話がきたんです。94年の終わり頃でしょう。 
 
   核兵器保有国の極めて残虐な核実験がきっかけとなって「南太平洋非核地帯条約」が1986年に発効する。特にアメリカとフランスの核実験が問題視された。ためにこの地域に多くの被曝者が発生している。核兵器の実験・使用・製造・生産・取得・貯蔵・配備等の禁止を主な内容としているが、各国の判断で核兵器の通過も禁止している。ナウル共和国も87年に正式批准しこの条約に加わった。
(以下を参照の事。
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/Nuclear_Weapon_Free_Zone/
nagare.htm
>) 

 ナウルから言ってきたんですよ。それで僕は断ったんですね。私は日本人だと。日本政府の証人であったら喜んで出るけどね、ナウルの証人では、ちょっとおかしい、筋が違うと、言った。

  前掲書では『そのうち核兵器に反対するナウル共和国やその他から、陳述人になってもらえないか、という打診もあった。しかし私は核問題に関するかぎり、日本政府が核廃絶の立場で陳述すべきであるし、そのときは被爆地の声もあわせて伝えるべきであると思っていた。』
(p102)としている。
 

外務省から証人要請

 平岡 「広島市長の証言」は日本政府を通じてやるべきではないかと言ったんですよ。

これは私の想像ですけどね、外務省は、日本から出さなかったら、平岡はひょっとしたらナウルから出るかもわからんぞと。そうすると日本政府としたらメンツが潰れますよね。そう言うことがあったんじゃないか、突如として95年の9月頃だったと思います、証人に出てくれんかという話が来た。
 
 哲野 これは外務省から?
 平岡 外務省から言ってきたんです。そして、ついては、日本政府の方針に従った陳述をしてくれんかと言ってきたんですよ。ちょっと待ってくれ。何をいっておるか、あなた方は、私の平和宣言を読んでおるんか、といった。
 哲野 ハハハハハ。痛快、痛快。
 平岡 94年にはね、「原子爆弾は明らかに国際法違反の兵器である」と。95年にも言っておるわけですよ。繰り返して。「原子爆弾は明らかに国際法に違反する、非人道的兵器である」。2年続けて、私は言っておるんで、その人間を証人に出してね、政府の意見に沿った陳述してくれんかというのはもってのほかだと、言ったんです。で、そこでやり取りしている時に河野洋平が・・・。
 哲野 当時、外務大臣
 平岡 外務大臣だった。

  河野洋平は1994年6月から1996年1月まで村山内閣の外務大臣。

彼が電話を掛けてきてね、10月だったかな、9月の終わりか10月頃。僕は河野洋平とは顔なじみです。早稲田の後輩でもあるし、軍縮議連の議長ですから。それまでいろんなつき合いがあったんですが。「平岡さん、ちょっとその政府の方針に従って陳述してくれんかなぁ」って言うから、「冗談じゃないですよ。私も2年もね、続けて国際法違反だと平和宣言で言っているんだから。それは出来ませんよ。」と言った。「いや、そこはあなたは新聞記者出身だから上手く書けるだろう」と。(笑う)冗談じゃないよ。(笑う)

長崎にかかった圧力

 哲野 その当時の政府の見解というのは?
平岡 これは国際法に違反する兵器ではない、という見解。だから外務省の言うことは、国際法に触れるな、ということですね。要するに国際法違反ということは言ってくれるなということです。法律に触れないでね、なんか広島の被害はこうだった、ああだったと言え、と。
 哲野 なるほど。
平岡 見解を述べてはならない、ということですよ。そういうわけにいかんわね、もう国際法違反と言っておるわけですからね。それを承知で政府が私に証人に出ろというんだから。それを言わんのだったら、私、降りてもいいんですよ、って言った。その時「そう言うこと言わんと。」彼(河野洋平)もそう本気でなかった。

ま、一応電話しとこうと。(外務省の)下から言ってくるからね。どうも、平岡は言うこと聞きそうにもない・・・。で、そのいきさつはどうも私にはよく分からないですけどね、担当者同士がやりとりしてたんでしょ。外務省の役人と、広島市の担当者が。

その時僕はまだ陳述書を書いていませんからね。当然「国際法に違反する」とずっと平和宣言で堂々と言っているわけですから。それを変えるわけにいかん、といっておった。おそらく外務省の役人が、ちょっと大臣からひとつ、一声掛けておいてくれんかと、そう言う感じの電話だったですね。

 
  だからそんなにしつこくなかったですよ。まぁ、一応電話を掛けたよ、という感じ。それは顔なじみだということもあったのかわからんですけどね。そんな感じで、僕は受け取ったですね。「それは出来ませんよ」と言ったら、「ああそうか、そりゃしょうがないな」と言って、それで切った。それで今度、長崎にガンガンガンガン、外務省の圧力がかかっていった。 
 哲野 その時、長崎は伊藤一長さん。
 平岡 なったばっかり。(95年の)4月に市長に。彼は本島さんに対抗してなった。自民党ですよ。しかもそれを押したのが知事だったんです。で、広島市は政令指定都市ですからね、直に各省庁とやってるんですよ。外務省とも。

長崎市長と共に「国際法違反」

哲野 県と同格ですよね。
 平岡 ええ、同格。ところが長崎はね、県を通してくるんですよ、全部。そうすると知事に言われるわけ。伊藤さんにとっては、長崎県知事は、自分を押してくれた後援会の会長みたいな立場でしょ。伊藤一長さん、困りましてね。往生しとったですよ。それまでは本島平和行政を批判して、彼は当選したわけですからね。で、僕の所に電話が・・そうか。その時にどんどん記事が出たんですよ。「長崎が揺れている」ってね。僕は10月の末だったかな。
   
10月の中ば、か・・20日頃だったと思いますよ。せっぱつまって、11月8日がもう、ICJでの陳述の日ですからね。僕は一長さんに電話したんですよ。

「広島は国際法違反で行きますからね、お互いに揃えて行きましょう」。とにかくそれがバラバラになったらおかしいことになる、あなたの立場もおかしくなるから。広島はもう、「核兵器は国際法違反」ということで決めて居るから、と言ったんです。そしたら「わかった」って、言ってくれて。ほいじゃあ、まぁ一緒にやろうということになった。彼の陳述は凄く良かったですよ。よく感情に訴えてね。写真も出して。彼も「国際法違反」って言っちゃった。僕と一緒に。それは外務省に原稿も渡してありますから。

  平岡の口頭陳述は全文前掲「希望のヒロシマ」に掲載してあるし、また次のサイトでも読める。
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/
1995_1107_hiraoka.htm
> 


アメリカに気兼ねする日本政府

哲野 日本政府・・ま、今も同じですが、日本政府が何故、核兵器は非人道的な兵器であると認めるのを恐れたのか。今お考えになってどういう風に結論づけますか。
 平岡 それはやっぱりアメリカのね、外交政策に沿ってアメリカの言い分をそのままやってると思いますね。つまり日本は独自の外交政策を持ってるんじゃなくて、アメリカの許容する範囲内で核兵器に関しては、発言をすると。国連で毎年、なんか決議を出しますね。
哲野 ええ、総論賛成決議ですね、あれは。
平岡 そうそう。あの決議もアメリカが許容する範囲内での表現ですよね。アメリカの許さないことは絶対言ってないです。
 哲野 そうすると、アメリカが非人道的な兵器として認めないのかという問題になってきますね。 
 平岡 ええ、なってきますね。 
 哲野 それはどういう風に考えておられますか? 
 平岡 それは使ったからです。使っちゃった。「核兵器の非人道性」を認めたらもう・・。
  「ヒロシマ・ナガサキ」を否定しなくてはならなくなる・・・。本当、「核兵器廃絶」の根源はそこにあるわけです。核兵器というものは非人道的兵器だということをきちっと法律で明記すれば、ま、これは不使用宣言なり、国際条約でなりなんなり、書けばいいんです。それを認めたらもう使えないじゃないですか。
 哲野 まぁ、使えないだけでなくて、アメリカが今まで展開してきた核兵器正当化論・・・。 
 平岡 と、それからアメリカが今まで民主主義の国家だなんだと、ま、実態を抜きにして建前として、自由と人権、それから民主主義を守る国だと言ってきたんです。その価値観を共有してると言ってきたんですが、それがやっぱり崩れますよね。 
哲野 根底から崩れますよね。 
 平岡 根底から崩れる。 

「ヒロシマ」自身の問題

 哲野 だから結局、その根底から崩れる、つまり出発点のところ。行き着くところはヒロシマ・ナガサキへの原爆投下の問題をどう評価するかの話になるんだけども、
 平岡 そこを、広島も、まぁ、逃げてきたというか。これまで逃げてきた・・占領中の惰性もあるだろうし、日本人の長いものに巻かれろというのもあるだろうし、過去のことは水に流そうと言う思いもあるんでしょう。
 哲野 そのお話でもうひとつ。「ヒロシマ」が独自に自分たちの問題を深めてこなかったと言う要因は有りますでしょうか。
 平岡 うーん、有るでしょうね、それは。これは歴史責任、国家責任ということを、突き詰めて考えなかったということが、まさしくそこなんで、例えば戦争っていうものについて、「原爆は天災」だというそういう受け止め方をしたというのと、全く同じ思考方法で、戦争がどうやって起こったのか、何故起こったのか、その結果どうなったのか、その責任はどうなのかということについて、突き詰めてこなかった。

苦手なんですよ。日本人は突き詰めてずっと追求するのが苦手なんですよ。情緒的な国民ですから。論理的に得意じゃない。特に広島の人間は得意じゃない。私を含めて。
 
 哲野 だから、広島がその問題を突き詰めて来なかったという要因もある?
 平岡 ウーン、突き詰めたくなかった、というよりも、突き詰めることにためらいがあったんじゃないかな、という気がする。
 哲野 それは何故でしょうか?
 平岡 それはだから、例えばアメリカに対する遠慮、非常に複雑でしょ?原爆落とされて、日本は、解放されたと。そこで戦前の暗い生活から、新しい生活に解放された・・・。
 哲野 それは事実ですからね。 
 平岡 そのことがね、やっぱり、原爆が落ちて良かったじゃないかというところに、通底してるんですよね、若干。だから非常に複雑ですよ、屈折してます。原爆投下=解放を否定するわけですからね。一方で良かったと。

だから1947年の濱井信三市長の「原爆は不幸中の幸い」という「平和宣言」になる・・・。

  (以下を参照の事。
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/
1947_0806_hamai.htm
>) 

 哲野 確かにそれはあったんでしょうね。軍国主義、戦争から解放された日本人の気分として。 
 平岡 不幸中の幸いっていうんがね。だからあれが落ちたから・・・朝鮮人が言っているのと同じですよ。あれが落ちたから、我々は独立できたんだ。中国もそうでしょ?軍国主義が倒れて、中国が解放されたとね。その辺は、実は、日本の民衆の中にもあるんですね。あれを理由に、降伏できたと。天皇もそうですよね。あれを理由に降伏したわけですよ。ホント言えばソ連の参戦だったかもわからんけれども・・

でも理由が、終戦の詔勅には、理由がね、これ以上被害が出るのは忍びない、と。ひいては文明の破壊まで至ると、言ってメンツを保ったんですよ。だから原爆はメンツを保った。それから、アメリカもそうなんですね。原爆によって、戦争を終わらせたと。全く同じ論理なんですね、これは。日本もそうなんです。原爆によって「降伏する」メンツを保った。本来、玉砕しなきゃいけなかった。 

「繰り返しません、過ちは」

哲野 あの、今のセリフは、戦略爆撃報告の中に出てきましたね。

  (<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/
U.%20S._Strategic_Bombing_Survey/03.htm
>の「原爆は陸軍のメンツを救った」の項などを参照の事。)

平岡 あ、そうですか。
哲野 原爆は、軍部のメンツを救ったという記述が出てます。
平岡 それは、おそらく、日本のメンツを救ったということになるのかもわかりませんね。
だからアレがなかったらね、降伏できないわけよ。こんなもんが出来たから降伏したんだと。
哲野 そう。天皇軍国主義日本のメンツを救った、と同じ意味ですね。
平岡 そうそうそう。(笑う)その辺はやっぱり・・・。
哲野 アメリカの論理と共通してるようですね。
平岡 共通してますね。
哲野 或る意味、共犯関係・・・ま、共犯関係という言葉を使って良いのかどうかわからんが、共犯関係が今に至るもずっと続いているという感じがするんですが。
平岡 たぶんありますね。そこの所は明らかにしなかったのが、僕はやっぱり、慰霊碑の問題に・・・慰霊碑の文言にね、いっていると思うんですよね。
哲野 「ノーモアヒロシマ」ですか?「繰り返しません、過ちは」ですか?
平岡 「過ちは繰り返しません」のことです。その「過ち」のところに主語がないわけでしょ?それはアメリカの過ちですね、私らから考えれば。今。今考えればアメリカの過ちだったんだと。

それを人類の過ちに拡散しちゃったですね。「人類全て」の過ちなんだ、という解釈になってるんですよ、あれは、慰霊碑の解釈は。

それは、アメリカが過ちを認めた上で、もう戦争は繰り返しません、戦争をやったのは人類の過ちだというならいいけども、なんかその辺の責任追及しないまま、(原爆を使った)アメリカの過ちを、人類の過ちにしちゃったね。アメリカの責任を誰も問うてないというか、追及してないというね。
哲野 ただ、今になってみると、非同盟運動諸国は、原爆におけるアメリカの過ちを、激しく追及してますよね。

それでもICJ勧告を評価する

哲野 イランもそうだし、トルコもそうだし、ここらへんの話は一番最後に来るとして・・・。で、その翌年ですか、ICJの勧告的意見が出るのは。「核兵器」は非人道的な兵器である、ただしその使用において国家危急存亡の折りには・・・。
平岡 その限りではない、というね。条件がついてますね。
哲野 これに対して、どっかで平岡さんが失望したというような、こういう判定が出たことに対しては失望したと読んだ気がしますが・・・。
平岡 そりゃそうですね。条件付けたから。(ICJは)逃げ道を作ったですね。本来ならいかなる場合でも、いかなる理由があっても使ってはならない、使うべきでないというのがヒロシマの言い分ですから。

「しかし」というね、「しかしながら国家存亡の折り」には、もう判断しません、というわけでしょ。まぁ(ICJは)国連の機関ですから。国の主権を侵すような事は言えなかったんでしょうね、おそらく。
哲野 ということで理解していいんでしょうか。いや、というのは、あの時のハーグ国際司法裁判所の判事が12人だったかな?
平岡 14人。
哲野 その14人の人たちも、みんな同じ考えだったんでしょうか?つまり・・・。
平岡 いや、違うと思いますよ、私は。あそこにいたのはイギリスもいたですしね。中国もいたかなぁ。
哲野 日本人も居ましたよね。
平岡 日本も居ましたです、小田さんってのね。これは東北大学の海洋学の権威だということで。
哲野 それは、国家主権に触れないという配慮があったから、ああいう判断に?
平岡 だと、私は思いますね。国連ていうのは、それぞれの国の集まりですね。国際司法裁判所は、その国連の一部機関でしょ。国連から独立してないわけですね。そしたら国家というものを、主権を否定するようなことは出来ないんじゃないですかね。
 哲野 しかし、その条件を付けてしまうと、前段の「非人道兵器である」っていうのは全くどっかに飛んでしまってしまいますよね。 
 平岡 うん。飛んでしまうんですよ。 
 哲野 まさしくトルーマン政権はあの原爆投下を使用するに当たって、後でのプロバガンダにしろ、100万人、200万人の命を救った、まさしくこれ、国家存亡の時だと彼等は判断したわけだから、トルーマンの原爆投下を国際司法裁判所の判定を持って、国際的にはあれが誤りだったという判定をしたことにはならないですね。
 平岡 ならないですね。だからそれは、追認したんでしょうね。おそらく。それを否定してしまうと、核兵器禁止条約までいかないといけない。本来ね。   
 哲野 ただ、日本の世論はハーグの判断を非常に勧告的意見ですかね、非常に高く評価する人が多いような気がするんですが。 
 平岡 それまで曖昧であった、核兵器に対する、やっぱり一般的にはという条件がつきながらも、核兵器の製造、それから使用、配備、は国際法に違反する、という判断を、共通認識としてですよ、国際社会の共通認識として出たのは一歩前進だと私は思うんです。 

少なし国際社会の判断

哲野 なるほど、そういう考え方もあるのか・・・。
平岡 それはいままでなかったんですから。共通認識としてですね、国連の場において、これはやっぱり一般的にはけしからん兵器だよということを、それがどれだけ実効あるかどうか抜きにして、国際司法裁判所の場でこれが認められたということは・・・。
哲野 核兵器廃絶のためには、核兵器廃絶を準備する思想が必要なんだけども、その思想づくりにはひとつ、大きく前進させたという・・・。
平岡 これはもう共通認識ですよ。ただ、そこに抜け穴が若干あるから、これをどう塞いでいくかっていうのが、私は今後の課題としてあると思いますね。
哲野 なるほどなるほど。わかりました。ですから、付帯条件がついたこと、抜け穴がつくられたことについては平岡さんとしては大きく失望したと。
平岡 残念だと。
哲野 もしあの一項目が無かったら、トルーマン政権の原爆使用は非人道的だったという結論がポーンとすぐ出せるわけですけど。
平岡 すぐ出せるわけですね。(笑う)だから勧告的意見っていうのがどれだけ実効性があるのか、ちょっとわかりませんけどね。だけど、少なくとも国際社会の判断を仰いでいることにはなります。

国際裁判所でね、そういう判断がでたわけですからね。それが一つのベースにはなると思うんですね。そうしないと、これから核兵器を禁止して、廃絶していく根底の思想というのが・・。これは、危険な兵器だ。人類にとって。
哲野 「人類が扱うにはあまりにも革命的であり、あまりに危険すぎる。」
平岡 だからそういうことを、もういっぺん、認識して、そこから組み立てて行かなきゃしょうがないでしょうね。
哲野 そうだと思いますね。

「道義的責任」ではなくて「法的責任」

平岡 そうしないと、オバマに騙されるわけです。
哲野 ハハハハハ。
平岡 いや、ホント。  
哲野 コロっと騙されてる。
平岡 騙されて(笑う)。だから、道義的責任があると彼は言ったんだけれど、じゃあ、「原爆の実戦使用」はどうなの、と、重ねて問わなきゃいかんですね。あれは「道義的責任」じゃないでしょ。「法的責任」があるじゃないかと重ねて問わなければならない・・・。法的責任です、これは。原爆投下っていうのはね。そこをやっぱり・・ようやく、そういうところに来たんかな、ヒロシマが。私はなんか、そういう気がするんですよ。

オバマがあれ(道義的責任問題)を言わなかったら、やっぱりそこまで深められるかどうか、それは解りません。
 
やっぱり彼がああいうことを言う。もちろん、それで万歳する人もいるんだけど、待てよ、と私なんか考えるわけですよ。言ってることとやってること違うじゃないか。やっぱり、アメリカの政権の本質が見えてくるわけです。何も変わって無いじゃないか。アメリカはチェンジ、チェンジと言ったけれどもね。アフガンについても全然変わってない。沖縄についても変わってない・・・。

これはもう、非常に解りやすい形で、見えてきたわけですね。オバマ政権の本質が。沖縄の問題はまさしく「日米安全保障条約」の問題であり、日米安保の問題は、ずーっと「核兵器の問題」に連なっているわけですから・・・。

やっぱりアメリカは全然変わって無いじゃないかと。そこまでギュッと凝縮して「8・6平和宣言」書けりゃ面白いですがね。いや、ホント。今の状況の中で。

「オバマジョリティ」なんか言っておる場合じゃなくてね。

やっぱり、オバマが言っているのと違うんだ、ヒロシマは。ヒロシマが言っている核兵器廃絶っていう意味をね、もうちょっと言わないと。オバマも、同じこと言っている、「核兵器のない世界」をつくろうとかいって。しかしヒロシマがいう「核兵器のない世界」は、根底が違う。 
 網野 アメリカが言っているのは条件がついている、自分だけは最後まで持ちますっていう・・・。 
平岡 だから僕は、オバマっていうのは、大統領はああいう言い方をしたらいかん、自分が生きている間は核兵器廃絶はないだろうっていうことを言っちゃいかん、と思う。「私はなくします」って言わないといかんのや、本来。決意を・・・、その自分の決意を述べてないでしょ。核兵器をなくしますっていう、最初からもう、自分が生きている間は、核兵器廃絶は出来ないだろう、と言うからねぇ。(苦笑い)

普通政治家っていうのは目標を掲げて、これに向けて努力すると言っとりゃいいんですよ。まぁ、やっぱりインチキだなと今は思うよ。(苦笑い)。最初読んだときついにこれは、原爆投下責任を認めたかと思ったんだけど・・・。
哲野 道義的責任があるというのも、行動する・・・。
平岡 行動する、なんの行動をするかっていうのは、ようわからんよね。
 哲野 「行動」の方向性は全くあれでは明示されてませんでしたよね。

  オバマ「プラハ演説」。『核兵器を使用した唯一の核大国(the only nuclear power)として、アメリカ合衆国には行動する道義的責任があります。この真剣な試み(endeavor)にわれわれだけで成功することはできません。しかしわれわれはこれを主導することはできます。』
(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/obama/obama_04.htm>の「唯一使用国の道義的責任」の項参照の事。) 
 
平岡 明示されておらん。類推するに核拡散を防ぐ、責任があると、ま、そう読めないこともないよね。
哲野 いや、それ以外にはないです。
平岡 ない。なんにもない。
 哲野 しかも核兵器拡散ではなくて、原子力エネルギーの平和利用の権利も含めてぜーんぶ・・・。
 平岡 全部囲い込みますよと、そうとしか読めないね。 




 (以下次回)