No.026 平成21年8月14日


正気と狂気のはざまの平和式典―2009年原爆の日 「核兵器廃絶」と「民主主義社会」の実現



「正気を取り戻そう」

 2009年、広島と長崎における「原爆の日」の式典で、私がもっとも感銘を受けたスピーチは、第63回国際連合総会議長、ニカラグア出身のミゲル・デスコト・ブロックマンのあいさつであった。
デスコト
<http://en.wikipedia.org/wiki/Miguel_d%27Escoto_Brockmann>
または<http://unic.or.jp/unic/press_release/104>

 デスコトは実に明快だった。彼は国連総会議長として、またローマ・カトリック教会の司祭として、広島と長崎に対して行われた「核兵器攻撃」を率直に謝罪し、かつ日本の「兄弟・姉妹」に許し(forgiveness)を求めたのである。

 謝罪をすることは誤りを認める事であり、国連総会議長が誤りを認める事は、戦後トルーマン政権以来アメリカの歴代政権とそのプロパガンダが、営々と築いてきた「原爆ドクトリン」の正当性を否定することだ。

 そして、「原爆ドクトリン」の正当性を否定することは、「核兵器保有国」の核兵器保有の正当性をこれまた否定することになることを計算しつくした発言であった。

 だから、国連安全保障理事会はともかく、第63回国連総会とその議長は、広島と長崎に対する「核兵器攻撃」を誤りと認め、謝罪をしたと見なす事ができる。もちろんデスコトは『国連総会決議』を持って広島や長崎に乗り込んできたわけではない。しかし、ニカラグア・サンディニスタ革命を生き抜き、今年76歳になるこの老練な政治家は、強引に同じ事をやってしまったのだ。

 その上で、広島においては、われわれが「正気」を取り戻す事を呼びかけ、また広島がその先頭に立つ事を要求した。また長崎においては核兵器による「抑止」「安定」、また現在進められている「核軍縮」を「言葉の欺瞞」と呼び、この「不誠実と偽善」を直ちにやめなければならない、と説いた。


「解放の神学」との出会い

 ミゲル・デスコト・ブロックマンの広島と長崎における発言を検討する前に、デスコトという人物をみておこう。

 デスコトは1933年(昭和8年)ロスアンジェルスで生まれた。大恐慌のまっただなかであり、デコストの生まれた翌月、33年の3月にはアメリカでは、フランクリン・ルーズベルト政権が成立する。聖職者の道を歩んだデコストはローマ・カトリック教会メリノール宣教会(Maryknoll congregation)の司祭に任命される。この間のデコストの活動については、国連プレスセンターの記述が次のように伝えている。

 1960年代初頭、メリノール宣教会司祭に任命されたデスコト氏は、世界各地を巡り、ほとんどの国の首都を訪れたほか、立ち入ることが難しい遠隔地にまで足を伸ばし、貧しい人々の援助に多くの時間を費やしました。1963年には、労働者の権利擁護のための地域社会活動を通じ、サンティアゴ(*チリ)周辺のスラム地域(callampas)に暮らす恵まれない人々の地位を向上させるため、チリで国家人民行動研究所(INAP)を 創設しました。1972年12月の地震でニカラグアの首都マナグアに大きな被害が発生すると、デスコト氏は地震被災者に対する援助を結集。1973年に同氏が創設したニカラグア共同体総合開発基金(FUNDECI)は現在、ニカラグアで最も古く、かつ最も評価の高いNGOの一つとなっています。

 デスコト氏は1970年、メリノール宣教会ニューヨーク本部の社会コミュニケーション部長に就任し、オービス・ブック(Orbis Books)を創設しました。オービスはメリノール宣教会男子会の出版部門として、しばしば第三世界の視点から、精神世界や神学、時事問題に関する著作を刊行し、瞬く間に宗教書の一大出版社へと成長しました。』
<http://unic.or.jp/unic/press_release/104>
 
 徹底した人道主義的宗教家デスコトが、革命家に変身するのは、恐らくは「解放の神学」(Liberation Theology)との出会いでがきっかけであろう。

 「解放の神学」は、
グスタボ・グティエレスら主に中南米のカトリック司祭により実践として興った神学の運動」<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%A3%E6%94%BE%
E3%81%AE%E7%A5%9E%E5%AD%A6>


で、
社会正義、貧困、人権などにおいてキリスト教神学と政治的運動の関係性を探る傾向を持つ。フィリップ・ベリマンによれば「解放の神学」は『貧苦と闘い、希望を持つ者のキリスト教信仰の解釈であり、社会とカトリック信仰、キリスト教への貧者からの批判』」を特徴とする。」(同)

 従って「解放の神学」は、いわばローマ・カトリック教会の一部から起こった「人道主義」「民主主義」を求める、一種の社会主義運動と見なす事ができるであろう。


サンディニスタに参加

 「解放の神学」への理解と共感を深めつつ、デスコトは秘密裏にニカラグア・サンディニスタに参加する。
(サンディニスタ=サンディニスタ民族解放戦線-FSLN
<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%87%
E3%82%A3%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%82%BF%E6%B0%91%E6
%97%8F%E8%A7%A3%E6%94%BE%E6%88%A6%E7%B7%9A>)


 第二次世界大戦が始まるころから、1970年代を通じて、ニカラグアはソモサ一族に支配されていた。ソモサ一族は3代43年間にわたってニカラグアを支配し、その最盛期ニカラグアの国内総生産の約半分を直接・間接に系列企業で押さえていると云われる。アメリカ帝国主義は一貫してこのソモサ独裁政権を支持し、支援していた。
<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%A2%E3%82%B5>

 このソモサ支配に対抗してできた組織が「サンディニスタ民族解放戦線」である。デスコトも参加した『反ソモサ』『反アメリカ帝国主義』を戦った「サンディニスタ民族解放戦線」は、1979年、ソモサ政権を倒し、左翼的傾向をもった政権を誕生させる。これが1979年のニカラグア革命である。
<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83
%87%E3%82%A3%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%82%BF%E9%
9D%A9%E5%91%BD>)


 デスコトは成立当初から、サンディニスタ政権、ダニエル・オルテガ大統領の下で外務相に就任、サンディニスタ政権が総選挙で下野する1990年まで一貫してその職にとどまり続けた。


レーガン政権の干渉と「コントラ」

 しかしニカラグア革命が成立したあとも決して道は平坦ではなかった。まずサンディニスタ内部で勢力争いが起こって分裂した。どの国でもそうだが「革命」とは、まず優れて権力闘争である。その際、私心をもたない人民のための政治を行おうとする勢力が勝利を収めるとは限らない。また最初は、私心を持たないグループであっても、後に腐敗、特権階級化し堕落していくケースも多い。

 ニカラグアでもそうした権力闘争が起こった。しかもニカラグアの場合は、アメリカ・レーガン政権の強力な後押しを受けた反政府組織「コントラ」が成立したため、さらに様相は複雑になった。コントラはソモサの残党を中心勢力とする。

 日本語Wikipedia「コントラ」
<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%8
8%E3%83%A9>
は、次、「コントラ」について次のように書いている。

1979年のサンディニスタ革命政権の成立を危惧し、当時のアメリカ合衆国のレーガン共和党政権の資金提供によって活動した反政府民兵(事実上の傭兵)による。』

 コントラはアメリカ・レーガン政権の丸抱えの軍隊であり、レーガン政権による「コントラ支援」は、その実あからさまな帝国主義的内政干渉だった。レーガン政権がこれほどまでにニカラグア革命に干渉したのは、ニカラグアが「第二のキューバ」になることを恐れたからだと云われる。それはアイゼンハワー政権の時に、時の国務長官ジョン・フォスター・ダレスが「ドミノ理論」を振りかざして積極的にベトナム戦争に介入していったいきさつとよく似ている。


イラン・コントラ事件

 話は横道に逸れるようだが(もう逸れてるかな?)、このニカラグア革命介入の際、発生した事件が「イラン・コントラ事件」だった。この事件が発覚するのは1986年だが、実際には、1981年ドナルド・レーガンが大統領に就任すると同時に進行していた。

 この事件は、簡単にいうと、当時「イラン・イラク戦争」を戦っていたイランに対してアメリカ政府が武器輸出・販売をする、そしてイランから受け取った代金をニカラグアの「コントラ」に回す、という内容だった。なぜこれが一大スキャンダルに発展したかというと、イランに武器販売をする事も、アメリカ連邦政府の資金をもってニカラグアの「コントラ」を支援する事もアメリカ自身の法律が禁じており、アメリカ政府自身が法律を犯していたからである。

 当時イランでは「ホメイニ革命」が成立していた。アメリカの傀儡パーレビ政権を倒した「イスラム・イラン」は「民主主義社会」の敵であり、当時発生した「アメリカ大使館人質事件」と共に、「暗黒の中世時代に逆戻りしたイラン」を解放しよう、といった類のプロバガンダがさかんに流されたものだ。

 この「イスラム・イラン」を潰すべく戦争を挑んだのが「サダム・フセイン」のイラクだった。これが「イラン・イラク戦争」である。西側社会もこぞってフセインのイラクを支援し盛んに武器援助を行った。当然イランに対して「武器供与」などとんでもない話である。

 一方、当時民主党が優勢のアメリカ議会は、国家予算から発生する資金で「コントラ」を援助することを禁ずる法律を成立させていた。(これは今考えるとカーター大統領の力である。)

 つまりレーガン政権のイランに対する武器輸出、その代金でコントラに援助するというやり方は二重にアメリカの法律に違反し、明るみにでればスキャンダルに発展するわけである。

(* この事件の概要は<http://ja.wikipedia.org/wiki/イラン・コントラ事件><http://www10.plala.or.jp/shosuzki/chronology/usa/iracongate.htm>の二つのサイトを読むとおおむね理解できる。なおこのサイト「ラテンアメリカの政治」<http://www10.plala.or.jp/shosuzki/>は、素晴らしいサイトだ。)


サンディニスタの分裂と敗北

 ミゲル・デコスト・ブロックマンはこの間一貫して、オルテガ政権の外務相だった。そして国連対策、アメリカ対策に苦労する。当時レーガンはコントラを「自由の戦士」として大いに持ち上げ、その宣伝は日本を含む大手マスコミを通じて世界中にばらまかれていた。人によっては残虐な独裁政権がニカラグアを支配している、といったイメージで捉えた人もいたのではないか?
(* 私も当時ニューヨークにいた。そしてニューヨーク・タイムスやウォール・ストリート・ジャーナルの記事で、いかにサンディニスタが悪逆非道な反民主主義政権であるかを散々読まされていた。)

 1990年、ニカラグア総選挙で、内部分裂の末サンディニスタ(FSLN)は敗れ、チャモロ政権が成立し、オルテガは下野する。この時、選挙に不正があってはならないと国連選挙監視団がニカラグアに派遣された。国際的にもオルテガ政権は不正をするかも知れない、という宣伝がなされた。

 サンディニスタは、1979年、政権についたあと、大きく3つに分裂する。

 「持久人民戦争派」と呼ばれるグループは、国民の大部分をしめる農民層を中核とした持久戦による革命を主張した。このグループはどこか毛沢東主義を連想させる。プロレタリア潮流派は都市プロレタリアートを中核とした革命を主張した。これは、ロシア革命直後の戦時共産主義の理論やその後のスターリン指導下のコミンテルンの理論を思わせる。

 オルテガのグループは、「第三の道派」とよばれた。それは、「資本家から司祭、学生、中流階級、青年失業者、スラム街の居住者まで広範な層の人々による闘争」を主張した。その主張は「人民民主主義革命」統一戦線理論によく似ており、ニカラグアにとって必要なのは社会主義体制なのではなく、それ以前にアメリカ帝国主義からの独立を中心とした「民族独立・近代民主主義革命」だ、と主張しているように見える。最終的にはFSLNは、オルテガの下に結集し、2006年の選挙で勝利し、オルテガは、2007年、17年ぶりに政権に復帰し、大統領に就任する。

 デスコトは、1990年の総選挙でサンディニスタが敗れた後も一貫してオルテガを支持し続けた。

ごく端的に言って、私にはオルテガが正しいように思う。ある国が他の国の支配を受けていたり、強い影響下にあるということは、その国は自分の運命を自分で決められないということだ。自分の運命を自分で決められなければ、民主主義も、社会主義もなにもあったものではない。民主主義以前の話だ。それはアメリカの強い影響下にある今の日本の状況をよく考えてみればすぐわかる。自分のことが自分で決められないのだから話にならない。)
 


第63回国連総会議長に就任

 2008年、ラテンアメリカ諸国とカリブ海諸国は一致して、ミゲル・デスコトを国連総会の次期議長候補に強く推した。2008年6月4日、国連総会は発声投票(事実上の満場一致)でデスコトを63回国連総会の議長に選出した。ここからデスコトの持ち前が発揮される。

 まず注目されるのは国連議長顧問の選任である。デスコトは15人の上級顧問(senior advisers)を選ぶのだが、この中にノーム・チョムスキー(アメリカ)、ラムゼイ・クラーク(アメリカ)、ジョセフ・スティグリッツ(アメリカ)が含まれている。いずれも根っからの民主主義者である。ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky)は言語学者として高名な人物であるが、同時に社会哲学・政治哲学の分野でも素晴らしい業績を残している。徹底した民主主義者であり、その立場からアメリカ政府の政策やイスラエルのパレスティナ政策を批判し続けている。
<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E
3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83
%A0%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC>


 ラムゼイ・クラーク(William Ramsey Clark <http://ja.wikipedia.org/wiki/ラムゼイ・クラーク>はリンドン・ジョンソン政権で第66代司法長官を務めた法律家であるが、彼の民主主義者ぶりも徹底している。南部黒人の人権を守る戦いの先頭に立ったほか、ベトナム反戦運動にも参加、最近では、ユーゴ裁判の戦犯ラドヴァン・カラジッチ、また戦犯で訴追されているミロシェビッチ元ユーゴスラビア大統領、また2004年にはサダム・フセイン元イラク大統領の弁護にもあたった。クラーク自身がミロシェビッチやフセインを支持しているわけではもちろんない。むしろこうした法廷活動を通じて、闇の中にある、しかし人民が知っておくべき事実を明るみに出そうとしたのかも知れない。

 ジョセフ・スティグリッツ(Joseph Stiglitz
 < http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%8
3%A7%E3%82%BB%E3%83%95%E3%83%BBE%E3%83%BB%E3
%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B0%E3%83%AA%E
3%83%83%E3%83%84>
は、高名な経済学者である。彼の優れた業績は「グローバリゼーション(世界のアメリカ化)」の正体を暴き、そのことがいかにアメリカ金融資本の利益にかなっているかを明らかにした点であろう。


国連民主化を旗印に

 国連総会議長としてのデスコトの目標は国連の「民主化」だった。デスコトの批判は国連安全保障理事会の5常任理事国、すなわちアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の持つ「拒否権」に向けられた。実際国連総会の決定は、全体から見れば、勧告的決定に過ぎず、現在でも国連は、安全保障理事会の決定が最終的な決定である。国連が成立したのは1945年10月だが、今に至るも国連は実質「5大国」が支配しているのだ。核兵器廃絶という目標に向かってはこのことが大きな障害になっている。というのはこの5大国はいずれも「公認」の核兵器保有国だからだ。決して自分たちに不利な決定をしない。国連の運営を、真に民主化しない限り、国連は「核兵器廃絶」の牽引車たりえない。

 デコストは2008年6月4日国連総会議長に選ばれた後、次のように発言している。

 私の議長職の間には、国連の民主化が世界全体の叫びなのだという点を強調したい。国連総会再活性化作業部会に対して満腔の支持を約束する。」
http://www.voanews.com/english/archive/2008-06/2008-06-04-
voa63.cfm?CFID=267028432&CFTOKEN=80371470&jsessionid=00
30b5b17b1959ff7ee17e254a3b6c48d574>

 また、2008年暮れから2009年始めにかけて、イスラエルがパレスティナのガザを攻撃した時(私はこれを「ガザの大虐殺」と呼んだ。)、安全保障理事会が開かれ、その内容は全く明らかにされないまま、いかなる決議も声明も出せなかった。2009年1月3日、総会議長としてデコストは次のようにいった。

 再び、世界は国連安全保障理事会が全く機能していない事を、あわてふためいて見守るだけだ。」
<http://www.undemocracy.com/securitycouncil/webcastindex/
2009#d2009-01-03>)

 この時、国連事務総長の潘基文の醜態ぶりは有名である。事務総長として何ら有効な手を打てなかったばかりか、自身のガザ訪問の時には、国連施設にイスラエルから攻撃を受けて破壊されても、抗議声明を出すのがやっとだった。国連はイスラエルから完全になめられたのである。イスラエルは、安全保障理事会に常任理事国としてアメリカが入っており、そのアメリカが拒否権を持つ限り、イスラエルに対して有効な手だては打てない、と知っているのだ。


アメリカ帝国主義批判

 国連の運営が、1945年の時のまま、最終的に5つの常任理事国の密室的談合で決まっており、その運営を維持しようとしているのがアメリカであって見れば、デスコトとアメリカが衝突しないはずがない。もっともデスコトがオルテガ政権の外相であり、そのオルテガ政権が先にも見たように、レーガン政権のあからさまな介入に苦しめられたことを考えれば、デスコトは一貫してアメリカ帝国主義の批判者だった。勘違いしないで欲しいのは、デスコトはアメリカの批判者なのではなく、アメリカ帝国主義を批判してきたのだ。

 2004年、デスコトはロナルド・レーガンのことを「国際的無法者」「ニカラグア人民の屠殺者」と形容したし
<http://www.reuters.com/article/worldNews/idUSN04295899
20080604?sp=true>

 「レーガンの後継者たるジョージ・W・ブッシュ(*子ブッシュ。父ブッシュもレーガン政権の副大統領としてイラン・コントラ事件に関係している。)は、世界をかつてなく不安定なものとし、もっとも安全でないものにした。」と批判している。
<http://www.reuters.com/article/latestCrisis/idUSN03424970>

 デスコトは特に、アメリカのアフガン侵略とイラク侵略を強く批判してきた。

 デコストが08年9月、正式に第63回国連議長に就任した時の「あいさつ」は語りぐさである。

・・・国連安全保障理事会のある国は(*アメリカとは名指ししていない)、「戦争中毒」(“an addiction of war”)であることは誰も否定できない。これが世界平和と安全に対する真の脅威なのだ。・・・ある国がテロリストの支援国家どうかを決定する権限は、どの国も持っていない。』

といい、アメリカのイラク戦争について次のように云う。

これまでに、軍事攻撃と占領の直接の結果、120万人以上の人々が死亡した。』
 (<http://www.voanews.com/english/archive/2008-09/2008-09
-17-voa7.cfm?CFID=269503525&CFTOKEN=18313546&jsession
id=0030b25e7d28cfae1572733b17917173431e 
>)

 私もデスコトと共にそう思う。「オバマ人気」に乗せられずに、今の世界の現状をみれば、デスコトの主張は正しい、と誰しも思うであろう。

これに対してブッシュ政権やオバマ政権も激しく応酬してきた。

【写真は、08年9月、第63回国連総会初日であいさつするデスコト。前掲VOAのサイトからコピー。オリジナルの著作権はAFPが持っている。】


原爆攻撃を率直に謝罪

 相当前置きが長くなった。ミゲル・デスコトの、2009年8月の、広島や長崎での発言の真意を理解するには、デスコト自身に対する理解が不可欠だと思ったからである。
 なお、ミゲル・デコスト・フロッグマンの09年広島での平和記念式典のあいさつは拙訳を使う。いわゆる「広島市仮訳」はどうもしっくりこない。なお広島市に問い合わせてみると、これは「広島市」が訳したものではなく、外務省が訳したものだという。どうにもわけがわからないが、このいきさつは
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/
2009_02.htm>
及び
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/
2009_03.htm>
の8月12日付けの追加註を参照されたい。)

 冒頭にも触れたように、デスコトのあいさつの最も特徴的な事は、国連総会議長としてまた、「エノラ・ゲイ」の機長だったポール・ティベッツがカトリックの信者だったことを捉えて、同じカトリックの聖職者として率直に、広島に原爆攻撃に対して謝罪していることである。

 デスコトはまず、

 私は、今日この場に私たちの国際連合総会の議長として来ています。しかしそればかりではなく、私個人としても(in my personal capacity)ここにきています。』

 と自分が広島へやってきた立場を明らかにした上で、

 1人のローマ・カトリック教会の聖職者として、またナザレのイエスの弟子の1人として、私は、心の底から、日本の兄弟姉妹からの許しを求めます。(seek forgiveness)というのは、あの運命的なB-29エノラ・ゲイの機長、今は故人のポール・ティべッツはローマ・カトリック教会の信者だったからです。あの出来事の後、カトリック教会の従軍聖職者だったジョージ・ザブレッカ神父が、これは(*広島に対する原爆攻撃)は、イエスの教えに対する、想像しうる最悪の裏切り行為の一つと認めた事は、せめてもの私の慰めではあります。ローマ・カトリック教会の名において、私はみなさんの許しをお願いします。(ask your forgiveness)

 と率直に謝罪し、許しを請う。

ティベッツを引き合いにした意味

 これはある意味、ティベッツに云わせれば、「余計なお世話」かも知れない。というのは確かにティベッツもデスコトもローマ・カトリックの信者だが、デスコトの属している「解放の神学」派は、決して、ローマ・カトリックの正統でもなければ、バチカンの公認でもないからだ。現在の「教皇ベネディクト16世も教理省長官時代からの解放の神学の反対者として知られている。」
<http://ja.wikipedia.org/wiki/解放の神学>

 またニカラグア革命の後、オルテガ政権入りした「解放の神学」派閣僚は、デスコトを含めて3人いるが、1980年代、この3人はバチカンから聖職者の身でありながら、政治活動に関わったとして譴責を受け、聖職者の資格を停止されている。
<http://en.wikipedia.org/wiki/Miguel_d%27Escoto_Brockmann>

というのも、「解放の神学」は、貧者の側からの既成宗教(この場合はバチカンを総本山とするローマ・カトリック教会だが)に対する内部告発でもあるからだ。突き詰めて行くとローマ教皇の、あるいはバチカンの権威を傷つけかねない。しかし、デスコトの側から云わせれば、自分たちの方が本来のキリスト教に忠実なのだ、といいたいところだろう。

 広島でのあいさつの中で、デスコトが「ナザレのイエスの弟子の一人として」とわざわざ断っているのはこうした意味をもつ。

 ともあれ、ローマ・カトリック教会はバチカンを正統とするなら、デスコトは異端なわけであり、ティベッツからすれば、「ローマ・カトリック」の正統者面をするな、といいたいに違いない。つまりデスコトは涼しい顔をしてローマ・カトリック教会を代表して謝罪したわけだ。

 デコストがこの事情を知らないわけはなく、ポール・ティベッツを引き合いに出して謝罪したということは、当然国連総会議長として「アメリカに代わって謝罪した。」という解釈ができる。


したたかな核兵器廃絶論者

 国連を代表して(そして頼まれたわけではないがアメリカに代わって)、「広島」に謝罪することの意味は実は大きい。謝罪は誤りを認めるところから出発する。少なくとも英語の文脈からすれば、そうなる。その上で日本の「兄弟・姉妹」に「許し」(forgiveness)を求めている。

 ここで、トルーマン政権以来の「原爆正当化理論」を思い出していただきたい。要約して云えば、「日本の軍国主義者を壊滅させるためには、日本を早期に降伏させる必要があった。そのためには原爆(核兵器)を使用する必要があった。その結果多くの失われたかも知れない人命が救われた。だから原爆の使用は人道的だったし、正義の行いだった。」が出発点である。これが「原爆ドクトリン」である。

 この出発点から「ソ連は侵略国家である。このソ連の侵略行為を抑止するためには核兵器が必要である。だから核兵器は平和の兵器であり、民主主義社会を守っている。」へと発展させる。(レーガンはソ連を悪の帝国とまで呼んだ。)

 「だからアメリカが核兵器を保有し、使用するのは人道的でありかつ正義である。」こうして「核兵器の保有と使用」は正当化されてきた。逆に原爆の犯罪性は覆い隠されてきた。

 この「核兵器保有正当化理論」の出発点は、「原爆ドクトリン」であり、「ヒロシマ」にある。

 「ヒロシマ」が誤りであったとなれば、それ以降積み上げられてきた「核兵器保有正当化理論」は、音をたてて瓦解する。だからオバマがプラハで「唯一核兵器を実戦使用したアメリカの道義的責任」を認めた時、アメリカを代表する保守新聞「ウォール・ストリート・ジャーナル」は間髪を入れず反応した。この言葉が「核兵器保有正当化理論」を壊す危険性を孕んでいることを看取し、オバマを非難したわけである。

 デスコトはそうした事情を百も承知で、2009年広島で謝罪し、許しを求めたわけである。私は、これを聞いた時デスコトは本物の核兵器廃絶論者であり、しかもかなりしたたかな核兵器廃絶論者だと思った。


本物の核兵器廃絶論者

 彼が本物の核兵器廃絶論者であることは、この短い「あいさつ」のそこここにちりばめられている。たとえば。

 『 この地球上から核兵器を廃棄するまで、またそうしないなら、そして核兵器を製造する能力を信頼できる、また永続性のある国際管理の下におくまで、核兵器が再び使用される危険を除く事はできませんし、これまでも成功しなかったし、これからも成功しないでしょう。』

 また長崎では次のようにも云っている。

 核攻撃による瞬間的な壊滅の脅威は「抑止」と呼ばれ、お互いに対する恐怖は「安定」と呼ばれています。「軍縮」は通常であれば削減を意味しますが、核戦力の廃絶というより近代化を意味するものでもあります。我々は、この不誠実で偽善的な詭弁をやめなければなりません。』
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/2009
_05.htm>)


 「核抑止論」の欺瞞性を衝き、「核軍縮」は決して「廃絶」を意味するものではなく、「軍縮」に名を借りた「核兵器の近代化」だったこと、核抑止論に基づいて核兵器を何千発も実戦配備することを「安定」と呼ぶことの欺瞞性を鋭く糾弾している。

 本物の「核兵器廃絶論者」ならば、「核抑止論」はいかに欺瞞に満ちた詭弁論法であり、いかに論理的に精緻に作られていても、それが形を変えた「核兵器保有正当化論」であることを見抜いてしまう。

 そして「テロリストの脅威」(かつてはソ連の脅威、共産主義の脅威だったが)が、本当の脅威なのではなく、「数千発の核兵器が実戦配備されている事。」、すなわち現在もわれわれが「ヒロシマ・ナガサキ」直前の状況にいることが、真の脅威であり、本当の危険であることを理解するはずだ。デスコトはそうした本物の「核兵器廃絶論者」の一人である。

 デスコトは、オバマがプラハでいったように、また4人の元国防長官や国務長官らが共同で書いた「核兵器のない世界」で説いたように「テロリスト」の脅威が本当の危険なのではなく、核保有国の保有する「核兵器」そのものが、危険なのであり、人類に対する脅威なのだ、と訴えている。


オバマへの痛烈な批判

 これら指摘は、オバマが「プラハ演説」で示した「核兵器に対する姿勢」に対する痛烈な批判と読む事もできる。

 オバマは「核兵器のない世界」を目指すと云いながら、その実「私が生きている間はその時は訪れないだろう。」と正直に告白した後で、「核抑止の力でチェコの皆さんは守ります。」と約束している。そして、「核兵器廃絶へ力強い第一歩を踏み出す。」と宣言した上で、「ロシアとの核弾頭削減交渉」(核軍縮)、CTBT(包括的核実験禁止条約)の早期批准、核分裂物質の「カットオフ条約」の批准、あとはテロリストを念頭に置いた核兵器及び核分裂物質の国際管理体制の確立を上げている。こうしたことが本当に「核兵器廃絶」の道なのか?
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/obama/obama_04.htm>

 デスコトの言を信じるなら、「完全な核軍縮」を目指さない「軍縮」は欺瞞でしかない。そうした欺瞞の「軍縮」をオバマもまた引き継いでいる。だからー。

 この地球上から核兵器を廃棄するまで、・・・・核兵器が再び使用される危険を除く事はできません。』

 とするデスコトの09年広島における発言は、チェコ市民に対しては「核抑止論」を展開しつつ、「核兵器のない世界」を標榜し、現に「軍縮」はするが「廃棄」はせず、「私が生きている間は(核兵器廃絶は)実現しないでしょう」としゃあしゃあと言ってのけるオバマに対する痛烈な批判となっているのだ。


広島の役割への提案

 さらにデスコトは、「広島」の役割についても述べている。

 日本が核攻撃の残虐性を経験した世界でただ一つの国であり、かつその上に、日本が世界に対して「許し」と「和解」(reconciliation!)の意義深い実例をしめした、という事情を考慮するなら、私は、日本は、この象徴的な「平和の都市」、聖なるヒロシマに核兵器保有国を招集するもっとも高い道義的権威をもっており、』

 広島を「City of Peace」(平和の都市)と呼び、また「聖なるヒロシマ」(holy Hiroshima)と位置づけた上で、その広島に核兵器保有国を招集(convene)する道義的権威がある、と述べている。つまり「広島」は核兵器保有国を招集し、核兵器廃絶について話し合わせるべきだ、と述べているのである。これはデスコトの広島に対する提案だと考えるのは私一人だろうか?

 私は、ヒロシマは「腐っても鯛」だといつか書いた事がある。デスコトはヒロシマの「賞味期限」をまだ認めてくれている、というべきだろう。「賞味期限中」にヒロシマは自らのなすべきことを行うべきだ、「オバマに広島にきてもらう。」のではなく、オバマに限らず核兵器保有国の首脳を広島に呼びつけ(convene)、「核兵器廃絶」を協議させれば良いのだ、とデスコトは云っているように聞こえる。
ただそのためには、日本は第二次世界大戦中の犯罪行為を率直に謝罪し、多くの周辺諸国と歴史的和解を遂げておく必要があるのだが・・・。)


「ゼロ寛容」に込められた皮肉と反論

 最後にデスコトは、ごく当たり前の世界観を私たちに提示して見せている。

 「・・・世界に存在する核兵器に対する「ゼロ寛容」(Zero Tolerance)の道を、(広島が)スタートすることによってわれわれの世界を正気に戻すプロセスの先頭に立つ」ことのできる国が日本だ、という指摘である。

 ここでデスコトは「ゼロ寛容」("Zero Tolerance")という耳慣れない言葉を敢えて使っている。この言葉は、昨年来はやりの「グローバル・ゼロ」だの「ゼロの論理」だのといった主としてアメリカ支配階級の使い始めた「核兵器ゼロ」や「核兵器のない世界」というプロバガンダを強く意識した言葉使いだろう。

 彼らは「核兵器のない世界」「ゼロの論理」や「グローバル・ゼロ」を云いながら、現実には「核兵器廃絶」に向かおうとしていない。「核兵器の抑止論」もいまや無効だといいながら、「核抑止」の理論をもって世界を眺めている。そして「核兵器」に対しては現実には「寛容」(tolerance)ではないか。

 そうした「欺瞞のゼロ」に対してデスコトは、核兵器に対する「容認」や「寛容」をゼロにすべきだと、と云っている。核兵器に対する「ゼロ寛容」(Zero Tolerance)は、欺瞞の「グローバル・ゼロ」を言い出したアメリカの支配階級に対するデスコトの皮肉と反論であろう。

 今世界には最低限6000発の核弾頭が実戦配備されている。これは命令一下、即時に6000発の核弾頭が地球自身を攻撃する事を意味している。これは狂気の世界ではないのか?多くの人たちは、オバマを始め世界の指導者を含め、自分たちの住んでいる世界が狂気の世界だと、全く気がついていない。あるいは気がついていても気がついていないふりをしている。デコストは、それを「正気の世界」に連れ戻す役割が広島と日本にはあると、広島でのスピーチを結んでいる。

 私は、国連総会議長としてデコストはこのことを広島に云いたかったのだ、と今つくづく思う。


秋葉のオバマ盲従

 デスコトが「正気の世界」に住んでいるとすれば、09年広島の平和祈念式典においてそれと全く対蹠的だったのが我が広島市長、秋葉忠利だろう。

 秋葉は09年広島平和祈念式典の「平和宣言」の中で次のように云う。

 今年(*09年)4月には米国のオバマ大統領がプラハで『核兵器を使った唯一の国として』、『核兵器のない世界』実現のために努力する『道義的責任』があることを明言しました。核兵器の廃絶は、被爆者のみならず世界の大多数の市民並びに国々の声であり、その声にオバマ大統領が耳を傾けたことは、『廃絶される事にしか意味のない核兵器』の位置付けを確固たるものにしました。」
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/
2009_06.htm>

 秋葉がオバマのプラハ演説を真剣に読んで分析したのかどうかは別として、プラハでのオバマの発言を少しく誤って引用している。

 オバマは正確には
核兵器を使用した唯一の核大国(the only nuclear power)として、アメリカ合衆国には行動する道義的責任があります。」
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/obama/obama_04.htm>
といったのだ。何をどの方向に向けて「行動するか」はここでは明示していない。その明示は後段に出てくる。だからその「明示」が本当に核兵器廃絶につながるのかどうかを検討・分析した上で、秋葉が言うように、オバマが「核兵器のない世界」実現へむけて努力するのかどうかが判定される。

その箇所とは以下である。

 第一に、アメリカは核兵器のない世界へむけて確固とした第一歩を踏み出します。」と先ず明言し、そのために「われわれの核弾頭と貯蔵(stockpiles)を削減するため、私は今年中にロシアと新たな戦略兵器削減条約(strategic arms reduction treaty)に関する交渉にはいるつもりです。」とし、その上で「包括的核実験禁止条約の発効へ向けた努力」をあげ、カットオフ条約の締結へ向けた努力、「国際的燃料バンク」の構想を含む、民生用核協力に関するあらたなフレームワークの構築、「原子力エネルギーの平和利用を馬車馬の如く推進」すること、「拡散に対する安全保障構想」<Proliferation Security Initiative-PSI>とか「核テロリズムに対抗するためのグローバル・イニシアティブ」<Global Initiative to Combat Nuclear terrorism-GI>といった永続的な国際機構に向けて傾注すべきであります。また来年中に合衆国が主催する「核の安全保障に関するグローバル・サミット」<Global Summit on Nuclear Security>を開催すべく始動すべき、としている。

 オバマの美辞麗句をすべて取り去って見ると、「核兵器のない世界」へ向けた具体的方策は、以上のような中身になる。


「核兵器廃絶」とセットの「国連民主化」

 まずロシアとの核削減交渉。

 これはデスコトの指摘を待つまでもなく、核軍縮は「核兵器廃絶」という意味から云えば、欺瞞である。しかもこれはレーガン・ゴルバチョフ時代に発効した「START T」が、09年12月末に期限が来るので、その延長交渉という性格をもつ。「核軍縮」とはデスコトのいう「完全な核軍縮」がやってくるまでは、「核兵器廃絶」とは別な事柄であり、デスコトが長崎で指摘したように「完全でない核軍縮」とは「核兵器のさらなる近代化」の異名なのだ。なるほどオバマ自身もいうように、これでは1961年生まれの彼が生きている間には核兵器廃絶はやってこない。

 次に包括的核実験禁止条約の発効。

 アメリカ・ロシアなど核兵器先進国はこの条約はもうなんらの制約にもならない。コンピュータによる解析技術の発達で臨界前核実験や核爆発シュミレーションができるからだ。現在の包括的核実験禁止条約は、臨界前核実験や核爆発シュミレーションまでは禁じていない。「包括的(comprehensive)」の名前が泣こうというものだ。

 なぜこんな条約が「包括的」と呼ばれるかというと、これが「冷戦時代の遺物」だからだ。核兵器廃絶に直接つながることはない。結局、「核兵器後進国」の開発阻害、言い換えれば「核兵器先進国」の高度な核兵器製造技術の独占化をもたらす効果をもつ。同時に新たな「核兵器国の出現」を阻む効果も持つだろう。しかし、これから核兵器を持とうとする国はこんな条約には参加しないだろう。ちょうど、インド、パキスタン、イスラエルが核兵器不拡散条約に参加しないように。そして北朝鮮が2003年1月に核兵器不拡散条約から脱退したように。


 カットオフ条約。

 クリントン時代に提案された構想で、兵器級核分裂物質の新たな製造をやめよう、という内容だ。一見もっともらしいが、それではアメリカやロシアが大量に貯蔵している兵器級核分裂物質はどうなるのかと云えば、それはこの条約の対象外である。つまりここでも「核兵器先進国」の、既得権を温存するという内容だ。このままでは「核兵器後進国」の賛同を得られないばかりか、現に存在する「兵器級核分裂物質」は手つかずであり、「核兵器の危険」は一向に地球上から去らない。これも「核兵器廃絶」の道とは言い難い。


 デコストが広島で指摘したように、「この地球上から核兵器を廃棄し」そればかりでなく「核兵器を製造する能力を信頼できる、また永続性のある国際管理の下におく」ことが「核兵器廃絶」への道なのだ。この構想は、別に云えば「核兵器とその製造能力」を個別の国家主権から完全に切り離してしまうことを意味する。「核兵器廃絶」への第一歩は、「核兵器と核兵器製造能力」を国家主権の枠の外に出してしまって、信頼できる国際管理の下におくことなのだ。この構想は、1945年8月、広島に原爆攻撃がなされる前に、すでに「フランク・レポート」が提案している。(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/flanc_report.htm>)


 現在信頼できる国際管理機構が存在するかどうかというと、不完全ではあるが、IAEAやその上部機関である国際連合が唯一それに相当しよう。それだけに、デスコトが取り組んできた、国連の民主化、再活性化が大きな課題になる。

 今のように、拒否権をもつ5大国が密室の中で談合して、重要な決定を行う状況があれば、「核兵器廃絶」は一歩も進まない。「核兵器廃絶」と「国連の民主化」はセットの課題なのである。


冷戦時代の遺物とブッシュの置きみやげ

 さてオバマの提案する「核兵器のない世界」への構想の検討を続けよう。

 「核燃料バンク構想」や「原子力の平和利用の推進」が何故核兵器廃絶につながるのか、一般には理解に苦しむところだが、オバマのプラハ演説をよく読むとそれなりに論理的な首尾一貫性がある。オバマの説くところではこうである。

 エネルギー問題は重要な課題である。特に地球温暖化問題を考えれば、これまでのように無制限に石化燃料(石油・天然ガス・石炭ほか)に依存するわけにはいかない。しかし、爆発的に増加する地球人口や経済発展に対応するためには、原子力の平和利用を推進して行かなくてはならない。
 またしかし原子力の平和利用を推進し、各国がその技術や能力を身につければ、それだけ「核兵器の拡散が増大し、危険は増える。」
 特にテロリストがこうした核分裂物質を手に入れれば、危険は更に増大する。だから核分裂物質は兵器級であれ、平和利用であれ、すべて国際管理の下に置き、「核燃料バンク」を作ってそこが一括供給・一括管理をしよう、と、大ざっぱに言えばこういう構想になる。

 これまでの論理展開はかなり無理があるが、それは今おくとして、こうした「核燃料バンク」は一体誰の支配下に置くのか、という問題については、オバマは全く触れていない。触れなくても当然だからだ。国連なりIAEAなり、あるいはオバマが提案しているような「核の安全保障に関するグローバル・サミット」を母体にした国際管理機構なりがその中核を握るはずだからだ。

 ここでも問題は、デスコトの指摘する国連の民主化、IAEAの民主化の課題である。核兵器の国際管理や核分裂物質の国際管理は、核兵器や核分裂物質を完全に国家主権から切り離して取り扱わなければならない。そうでなければ、結局アメリカを中心とする核技術と製造能力を持つグループと、単に核エネルギーの消費をするだけのグループに二分されるだけだろう。これは核兵器不拡散条約で明示した、「参加国の核エネルギー平和利用」の平等な権利を否定する事になる。恐らく来年の再検討会議では、アメリカ・オバマ政権は「参加国の核エネルギー平和利用」の平等な権利の見直しを提案するだろう。そしてデスコトら、問題の本質を鋭く見抜き、オバマ政権の本当の狙いを理解しているグループからは激しい反発が予想される。

 拡散に対する安全保障構想」<Proliferation Security Initiative-PSI>とか「核テロリズムに対抗するためのグローバル・イニシアティブ」<Global Initiative to Combat Nuclear terrorism-GI>に至ってはブッシュ政権時代に提案された構想で、要するにIAEAの枠の外で、「対テロ対策」を名目にすべての「核分裂物質」を一元管理におこうという、およそ自分勝手な、実現しそうもない構想だ。

 要するに、オバマが「プラハ演説」で、「第一に、アメリカは核兵器のない世界へむけて確固とした第一歩を踏み出します。」と高らかに進軍ラッパをならしつつ並べ立てた具体案は冷戦時代の遺物かブッシュ政権時代の、およそアメリカの自分勝手なガラクタでしかない。


包括的核管理体制

 唯一、オバマが出してきたあらたな提案は、「来年中に合衆国が主催する『核の安全保障に関するグローバル・サミット』<Global Summit on Nuclear Security>」なるものだろう。オバマ演説の時には、私は一体これは何だろうと思ったが、分析と検討がすすんだ今の段階ではおおよそ見当が付く。それは昨年末アメリカの外交問題評議会の機関誌「フォーリン・アフェアーズ」に掲載された論文「ゼロの論理」
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/obama/obama_14.htm>の中に明示されていた。

 この論文では、核分裂物質(核兵器そのものではない)を国際一元管理体制において安全に管理しようという構想を提案し、そうした体制を「包括的核管理体制」(Comprehensive nuclear-control regime)と呼んでいる。この体制では、兵器級核分裂物質に限らず実験用、医療用の核分裂物質を国際一元管理下におこうとしている。それは核分裂物質がテロリストの手にわたることを防ぐためだそうだ。「核兵器のない世界」「核のない世界」を標榜し、「テロリストの脅威」を言い立てて、核兵器ではなく「核分裂物質」を押さえてしまおうという構想だ。だから構想は、IAEA主導ではなく、オバマ政権下のアメリカ主導で開始されなければならない。これを実現させるためには、相当な腕力も必要だが、それ以上に「アメリカに対する信頼」を恢復させておかねばならない。その恢復役がオバマの役どころだが、デスコトら「新興国」や「発展途上国」の指導者たちは、もうすでにオバマの足下を見透かしているようにも見える。

 こうして見てくると、「第一に、アメリカは核兵器のない世界へむけて確固とした第一歩を踏み出します。」と高らかに謳ったオバマの構想は、実は「核兵器廃絶」とは全く別個の構想の、核兵器の独占ばかりでなく、原子力エネルギーの独占を狙ったものだということが見えてくるだろう。まさしく「核兵器不拡散体制」を「核不拡散体制」に拡張しようという狙いを持つものだと考えていい。


「狂気の世界」の住人

 もし私の理解が正しいものとして、こうした理解を背景に秋葉の平和宣言を読むと、秋葉がアメリカの意図を理解して云っているのか、理解せずに云っているのかはわからないが、この平和宣言がアメリカの片棒を担ぐものだということがわかってくるだろう。

 現実は単純である。もし核兵器廃絶を決意している人間なら、地球への脅威は、「核兵器開発疑惑国」の存在や「テロリストが核兵器や核分裂物質」を手に入れる可能性なのではなく、現実に核兵器保有国が9カ国も存在し、そのうち2カ国が世界中の核兵器の95%まで保有しており、そのうちの少なくとも6000発は実戦配備されて、いつでも発射されている体制そのもの、だという事にすぐ気がつくだろう。デスコトの広島での発言を敷延していえば、これが「狂気の世界」である。この「狂気の世界」が見えなくなってしまっていたり、あるいはこれに麻痺していたりすれば、その人はもうすでに「狂気の世界の住人」である。

 批判的検討や分析もなしに、核兵器を大量に実戦配備している国の大統領(すなわちオバマのことだが)をやたら持ち上げる、我が秋葉忠利クンはまさしく「狂気の世界」にどっぷり浸っている。


顔も赤らむ「オバマジョリティ」

 その「狂気の世界の住人」たる秋葉は、平和宣言の中で次のようにも云う。

 それに(*オバマのプラハ演説に)応(こた)えて私たちには、オバマ大統領を支持し、核兵器廃絶のために活動する責任があります。この点を強調するため、世界の多数派である私たち自身を『オバマジョリティー』と呼び、力を合せて2020年までに核兵器の廃絶を実現しようと世界に呼び掛けます。その思いは、世界的評価が益々(ますます)高まる日本国憲法に凝縮されています。」
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/
2009_06.htm>

 このパラグラフで秋葉が指摘していることは、実は3つある。しかもその3つは相互に補足関連し合っているのではなく、まったく顔を背け合っている。

1. オバマ大統領を支持しよう。そのために私たち多数派を「オバマジョリティ」と呼ぼう。
2. 2020年までに核兵器の廃絶を実現しよう。
3. 核兵器廃絶の思いは日本国憲法に凝縮されている。

 「オバマ大統領を支持しよう。」とはもちろん「核兵器廃絶を目指す」アメリカの大統領だから支持しよう、という事だろう。話は元に戻るが、そのためにはオバマが本当に核兵器廃絶を目指しているのかどうかが鍵になる。私はそうではないと判断しているが、少なくともオバマ演説や最近のアメリカ支配グループの核兵器政策を検討・批判してからそう判断している。私と同じ結論にならなくても構わない。少なくとも秋葉はそれを詳細に検討したか?その検討の結果を発表したか?それを詳細に検討してから「オバマを支持しよう。」と呼びかけているのか?もしそれをしないまま呼びかけているのなら(私はそう思うが)、それは盲目的にオバマに追従しようと呼びかけているのと同じではないか?

 秋葉がオバマに盲従する雰囲気を作ろうとしているのは「オバマジョリティ」という言葉に端的に表れている。

 少しでも英語や日本語の言葉のセンスを持つ人間なら、顔を赤らめそうなこの「オバマジョリティ」なる造語は、自分でものを考えないままオバマについて行けば「核兵器廃絶」は実現できる、と思わせる効果を、ある種の人間に対しては、持つ。
私は生理的嫌悪感をもつ。しかしこれは私のセンスと好みの問題だ。)

 しかし核兵器廃絶は、イベントでもパーフォーマンスでもない。100%政治問題だ。政治問題である以上、民主主義的な解決をとらざるを得ない。民主主義的解決をとるためには、そこの構成員(すなわちわれわれ市民のことだが)は、しっかりした政治センスと批判精神をもって事態を眺め、判断する事を要求される。誰かに盲従する必要は全くない。

 従って「オバマジョリティ」なる造語は百害あって一利もない。


秋葉の自己矛盾

 大体秋葉の主張は、自己矛盾を起こしている。「核兵器廃絶」が秋葉の云うように地球市民の大多数の思いであり、多くの国々がそれを願っているというなら、そしてそれがマジョリティだというなら(私もそう思うが)、なぜ「核兵器廃絶」が実現できていないのか?

 というのはマジョリティ(多数派)の意思が決定権をもつのが民主主義社会での原則であり、それが実現できていないという事は、日本国内においても、国連社会においても民主主義が貫徹できていないという事を意味している。「核兵器廃絶」とは「民主主義社会実現」の事でもある。

 だから、「核兵器廃絶」を真剣に考える人間は、デスコトのように先ず民主化を考える。日本国内においても先ず民主主義実現を考える。

 しかし秋葉はそうは考えない。マジョリティがその意思を実現できない根本原因に立ち至ろうとしないで、最大権力者(すなわちアメリカ大統領)を支持し、それに追従しようと考える。その秋葉の自己矛盾を凝縮した言葉が「オバマジョリティ」という薄汚い言葉であろう。


長崎市長の発言

 長崎の市長・田上富久も、今年の平和宣言で、

今年4月、チェコのプラハで、アメリカのバラク・オバマ大統領が「核兵器のない世界」を目指すと明言しました。ロシアと戦略兵器削減条約(START)の交渉を再開し、空も、海も、地下も、宇宙空間でも、核実験をすべて禁止する「包括的核実験禁止条約」(CTBT)の批准を進め、核兵器に必要な高濃縮ウランやプルトニウムの生産を禁止する条約の締結に努めるなど、具体的な道筋を示したのです。「核兵器を使用した唯一の核保有国として行動する道義的な責任がある」という強い決意に、被爆地でも感動が広がりました。』
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/
2009_07.htm

 と述べ、ほとんど無批判に「軍縮」が「核兵器廃絶」に直結すると信じ、包括的核実験禁止条約が臨界前核実験を抜け穴としており、カットオフ条約がすでに貯蔵されている兵器級核分裂物質を温存するものである事に目をつぶり、オバマの「プラハ演説」に「感動」し、そしてオバマに対する支持を表明している。

 しかし田上が秋葉に較べてまだ「正気の世界」にとどまっているのは、
長崎市民は、オバマ大統領に、被爆地・長崎の訪問を求める署名活動に取り組んでいます。歴史をつくる主役は、私たち一人一人です。指導者や政府だけに任せておいてはいけません。』

 と、われわれ市民一人一人が、核兵器廃絶を実現するのだというニュアンスを残している点であろう。しかしここでも「オバマ賛美」には変わりない。そしてオバマが、地球を何回も滅ぼすだけの核兵器を実戦配備している国の現職大統領であり、三軍総司令官であるという事実を全く忘れてしまっている。


日本国憲法と民主主義

 秋葉の二番目のポイント、すなわち2020年までに核兵器を廃絶しよう、という呼びかけを見てみよう。これは平和市長会議の提案している「ヒロシマ・ナガサキ議定書」(http://www.mayorsforpeace.org/jp/H-N%20Protocol.pdf)を念頭においての呼びかけであることは確実であるが、「オバマジョリティ」のオバマ自身、「私の生きている間は、核兵器廃絶はない。」とプラハで明言している。

 一番目の呼びかけと二番目の呼びかけの間の矛盾をどう解釈したらいいのか?プラハでのオバマを支持する限り、2020年までの「核兵器廃絶」はあり得ないのだ。「ヒロシマ・ナガサキ議定書」の杜撰さ、またそのことが、日本国内における現実政治からわれわれの目をそらせる効果しかないことについては、また別に検討する機会があろう。

 ここでは一番目の呼びかけと二番目の呼びかけがお互いに顔を背け合っていることを確認しておけば十分であろう。

 秋葉の三番目の指摘、「核兵器廃絶の思いは日本国憲法に凝縮されている。」という指摘は事実である。日本国憲法成立の思想的背景には、「広島・長崎」への原爆攻撃による惨禍を二度と繰り返さない、という思いがまず横たわっており、その上に憲法前文と第九条が成立した、ということは私も学んだ。

 日本国憲法は、前文と憲法第九条の精神を具現化するため、戦前の旧帝国憲法とは全く違う仕組みを作った。すなわち民主主義の仕組みである。だから秋葉の云う「核兵器廃絶の思いは日本国憲法に凝縮されている。」は、実は根底で「民主主義」としっかり手を繋いでいる。

 秋葉の一番目の呼びかけと二番目の呼びかけは、民主主義とはほど遠い事を検討した。秋葉の根底にある考え方は、エリート主義であり、「オバマ追従主義」である。第三番目の指摘は、ここでも他の2つのポイントと顔を背けている。


国連の民主化とわれわれの民主化

 しかし秋葉もまた、民主主義を口にしている。平和宣言の中の、

 対人地雷の禁止、グラミン銀行による貧困からの解放、温暖化の防止等、大多数の世界市民の意思を尊重し市民の力で問題を解決する地球規模の民主主義が今、正に発芽しつつあります。その芽を伸ばし、さらに大きな問題を解決するためには、国連の中にこれら市民の声が直接届く仕組みを創(つく)る必要があります。例えば、これまで戦争等の大きな悲劇を体験してきた都市100、そして、人口の多い都市100、計200都市からなる国連の下院を創設し、現在の国連総会を上院とすることも一案です。」

 とした箇所がそれだ。秋葉は「地球規模の民主主義」と呼んでいる。この文章を読む限り、秋葉は国家主権を飛び越えて地球市民による、国連を主体とした直接民主主義を想定しているようにも見える。全世界から200都市を選抜し、これで国連総会の中に「上院的議決機関」を作ってはどうかと提案している。

 この発想から読み取れる秋葉の考え方は、実は「民主主義」とはほど遠い。

 国連は、その名の通り「United Nations」だ。ここで云うNationとは主権国家のことだ。国連とは主権国家の連合体なのである。自ら主権をもった世界連邦政府ではない。だから国連が真に機能するためには、安全保障理事会のような一部大国による密室談合の特権機関を廃止し、国連総会を最高の意思決定機関とする、まさしくデスコトのいう、国連の民主主義改革が必要だ。それをしないで、秋葉のいう「上院的議決機関」を作っても、地球市民の声は国連に届かないだろう。

 国連の民主化が仮に成功しても、それだけでは不十分だ。それを構成する主権国家がそれぞれ民主主義国家となっていなければならない。それは今の日本のように政体として民主主義、というものではない。「形式民主主義」ならいつでも作れる。そうではなくて民主主義が「肉化」した市民社会が形成する主権国家をまず構築する事が必要だ。つまり「市民の声」が、ではなく「市民の意思」が「国連の意思」となるということは、われわれの市民社会が本当に「民主主義の肉化」した社会なのかどうかの問題だ。

 それは今われわれの暮らしている広島が「民主主義的な市民社会」なのかどうかという問題でもある。つまりわれわれの足下の問題である。秋葉は全くそれを看過している。

 たとえば、秋葉が読み上げた「平和宣言」はいかなる過程をたどってつくられたのか?「平和宣言」は広島市長の専管事項でもなければ、ましてや秋葉の私物ではない。少なくとも長崎の「平和宣言」は、民主的な討論の過程を経て作成されている。長崎市長の田上は、そうした長崎市民を代表する形で8月9日に読み上げられている。

 広島の「平和宣言」は全くのブラックボックスである。広島市議会にすら相談した形跡はない。

 またたとえば、秋葉は、8月6日に行われた田母神俊雄の講演会の延期を要請した。航空幕僚長時代の田母神には言論の自由はない。誠実に日本国憲法を守り、自衛隊法を守る義務があるからだ。(田母神は守らなかったが)しかし今の田母神は一介の私人であり、一市民だ。一市民である以上、いつでもどこでも自分の考えを述べる権利がある。その田母神に「市民感情に配慮」して講演会の延期を依頼するなどは、およそ「肉化した市民社会」の市長のなすべきことではない。

 私は田母神の述べていることは、全く卑劣で下劣だと考えている。
「田母神論文に見る岸信介の亡霊」参照の事。
<http://www.inaco.co.jp/isaac/back/023-1/023-1.htm>

 しかし、一市民・田母神俊雄が自由に発言する権利は尊重する。でなければ、演説会場の周りで、街宣車でがなり立てる右翼や、池田大作を批判する人たちに嫌がらせの大量動員をかける創価学会と全く同じになってしまう。およそ民主主義が肉化した市民社会おいては起こるはずのない事だ。)


プロセスとしての「核兵器廃絶」

 09年、広島と長崎において行われた「原爆の日」の平和式典の中で、もう一つ重要な指摘があった。それは広島の「こども代表 平和への誓い」の中の指摘である。
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/2009_01.htm>

 彼らはこういった。
話し合いで争いを解決する、本当の勇気を持つために、核兵器を放棄する、本当の強さを持つために、原爆や戦争という「闇」から目をそむけることなく、しっかりと真実を見つめます。』

 『本当の勇気をもつために、核兵器を放棄する。』とは「核兵器を放棄する勇気」ということだろう。『核兵器放棄』とは一体何を意味しているのか?日本は核兵器を持っていない。持っていないものを放棄することはできない、だからこの『勇気』とは日本にはあてはまらないことなのか?

 いや、いや、そうではあるまい。

 「核兵器廃絶」は目標であると同時に「プロセス」でもある。別な言い方をすれば「プロセスとしての核兵器廃絶」の積み上げが「目標としての核兵器廃絶」を達成させるのである。

 日本は「核兵器」を持っていない。持っていないものは「廃棄」できない。しかし他の地球市民と同様に、われわれもまた「プロセスとしての核兵器廃絶」はもっている。他の地球市民と共に、それぞれ自らの「プロセスとしての核兵器廃絶」を積み上げていく過程がすなわち「核兵器廃絶」である。

 日本に当てはめて云えば、「核の傘」で守ってもらうことをやめ、「もう結構。そんな危険なもので守ってもらわなくても、私たちは話し合いで解決できます。」ということが「プロセスとしての核兵器廃絶」だ。

 また、たとえば、あやふやな「非核三原則」を日本の法律とすることが、「プロセスとしての核兵器廃絶」だ。

 また、たとえば、「核抑止論」や「核兵器信奉者」で構成される政府があれば、その政府を倒して「核兵器廃絶政府」を作る事が、「プロセスとしての核兵器廃絶」だ。

 だから私は、逆に、09年広島の「こども代表」に問いたい。「君たちに本当にその勇気があるのか?」と。



 ・・・09年「原爆の日」は、ミゲル・デスコト・ブロックマンがいてくれたおかげで、随分稔りの大きい平和祈念式典となった。最大の収穫は、われわれが「正気の世界」と「狂気の世界」のはざまに居ることがはっきりしたことだ・・・。

 われわれは「正気の世界」にしっかり踏みとどまらなければならない。「平和宣言」で秋葉が使った言葉をそっくり借りれば、「われわれにはその責任がある。」