第5回「赤旗」よ、お前もか・・・、スローガンとしての「核兵器廃絶」の終焉 そのC
(2011.2.25)
政治課題としての日本の「核兵器廃絶」

 核兵器廃絶を私たちの政治課題として考えた時、まず私たちが取り組まなければならないのは、NPT再検討会議に被爆者を送り込むことでもなければ、核兵器禁止条約交渉開始を各国に呼びかけることでもない。

 私たちが責任をもつ日本という領土からいかなる形でも核兵器を追放することなのだ。核兵器を搭載する軍艦や戦闘機を日本から追放することなのだ。アメリカの軍事基地を日本から叩き出すことなのだ。核兵器と完全に絶縁することなのだ。

 早い話、各国に「核兵器禁止条約交渉」開始を呼びかけたとしよう。非核兵器諸国、とりわけ核兵器といかなる形でも絶縁した諸国の市民たちは私たちになんというだろうか?

それは結構なことです。私たちもそれを目指して闘っています。しかし同時に日本を核兵器と無縁な地域にしてください。いかなる形でも核兵器と絶縁して下さい。私たちはそれを日本の市民に期待しています。今日本が核兵器と絶縁すれば、世界の核兵器廃絶勢力から見れば、金字塔的な大勝利です。』

とでも言うだろう。

 彼らの指摘通り、日本の領土内にアメリカ軍基地がある限り、合衆国の軍隊が存在する限り、日本は核兵器と絶縁することはできない。
 
 さてここで、この記事の冒頭の赤旗の『核兵器禁止の交渉を』と題する一面トップの記事に戻ろう。この記事の趣旨は、核兵器禁止条約の国際的な交渉開始のために署名を集めましょう、という記事だ。署名を集めて核兵器廃絶ができるならそれも良かろう。
 
 しかし私の見立てでは、日本からアメリカ軍基地を叩き出さない限り、何千万人の署名を集めても、「日本の核兵器廃絶」はその出発点にも立てない。
 
 要するにこの記事は「スローガンとしての核兵器廃絶」をいまだに呼びかけている。20世紀の間ならそれも良かろう。しかしこれまで見てきたように、「世界の核兵器廃絶運動」は、「スローガン」からはっきりと「政治課題」となった。そのことを2010年NPT再検討会議の最終文書は示している。この最終文書の歴史的価値は、アメリカを含めて核兵器廃絶がはっきり具体的な政治課題となったこと確認し合ったところにある。
 
 もちろんアメリカは「核兵器廃絶」を「スローガン」のまま永遠に止めて置きたいところだろう。しかしそのアメリカですら、これが「政治課題」となったことを認めざるを得なかった。(後悔しつつ・・・)

 この赤旗の記事は、折角「政治課題としての核兵器廃絶」が現実問題となってきた2011年、日本における核兵器廃絶を再び「スローガン」レベルに押し戻している。日本における「核兵器廃絶の課題」を21世紀から20世紀にさかのぼらせている。


「赤旗」呼びかけ賛同者の顔ぶれ

 それはこの『新「国際署名」運動』の賛同者の顔ぶれに端的に表現されている。2月16日付赤旗は、その3面に「幅広い賛同」の見出しとともに、交渉開始に向けて原水爆禁止日本協議会(日本原水協)が呼びかけた『新「国際署名」』運動に幅広い賛同が寄せられています、として筆頭にパン・ギムン国連事務総長の名前があげられ、彼のメッセージも紹介されている。中身は「スローガン」としての核兵器廃絶そのものだ。

 中で「2010年核不拡散条約(NPT)再検討会議の成功裏の結論など、最近の一連の重要な発展があるなかでとりわけ時宜を得たものになっています。」と述べ、NPT再検討会議の結論が何故成功だったのかは、彼は全く触れていない。

 現実には事務総長としてのパン・ギムンは、アメリカとNAM諸国の激突の中で、何も出来ずにただ拱手傍観していただけだった。各国声明を読んでも国連事務総長としてのパン・ギムンのイニシアティブに触れている国はアメリカ、フランス、日本を含めて1カ国もなかった。パン・ギムンは核兵器禁止条約交渉開始の提案を行い、これは最終文書の中でも特筆されたが、所詮「スローガンとしての核兵器廃絶」の形を変えたものでしかなかった。これが「政治課題」になっていないことは、参加者全員がよく知っていたのである。だからアメリカを含め全員が賛成した。最終文書でも一般論としての「核兵器禁止条約」としての扱いしか受けていなかった。最終文書では「定冠詞」をつけた特定の核兵器禁止条約の扱いはうけずに「a nuclear weapons convention」と書かれている。

 赤旗が「交渉に入れ」といってもどの「核兵器禁止条約」に関する交渉に入るのか、恐らく全員戸惑うだけだろう。

 パン・ギムンとしては、日本の市民が「スローガンとしての核兵器廃絶」にどっぷり浸ってくれていれば、それで彼の役割は十分にはたされる。こんなものを日本原水協は本気で取り組もうとしているのか?(私は日本共産党の強いリーダーシップでこの運動が始まったのだと想像している。そしてその狙いは近づく統一地方選挙で、浮動層を取り込もうと云うところにあると想像している。もし私の想像通りであれば、選挙戦略としても姑息であり、完全な誤りだ。)
 
 日本原水協が政治課題として日本における核兵器廃絶に取り組もうとすれば、ただちに「一切の核兵器と絶縁した日本」をつくり出そうという呼びかけになるはずだ。ところがそうならない。
 
 「赤旗」の記事によれば、原水協は新署名運動のために、日本の著名人11人の顔写真入りポスターもつくったという。
 
 
 ポスター(<http://www.antiatom.org/Gpress/wp-content/uploads/2011/02/chirashi_omote.pdf>)に掲載された顔ぶれは、秋葉忠利(広島市長)、クミコ(歌手)、田上富久(長崎市長)、益川敏英(名古屋大学名誉教授)、張本勲(日本プロ野球名球会!)、山田洋次(映画監督)、大江健三郎(作家)、元ちとせ(歌手)、日野原重明(聖路加国際病院理事長)、瀬戸内寂聴(作家・僧侶)、谷口稜曄(すみてる)(被爆者、長崎原爆被災者協議会会長)の11名。


再び「スローガン」へ押し戻す

 この人たち全員が「核兵器廃絶」についてどのような見解と見識を持っているのか私は知らない。多分私の不勉強のせいだろう。私が顔も名前も知らない人が2人もいる。元ちとせと言う人クミコという人だ。いずれも歌手だそうである。うち益川敏英は日本における真剣な「核兵器廃絶論者」であることは仄聞している。ただ「政治課題としての核兵器廃絶」を考えているのかどうかはわからない。全体としては有名人を並べ立てて署名を集めようという企画と見える。日本が当面する核兵器廃絶問題を市民と一緒に根本から考えてみようとする企画ではない。今私たちに必要なのは、「政治課題としての核兵器廃絶問題」を真剣に市民の間で議論し、それを政治勢力として結集していくことなのだ。それが核兵器廃絶と真剣に向かい合うNAM諸国に対する一番の支援なのだ。
 
 2015年に向けてこれから激突が始まろうとする時に、「スローガンとしての核兵器廃絶」に、日本を押し戻そうとする日本原水協にも失望するし、私の想像通りであれば、それを主導する日本共産党・赤旗にも失望する。
 
 だからこの企画で、代表的な「スローガンとしての核兵器廃絶論者」が4人もポスター入っていることは決して偶然ではない。
 
 私がこのうち多少なりとも著作や演説を読み、その人物の「核兵器廃絶」に関する識見を知っているのは、秋葉忠利、田上富久、大江健三郎、谷口稜曄の4人だけである。4人とも典型的な「スローガンとしての核兵器廃絶論者」である。
 
 大江については以前に、「ヒロシマ・ノート批判」をしたことがあり、ここでは繰り返さない。日本を代表するノーベル賞作家に対して大変失礼な言い方にはなるが、「原爆」「核兵器問題」に関する限り彼の思索は浅く、考察は表面的である。政治的素養のないことが致命的な欠陥となっている。
(長い文章で恐縮だが「ヒロシマ・ノート批判」T・Uがそれである。
http://www.inaco.co.jp/isaac/back/022-5/022-5.htm>および
http://www.inaco.co.jp/isaac/back/022-6/022-6.htm>)



NGOセッションでの秋葉

 このうち秋葉、田上、谷口の3人までは、2010年再検討会議のNGOセッションで、それぞれ自分の見解を披瀝している。それを次に見てみよう。
 
 まず広島市長の秋葉忠利。
 
 2010年5月7日、NPT再検討会議は一日NGOセッションだった。(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/NPT/2010_speaker_list_NGO.htm>を参照の事。)国連は主権国家の連合体である。従って提案も決定も主権国家が主体となる。しかしながら、NGOはその主権国家の判断や決定に大きな影響を与えることができる。まさに5月7日は、そのためにNGOに与えられた特別な日だった。NGOが自らの政策を訴えるのならば、この時しかない。
 
 この日16人の予定者の、第15番目に秋葉は演説を行った。NGOの資格は「広島市長」である。NPT再検討会議は、「広島市長」すなわち「広島の市民」全体に単独のNGOの資格と権威を認めているのだ。いかに国連社会が、核兵器廃絶問題に関して広島市民に特別な発言権を認めているかがわかろう。
 
 この時秋葉は、和解とは報復を為さない精神であり、またそれは被爆者の精神だと述べた後、次のように続けた。(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/NPT/2010_akiba.htm>を参照の事。)

平和市長会議は、2020年までにそのゴールに達することができると信じています。
 2020年という年は、被爆者の平均年齢を考えると自然から与えられた期限(limit)であるがゆえに、基本的であります。被爆者の平均年齢は75歳です。
 
 被爆者が生きている間に核兵器廃絶を行う義務を私たちは負っています。私たちはそうすることを被爆者に負っています。被爆者はその苦しみと犠牲を通して、核兵器は絶対悪であることを我々に示してきました。』
核兵器のない世界を要求する市長たちの一致した声は、それぞれの市民の心に根差していることに加えて、世界の著名な指導者たち、被爆者の緊急性の意味を共有している指導者たちも軍縮への新たな潮流を作りだしています。

 オバマ大統領はこのゴール達成へ向けて疲れも知らずに努力しています。潘基文国連事務総長もそれに関わっています。NAM(Non-Aligned Movement=非同盟運動諸国)のパートナーやその他多くの諸国もこの再検討会議ですでに支持の声をあげています。』

 本来彼は「ヒロシマ・ナガサキ議定書」に触れるべきだった。しかしこの時点では誰もその問題を取り上げないことがわかっていたので秋葉は触れることが出来なかった。私は何故2020年を核兵器廃絶の期限としたのか、この演説を読んではじめて知った。つまりそれは生存被爆者の平均年齢が85才に達する年だからである。この年には多くの被爆者が日本人の平均寿命に達し死んでしまう、被爆者の生きている間に核兵器廃絶を行おう、これが「2020議定書」の趣旨だったのである。(私は2020議定書なる文書を読んだが、どこにもその趣旨は書いていなかったし、説明書きもなかった。)
 
 核兵器廃絶は被爆者側の都合で決まるものではない。それは国際政治問題だからだ。「2020議定書」はそもそも政治文書ではなかったのである。それ自体一個のスローガンだったのである。


「核兵器廃絶」は「政治要求」

 さらにここでは、「オバマ大統領」が個人的に疲れも知らず、核兵器廃絶というゴールに向けて働いており、国連事務総長もそれに関わっている、という趣旨になっている。何を言おうとしているのか理解に苦しむが、素直に読めば、オバマや国連事務総長に任せておけば、核兵器廃絶は実現できる、といっているように取れる。
 
 しかしこれまで見てきたように、多くの市民たちの生活の要求の中で、核兵器と絶縁しようという固い意志が政治的に結集し、それが政策を形作り、世界中に非核兵器地帯が成立した。また個別的には、フィリピンやニュージーランドで「非核兵器法」が成立した。中には南アフリカ共和国のように、いったん核兵器を保有し実戦配備しながらこれを廃棄する政策を国民の政治意志で選択した国もある。核兵器大国に国のぐるりを取り囲まれたモンゴル共和国のように、1国で「非核兵器地帯」(用語としては「非核兵器地位」)を実現し、国連に認めさせた国もある。ブラジルやアルゼンチンのように隣国同士共同して「非核兵器宣言」を行い、核兵器の開発を永久放棄した国もある。

 つまり核兵器廃絶はスローガンではなく政治政策であり、政治思想なのだ。政治とはとどのつまり「相対多数」にとっての利益を実現する過程とその意志決定のメカニズムを総称する言葉だ。これらの地域や諸国の市民たちは、要するに核兵器と絶縁することが自分たちの利益になる、と判断し、決定したわけだ。相対多数の利益が政治的に実現される社会が民主主義社会である。だから「核兵器廃絶」を多くの圧倒的多数の地球市民が望んでいるとすれば、「核兵器廃絶」「核兵器絶縁」はその社会の、その地域の民主主義成熟度のバロメーターでもある。(皮肉なことだが、民主主義のチャンピオンと目されているアメリカ合衆国が、もっとも民主主義成熟度が低い、という結果にもなる。実際アメリカ合衆国は近年ますますその「擬制民主主義」の傾向を強めている。)

 核兵器廃絶はオバマや国連事務総長が個人的に決定するのではない。市民の要求でそれが政策として結実し、冷静な政治的判断として実現する。秋葉はまるでわかっていない。

 「秋葉はまるでわかっていない」などど偉そうなことを書いているが、私にしたところで最初からわかっていたわけではない。非核兵器地帯成立の過程や各国各地域の「核兵器に対する闘い」を勉強していく中で彼らに学んだに過ぎない。

 「核兵器廃絶」「核兵器絶縁」は「願い」でもなければ、「スローガン」でもない。それは「政治要求」なのだ。


醜悪な秋葉のオバマ賛美

 さらに秋葉は頓狂なことをいう。オバマ、パン・ギムンに続いて、「NAM諸国」も支持しています、というのだ。秋葉の作る文章はこれまで相当読んで来たが、論旨が曖昧であること、主語と述語のつながりが不明瞭であることが一つの大きな特徴である。
 
 ここもそうした例の一つ。NAM諸国が支持の声をあげているのが、オバマに対してなのか、パン・ギムンに対してなのか、「核兵器廃絶」なのか、あるいは核兵器禁止条約に対してなのか判然としない。全体としていえば、オバマが主導する核兵器廃絶を、国連事務総長が支援し、それをNAM諸国やその他の国が支持をしていると読める。秋葉の頭の中では、オバマを中心に事務総長、NAM各国が支持しながら再検討会議が進行している、という構図があるのだろう。
 
 とんでもない幻想である。この演説は、
 
要求されていることのすべては、被爆者の生きているうちに「核兵器のある世界」から脱しようとする政治的意志であります。あなた方はその政治的意志を生み出す権力を持っています。どうか将来のすべての世代のためにその権力を行使してください。』

 と続き最後は、「Yes, We Can.」で結ばれる。

 特徴的なことは、核兵器廃絶は政治権力を持った一部の人たちが決めることであり、秋葉を含めた一般大衆はそれにお願いする立場である、という考え方だ。この秋葉の発想は、広島市の行政全体に通じて一貫している。彼の頭の中では「権力」の重層ピラミッドができあがっており、上から下へと決定が降りていく、という構造が確固としてできあがっている。もちろん広島市においては彼が権力の頂点にいる。
 
 現実は、前述の通り、アメリカ・オバマ政権を中心とする核兵器保有国とそれを支援する西側グループ(ほとんどが原子力供給グループ−NSG<http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kaku/nsg/index.html>参加国と重なり合っている。)
とNAM諸国を中心とする非核兵器保有国の対立が今回の再検討会議の基本構図だったと言っていい。またこの対立は「核兵器廃絶勢力」と「核兵器独占勢力」の対決の構図だったということも出来る。NAM諸国が、オバマを支持したり、パン・ギムンを支持したりなどというのはおよそあり得ない話だ。

 秋葉の短い演説を通読してもらえばわかるが、彼の演説は「核兵器廃絶問題」から慎重に政治性を抜き取っているところに特徴がある。触れるのは「被爆者の悲惨」「核兵器の非人道性」「総論核兵器廃絶」「核兵器禁止条約」などである。いずれも誰も反対しない。「スローガンとしての核兵器廃絶」のお手本みたいな演説だ。秋葉の場合はこれに世界最強の権力者(もちろんこれは秋葉の頭の中の模式図の中での話だ)、アメリカ大統領・バラク・オバマへの醜悪な賛美が「ふりかけのり」のようにまぶしてある。


田上の演説

 「スローガンとしての核兵器廃絶」を連呼する点では長崎市長、田上富久の演説も同様だ。この日、NGOセッションの16番目、トリに立った田上の資格は「平和市長会議」代表である。(田上の演説は英語正文では次。<http://www.un.org/en/conf/npt/2010/pdf/mayortaue.pdf>。日本語正文では次。<http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/mayor/teirei/nptsiryou.pdf>)

 『私たち市民の願いはただひとつ、「核兵器のない世界」の実現です。』と始まる田上の演説は、自ら冒頭で「願い」という言葉を使うことによって、その主張が「スローガンとしての核兵器廃絶」であることを認めている。

 「核兵器廃絶」に反対の人間は今誰もいない。だから問題は「核兵器廃絶」なぜ実現しないのかという疑問解明に集中する。

 2010年NPT再検討会議では「核兵器廃絶」をスローガンから、「政治課題」に置き換えた途端に、核兵器を保有し続けたいとする勢力の論点が明確になった。だから、田上もNGOセッションで議論を深め、参加各国への影響力を行使するには、「被爆都市長崎」の主張を、核兵器廃絶の「願い」から「政治課題」に置き換えなければならなかった。しかし田上にはそれが出来ない。なぜ出来ないのかそれを見てみよう。田上は次のように続ける。

この願いのために、被爆者は自らの経験にもとづいて、核兵器が合法化できない、非人道的な大量破壊兵器であることを世界に伝えてきました。平和市長会議に加盟している4千人の市長も同じ願いを共有し、平和市長会議は、都市が取り組むべき最優先の緊急課題として核兵器廃絶を国際社会に求め続けています。』

 いわばこれが田上の「核兵器廃絶」へ向けての「行動計画」である。中身は貧弱である。「伝える」ことと「求める」ことしかない。秋葉同様「核兵器廃絶」は自分たちが主導権を握って廃絶させるものとは考えず、権力者が決定することと思いこんでいる。核兵器廃絶へ向けての政治的要求の主体性の欠如という言い方ができるだろう。主体性の欠如こそ「スローガンとしての核兵器廃絶論者」の決定的特徴である。


貧弱さを隠す“人間の視点”

 だから、田上は次のような言い方しかできない。

核兵器をめぐる議論は、常に国益や、軍需産業の利益、軍事技術の効率性などの視点で論じられますが、決して忘れてならないのが、“人間の視点”です。核保有国の政府の代表者は、核兵器のほんとうの恐ろしさを理解しているのでしょうか』

 “人間の視点”を持ち出して、核兵器の恐ろしさを各国の指導者は知らない、だから核兵器を廃絶できないのだ、核兵器の恐ろしさを知れば、必ず核兵器廃絶論者になるはずだ、広島へ来てください、長崎へ来てください、とお定まりの議論へ逃げ込む以外にはない。

 しかし実際には、核兵器廃絶が出来ないのは、彼らが核兵器の恐ろしさを知らないからではなく、逆にそれをよく知っているから、そこに有用性を見いだし、手放さないのである。つまり田上は、核兵器を保有している国や指導者に対して有効な議論が展開できていない。

 「核兵器保有」が国際政治問題である以上、私たちもこれを政治課題として論じなければならない。そして政治課題として論じるからこそ、「核兵器保有」対して有効な議論を展開できるし、政策も生まれる。田上にはこの視点が全く欠落している。田上に必要なのは“人間の視点”ではなく“政治課題の視点”なのだ。(あるいは“偉大なる御用学者”の影響かも知れない・・・。)

 「核兵器廃絶」を日本に当てはめて考え、それを政治課題として取り上げれば、すぐさま、「日本の核兵器絶縁」の政治課題が見えてくる。これまで見てきたように、世界の核兵器廃絶運動の流れは、まず「核兵器絶縁」を政策課題とするところから出発している。そして世界の圧倒的多数の諸国、地域が核兵器と絶縁する中で結束を固め、やっと「核兵器廃絶」をスローガンではなく、「政治課題」として確認し合い、一部行動計画(中東非核兵器地帯の具体化)まで決めて2015年という次の区切りへ向けてスタートしたのが、2010年NPT再検討会議だった。

 ところが日本はまだ、「核兵器絶縁」の政治課題すら達成していない。3周遅れのトラック走者といったところだ。


政治課題としての「核兵器絶縁」

 ここで政治課題としての「核兵器絶縁」を考えてみよう。すぐさま「非核三原則法制化」の課題が出てくる。これはすなわち「非核三原則」を国法として掲げる政府を樹立すると云うことだ。(現在の非核三原則は国法ではなく、時の内閣の行政方針に過ぎない。)

 また「核兵器を搭載しているともしていない」とも答えないアメリカの軍用機や艦船を一切日本の領土内に立ち入らせないことだ。これはすぐに日本におけるアメリカ合衆国軍隊のプレゼンスを認めない、そのことを政策とする政府を樹立すると云うことだ。そしてこれは直ちに日米安保条約解消(廃棄ではない。現行安保条約には解消条項が付属している)という政治課題が浮かび上がってくる。つまり「核兵器絶縁」を政策とする政府を樹立するということは、まず日米安保を解消することを政策とする政府を樹立するという事でもある。

 そしてそれは、『これら兵器が存続する限り、われわれは、安全と保障を維持しますし、どんな敵であろうと彼らを抑止する(to deter)効果的な兵器庫を維持します。そしてすべての同盟国を、チェコ共和国も含んで、防衛することを保証します。』(「オバマのプラハ演説」の「オバマの核抑止論」<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/obama/obama_04.htm>の項参照の事)という合衆国大統領バラク・オバマに、「核兵器などという危険なもので守ってもらわなくて結構。私たちは平和憲法を使って私たち自身を守ります。」と云うことなのだ。

 田上は、秋葉と共に「日米安保解消」は非現実的だ、というかも知れない。しかし、「スローガンとしての核兵器廃絶」掲げて「核兵器廃絶」を呼びかけるより、はるかに現実的だろう。国連での「核兵器廃絶」は、私たち日本の市民はどうすることも出来ない、ただお願いするだけにあるが、日本国内のことは私たち日本の市民で決めることが出来る。これがまさしく「イエス・ウィ・キャン」である。また、日本が核兵器と絶縁すれば、それは「政治課題として核兵器廃絶」に取り組む非同盟諸国にとってはこれ以上ない援軍であろう。

 もし、北朝鮮が攻めてきたらどうする、中国が九州を占領したらどうする、と心配する人があれば、それも一つの見方である。しかしそう信ずるなら、「核兵器廃絶」とは云わないことだ。私はアメリカの「核の傘」は必要だと思う、と堂々と表明すればいい。ただし「核兵器廃絶」を願うとか祈るとか云わないことだ。正直に核兵器は必要だ、アメリカの核の傘は必要だ、といわなくてはならない。アメリカのオバマ政権が日本にさしのべる核の傘を肯定することとアメリカの核兵器保有を肯定することは、理論的にも実際政治上も同義である。「核の傘」はアメリカの核兵器保有と実戦配備を前提にしているのだから。


論理矛盾の解消法

 日本における核兵器廃絶問題(当面は核兵器絶縁問題)は、政治課題としては先にも見たとおり日米安保条約解消からやっとスタートする。

 だから、「政治課題としての核兵器廃絶」と日米安全保障条約の両立は、論理矛盾であるばかりか、実際政治上の矛盾対立を引き起こす。日本の被爆者団体、平和運動家、市民運動や多くの核兵器廃絶論者はこの論理矛盾・実際政治上の矛盾をどうやって解決してきたか?

 それはオバマの「プラハ演説」に典型的に見られるように「核兵器廃絶」を政治課題として扱わず、「スローガン」にしてしまうことである。「スローガン化」するということは、いつまでも的を射抜かない「ヘラクレスの矢」にしてしまうと云うことだ。

 秋葉の演説、また田上の演説も「核兵器廃絶」問題から政治性を抜き取り、スローガンにしてしまった典型例だ。そういう立場から見ると、国連事務総長、パン・ギムンが2008年に行った「核兵器禁止条約交渉」の提案も、国連社会レベルの「核兵器廃絶のスローガン化」だった。「核兵器廃絶」やその前段階である各国・各地域の「核兵器絶縁化」や核兵器保有国の核実戦配備解消、核兵器による威嚇や攻撃をおこなわないことを国際的な約束にしていくこと、まだ二国間レベルに止まっている「核軍縮交渉」を非核兵器保有国を含めた「多国間交渉」にしていくことなど、政治課題としての「核兵器廃絶」むけてまだ様々問題が山積している。それは2010年NPT再検討会議での議論を通じて相当に明らかになった。こうした先決問題を無視した形での「核兵器禁止条約交渉開始」は、一幅の画餅でしかない。パン・ギムンの場合は明らかに「確信犯」だが、パン・ギムンの提案に一斉に歓迎の声をあげたのが、西側のいわゆるリベラルな世論だった、という事実はパン・ギムンの狙いが効果をあげた、ということでもある。しかしNAM諸国は騙されていなかった。今回NPT会議最終日各国声明を読んでも、「核兵器禁止条約交渉の提案」を歓迎する声は少なかった。


再検討会議は被爆体験を語る場か?

 2010年5月7日、NPT再検討会議NGOセッションの3番手に立った長崎原爆被災者協議会会長・谷口稜曄の演説は、ある意味秋葉、田上よりもひどかった。(この演説は以下。<(http://www.un.org/en/conf/npt/2010/pdf。)谷口の代表するNGOは日本被爆者団体協議会である。

 お読みなればわかるが、頭から終いまで自らの被爆体験に終始している。被爆体験を語れば世界の核兵器廃絶は実現できると思いこんでいる。私の批判に対しては「被爆者の体験を語ることは核兵器廃絶の原点であり、谷口がNGOセッションで被爆体験を語ることは当然のことだ。」という反批判が当然予想されるし、これには一理ある。

 一理あるというのは、世界は広島・長崎の原爆の惨劇を知って、核兵器の非人道性、犯罪性、反人類文明性を、現実感をもって確信したのであり、これが世界的な核兵器廃絶運動の強烈なモチベーションになった事は事実だからだ。広島・長崎の惨劇のわずか5年後、1950年に出されたストックホルム・アピールでは次のように云っている。

われわれは、人民の大量殺戮と恫喝の道具である原子兵器が違法であると宣告することを要求する。
われわれは、この手段を法的に執行するため、原子兵器の厳格な国際管理を要求する。
われわれは、一体全体いかなる国に対してであれ、最初に原子兵器を使用するいかなる政府もヒューマニティに対する犯罪を犯すものであり、戦争犯罪人として扱われるべきだと、信ずる。』
(「ストックホルム・アピール」を参照の事
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/stockholm_appeal_for_peace.html>)

 ストックホルム・アピールでは、明確に「核兵器廃絶」にまで踏み込んではいないものの、「原子兵器の使用」は犯罪と言い切っており、核兵器に対する基本認識は明らかだ。彼らの認識の基盤となったのは、広島と長崎の体験である。

皮肉なことに、当時日本はアメリカの占領支配下にあり、多くの日本人は広島と長崎がいかに悲惨な体験をし、核兵器が人類文明に突きつけている問題の存在自体を知らなかった。多くの日本人が徐々に核兵器の問題を知り始めるのは、この4年後に発生した第5福竜丸事件をきっかけにしてからである。)

 決して広島と長崎の被爆者の訴えが世界の核兵器廃絶運動の原点を形作ったものではないにしろ、「広島・長崎の体験」−それは日本人の体験というよりむしろ人類の体験だったが−が世界の核兵器廃絶運動の原点を形作ったことは事実である。


多様な体験をもとにした「核兵器廃絶」の政治要求

 しかし、2010年NPT再検討会議に集まって、政治課題として核兵器廃絶を主張した多くのNAM諸国は、決して広島・長崎の体験だけをもとにしてその主張をおこなっているのではない。
 
 南太平洋諸国の主張は明らかに、核兵器保有国の無節操、傍若無人、犯罪的な核実験による被害がもとになって、「南太平洋非核地帯」の構想から「核兵器廃絶」の主張に発展しているのだし、多くの東南アジア諸国は、朝鮮戦争、ベトナム戦争、ラオス・カンボジア紛争時、核兵器使用の一歩手前まで行った経験が原点となって「核兵器廃絶」の主張をしている。ラテンアメリカ諸国の主張は、1962年の「キューバ危機」で、それこそ最後の数時間で核戦争が回避されたという経験がもとになっている。5カ国の中央アジア諸国の主張は、長年の中ソ対立の中でいつ核戦争が中ソ間で始まり、間には挟まれた自国領土がその主戦場になるかも知れない、という恐怖体験がその主張のもとになっている。
 
 現在の中東諸国の主張は現在もっと切実だ。中東には唯一核兵器を保有する「狂犬」イスラエルがいる。周期的に巡ってくる「中東大戦争近し」の話ほど彼らを震え上がらせるものはないだろう。中東大戦争が勃発すればそれは必ず核戦争になる。孤立したイスラエルが最後に頼るものは核兵器しかないからだ。しかもイスラエルは近年ますます「凶悪化」し、理性を失っている。まさに「キチガイに刃物」である。北朝鮮も核兵器を持っているとされるが、よく見ると北朝鮮は計算高い。つまり冷静である。北朝鮮が核兵器を使うのは、自国がイラクやアフガニスタンのように西側から侵略される、その時だろう。
 
 2010年NPT再検討会議はこうした緊迫した情勢の中で開催され、「核兵器廃絶問題」が政治課題として議論されたのだ。NGOとしての日本被団協の発言はそれなりに影響力を持っていたはずだと思う。それが徹頭徹尾自分の被爆体験とは。まるで的外れである。被団協には政治課題としての「核兵器廃絶」に関する政策提言や提案はなかったのか。私は、「自分の被爆体験だけに話を限定して下さい。原爆の悲惨だけを訴えて下さい。政治問題には触れないで下さい。」という外務省のアドバイスが日本被団協か谷口にあったのだと想像しているが、それにしてもNAM諸国から見れば期待はずれというところだし、同じ日本人の私から見れば、醜態と云うほかない。
 
 谷口もまた「スローガンとしての核兵器廃絶」の亜流だと断定して構わないだろう。


「モデル核兵器禁止条約」の致命的欠陥

 そして再び赤旗の冒頭の記事に戻る。
 
 赤旗は、パン・ギムンの「スローガンとしての核兵器廃絶」を具体化した「核兵器禁止条約」を無批判に持ち上げている。
 
 現行もっとも良くできた「核兵器禁止条約」モデルは 「International Network of Engineers and Scientists Against Proliferation−INESAP(拡散に反対する国際科学技術者ネットワーク)」「 International Association of Lawyers Against Nuclear Arms−IALANA(国際反核法律家協会)」「 International Physicians for the Prevention of Nuclear War、IPPNW(核戦争防止国際医師会議)」の3NGOが共同提案している「モデル核兵器禁止条約」(原文は次で入手できる。<http://www.reachingcriticalwill.org/legal/npt/prepcom07/workingpapers/17.pdf>)であり、実によく考え抜かれた条約案であるが、致命的な欠陥をもっている。「謝罪・補償」条項のないことだ。つまり核兵器による被害に対して謝罪し、それが犯罪行為であることを認め、それに対して補償する条項だ。
 
 謝罪と補償とは何もアメリカが「広島」「長崎」に謝罪するばかりではない。(そしてヒロシマ・ナガサキの被害者は何も日本人ばかりではない。多くの朝鮮半島人や中国人そのほかの国の人たちも含んでいた。)核兵器5大国はすべて南太平洋、オーストラリア、ニュージーランドの市民に謝罪をしなければならないし、フランスはアルジェリア、南太平洋諸島の市民に謝罪しなければならない。イギリスはオーストラリアの市民やアボリジニに謝罪しなければならない。中国は自国内ではあったが、核実験場近くの市民に謝罪しなければならないし、恐怖を与えた中央アジアやモンゴルの市民に謝罪しなければならない。ロシアは自国内核実験場近くの市民に謝罪しなければならないし、現在はカザフスタンに属しているセミパラチンスク(現在はセメイと名称変更している)の市民に謝罪しなければならない。もっとも多くの地域の市民に謝罪をしなければならないのはアメリカだ。

 こうした謝罪と謝罪を形にした補償があってはじめて核兵器禁止条約は完結する。前掲「モデル核兵器禁止条約」はこの「謝罪・補償」条項を欠いているのだ。私は2年前にこのモデル核兵器禁止条約を推賞するある研究者に「なぜ、謝罪・補償条項」がないのかと問い、「それは現在の核兵器保有国が参加しやすくするためだろう」という答えを得て、納得しかけたことがある。

 しかし2年後の今日、はっきりそれは問題の立て方が逆だ、と答えることが出来る。つまり「核兵器禁止条約への賛同・参加」はこうした謝罪や補償の結果なのであって、決してその逆ではないと云うことだ。核兵器保有国の市民が、自国の犯した犯罪行為を検討し、その上に立って、謝罪を行い、その結果として核兵器禁止条約に参加するだろうということだ。そうした自己批判・反省なしには決して核兵器禁止条約は成立しない。だから「謝罪・補償」条項を欠いたままの、現在の「モデル核兵器禁止条約」もまた「スローガンとしての核兵器廃絶」に分類するほかはない。(ただこれはこの条約案から学ぶことがないという意味ではない。多くの分析と思索が加えられており私たち市民が学ぶところは実に多い。やはり専門家は凄いと思わざるを得ない。だからこのモデルを批判的に継承していく姿勢が必要なのだと思う。)



 パン・ギムンの「核兵器禁止条約開始」の提案は、必ずしも特定の「核兵器禁止条約モデル」を提案したものではない。前述のごとく2010NPT再検討会議でも「核兵器禁止条約」には「a」の不定冠詞がかぶせられ、特定していない。だから、「核兵器禁止条約」交渉開始を云う前に、本来交渉すべき「核兵器禁止条約」を特定しなければならない。
 
 「核兵器禁止条約」がまだ「スローガン」の段階に止まっていることの証拠であり、今の段階での提案は、目的と結果が逆さまになった、言わば逆立ちした「核兵器廃絶運動」ということになろう。パン・ギムンの狙いはやっと政治課題化した核兵器廃絶をもう一度「スローガンの段階」に押し戻そうということだ。
 
 その狙いに日本原水協がやすやすと乗り、日本共産党の機関紙である「赤旗」が大いに持ち上げ、その署名を集めるというのはどうしたわけか。そしてそのポスターには、代表的な「スローガンとしての核兵器廃絶論者」の有名人をズラリとならべる。「政治課題としての核兵器廃絶」に取り組むNAM諸国は、この日本共産党の動きを知ったら恐らく失望するだろう。
 
 共産党は変質した、と私は判定せざるを得ない。日本に満ちあふれている「スローガンとしての核兵器廃絶論者」の中に日本共産党もまた参加した、と判定せざるを得ない。
 
 統一地方選挙も近い。日本における「核兵器廃絶」を実現するために、「日米安全保障条約」を解消できる政府を作りましょう、というのなら私は日本共産党に1票入れる。
 
 しかし国連で(まだ具体案などありもしない)「核兵器禁止条約交渉に入るよう署名を集めましょう」と「スローガンとしての核兵器廃絶」復活に手をかす日本共産党になら私は、「赤旗よ、おまえもか・・・」と呟きつつ、票を入れない。それはアメリカ・オバマ政権を喜ばすだけだから。 
 
 「スローガンとしての核兵器廃絶」には今こそ止めを刺さなくてならないのだ・・・。


(この項了)