(2010.4.3)
No.004
「プラハ構想」を動かすとどうなるか?
米核独占の走狗となる朝日新聞



 2つの点で悪質な朝日の社説

 2010年3月28日(日)朝日新聞の社説に『米ロ核軍縮―「プラハ構想」を動かせ』と題する社説が掲載された。この社説の要点は、アメリカのオバマ政権の「核政策」は、「核兵器廃絶」に連なるものであり、日本はアメリカに協力してオバマ政権の「構想」を支持し、これを前進させるために共に協力していかなければならない、とするところにある。

 一言でいって「悪質」である。

 ポイントは2つある。1つ目は、オバマ政権の核政策を「プラハ構想」という言葉で括った上で、その内容をさして検討もしないでこれが「核兵器廃絶」につながっていくかのような印象を与え、さらに日本の市民に「オバマ政権」についていけば大丈夫だ、という幻想をまき散らしている点だ。「オバマ政権」についていけば大丈夫だ、という幻想をまき散らしている点では、広島の中国新聞や、「オバマジョリティ」「2020広島オリンピック」の秋葉広島市長と一脈も二脈も通ずるものがある。

 2つ目は、現在世界を取り巻いている「核兵器の恐怖」を全く過少評価している点だろう。核兵器を「6000」とか「1550」とかの抽象的な数字に置き換え、そのことの意味、そのことの中身を捨象し、結果として日本の市民から「正当な想像力」を奪った上で、「米ロ核軍縮」交渉を手放しで礼賛している点だ。これは、この記事の書き手の「核兵器時代」への想像力の欠如、という点も大きいのだと思う。

 この「社説」は、短い文章なので全文引用しておこう。
(原文は<http://www.asahi.com/paper/editorial20100328.html>または
<http://blog.goo.ne.jp/freddie19/e/63a5165c6d294cad96c4c0ee4d36545f>


冷戦の遺物とも言うべき大量の戦略核弾頭を減らす新条約に、米国とロシアが合意した。オバマ米大統領が「核のない世界」を目指すと宣言した昨年4月5日のプラハ演説から約1年。署名式は8日、米ロ首脳がそろってプラハで行われる。

 これで急速に世界が核ゼロへと動くわけではない。だが、あの歴史的な演説で世界に発した言葉を行動に移していこうとする、オバマ氏の並々ならぬ意欲を感じさせる。

 新条約で米ロは、配備する戦略核弾頭をそれぞれ1550発以下に減らす。大陸間弾道ミサイルなどの運搬手段の保有数は、未配備分も含めて計800を上限にする。両国は発効から7年以内に削減目標を達成しなければならない。

 昨年12月に失効した第1次戦略兵器削減条約(START1)では弾頭の上限が6千発、運搬手段は計1600だった。新条約でもなお、世界の主要都市を何度も破壊できるほどの過剰装備ではあるが、安全保障戦略での核の役割を減らしていくための、重要な一歩である。

 条約の発効には、米ロ双方の議会による批准承認が必要だ。過去には、批准承認がうまくいかず、未発効に終わった核軍備管理条約がふたつもある。米ロの議会は早期に批准を承認し、さらなる削減を促すべきである。

 プラハ演説でオバマ氏は、米ロだけでなく、保有国による多国間核軍縮を提言した。核不拡散条約(NPT)体制の強化、包括的核実験禁止条約の発効、兵器用核分裂物質の生産禁止条約の締結の必要性も強調した。「プラハ構想」とも呼ばれる、核軍縮・不拡散政策の数々である。

 その基本線は、核保有国は軍縮を進め、持たない国は非核を継続して核ゼロをめざす。同時に核の闇市場などを封じ込めて、テロ集団の手に核が渡らないようにする――というものだ。

  オバマ氏の呼びかけで4月12、13日に、核テロ防止を主眼にした核保安サミットが開催される。5月には、5年に一度のNPT再検討会議がある。今回の米ロ条約合意を足場にして、「プラハ構想」を着実に前進させていかなければならない。

  日米はこの秋に向けて同盟の「深化」を協議していく。そのなかでも核政策での協力はとても重要なテーマとなろう。核拡散、核テロ防止のための国際協調の幅をどう広めていくか。核実験した北朝鮮、軍事費を増大させる中国を抱える北東アジアにおいて、核の役割縮小に必要な地域的安全保障をどう組み立てていくか。

  日米が協力してこそ効果が高まる課題が、たくさんある。日本も積極的に提案し、「プラハ構想」前進の主要なエンジンとなっていくべきである。』


 「オバマ構想」とは?

 最初に、朝日新聞のいう「オバマ構想」なるものから見ていこう。2009年1月アメリカ大統領に就任したばかりのバラク・フセイン・オバマは、4月5日、チェコ共和国の首都プラハで、朝日新聞のいう「歴史的な演説」を行った。(「アメリカ合衆国大統領 バラク・フセイン・オバマのプラハにおける演説」<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/obama/obama_04.htm>

 この演説の中でオバマは、

 われわれの惑星を防衛するため、今やエネルギーの使い方を変えていく時です。手を携えて、世界が化石燃料に依存することを終わらせ、気候変動に立ち向かわなくてはなりません。そして、風力、太陽のような新しいエネルギー資源の口を開けなければなりません。そして全ての国々がそれぞれ自分のできることをすすめていなかくてはなりません。そして、この地球的努力において、合衆国は世界をリードする準備が整ったことを固くみなさんにお約束します。』

 と比較的冒頭部分で述べ、彼の構想自体が、「化石燃料依存」の世界の構造からの脱却を目指したものであり、アメリカがそれをリードすることを宣言する。そしてこの宣言がこの演説全体を貫く基本トーンになっている。上記引用部分では明示的ではないが、読み進むにつれて、「化石燃料依存」から「原子力エネルギー依存」の世界構造への転換を目指していることが明らかになってくる。

 「化石燃料依存」とはとりもなおさず「石油依存」のことだ。つまりオバマはアメリカの基本的エネルギー政策として「石油依存」から「原子力エネルギー」依存への転換を図り、その主導をアメリカが行う、と云っているわけだ。これは2000年代に入ってから、アメリカの代表的なシンクタンク、外交問題評議会(「外交問題評議会」<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/CFR/
01.htm>
の主張ともよく合致するし、また現実にオバマ政権は、原子力発電に大規模な補助政策をとるなど、この方向に合致した政策を着々と進めている。

 「核兵器のない世界」を目指すとするオバマの演説も、この「原子力エネルギー依存」の世界を創造する政策意図から切り離しては理解ができない。「核兵器のない世界」もあくまで「原子力エネルギー依存」の世界構造を創造するための「キャッチフレーズ」なのだ。

 「核兵器のない世界」が全く内容のない「キャッチフレーズ」に過ぎず、いわば「羊頭」の役割を果たすものであることは、この演説を読み進めていくに従って明らかになっていく。


 「冷戦思考」そのものの「プラハ演説」

 オバマは、

冷戦思考(*Cold War thinking)に終止符を打つため、われわれの国家安全戦略における核兵器の役割を削減します。ミスを犯さないようにしましょう。これら兵器が存続する限り、われわれは、安全と保障を維持しますし、どんな敵であろうと彼らを抑止する(to deter)効果的な兵器庫を維持します。そしてすべての同盟国を、チェコ共和国も含んで、防衛することを保証します。しかし、われわれは兵器庫を削減する仕事を始めるのです。』

 「冷戦思考」に終止符を打つといいながら、自らは「核抑止論」という最大の冷戦思考の産物を見事なまでにトリック展開させて、「ロシアとの核兵器削減交渉」の話にうつる。

 これは、ものごとを知らない人にとっては「核兵器削減交渉」=「核軍縮」が「核兵器廃絶」への道程であるかのような錯覚効果をもたせる。しかし戦前のワシントン条約やロンドン条約を持ち出すまでもなく、大国間の「軍縮交渉」とは、常に大国間の「軍備独占」協定なのであり、精々云って「縮小均衡による大国間軍事力独占」だった。「核軍縮」と「核兵器廃絶」とは本質的にまったく関係がない。それが証拠に「軍縮条約」で軍備が撤廃された例は歴史上一度もない。だから冷戦時代も何度となく、ロシアとの核軍縮交渉は行われてきた。「米ロ(ソ連)核軍縮交渉」もまた、アメリカとロシア(ソ連)との核兵器の均衡の上になりたつ冷戦時代の代表的産物なのだ。

 「冷戦思考に終止符」をうつといいながら、自らは「核抑止論」「核兵器削減交渉」という代表的な冷戦思考を堂々と宣言しつつ、次のようにいう。

 『 第一に、アメリカは核兵器のない世界へむけて確固とした第一歩を踏み出します。』

 長いプラハ演説の中で、オバマが「核兵器のない世界」にアメリカがスタートする、と宣言した箇所は、おそらくこの1箇所だけであろう。しかし「冷戦思考」を抱えたまま、それを政策化しながら「核兵器のない世界」に進むことはできない。それはいつまでも的を射抜かない「ヘラクレスの矢」の詭弁論法なのだ。

 真に冷戦思考に終止符を打つためには、そして21世紀の思想とは、直ちに「全面核兵器廃絶交渉」にはいることなのだ。それでも、核爆発装置の解体・廃棄、そこから派生する兵器級核燃料の処理、廃棄、安全化、またその作業の監視体制の構築、安全保障体制の構築、ひとつひとつの検証と確認作業を考えれば、20年という歳月はあっという間に流れるだろう。

 オバマも自分の主張が「核兵器廃絶」とは何の関係もないことはよくわかっていて、「この目標への到達は容易ではありません。おそらく私が生きている間ではないでしょう。」と保険をつけておくことを忘れていない。

 「自分の生きている間」どころか、オバマの孫子の代になっても「核兵器廃絶」などは実現できない。

 それは、「アメリカは核兵器のない世界へむけて確固とした第一歩を踏み出します。」と宣言した後の、具体的施策をみて見るとすぐに分かる。冒頭に引用した朝日新聞のいう「プラハ構想」の具体的中身のことだ。


 「包括的核実験禁止条約」の実態

 第一に「米ロ核兵器削減交渉」だ。これは冒頭に引用した朝日新聞の社説が大げさに持ち上げて見せた「施策」である。これが「核兵器廃絶」とは全く関係のないことは先にも見たとおりだが、それにしても内容が酷すぎる。後で詳しく見てみるので、ここでは、対象が「実戦配備の」しかも「戦略核兵器」だけに限定して、適当な数字で手を打っている点だけをあげよう。運搬手段も800に限定したと云うが、運搬手段の3つの柱、「ICBM、SLBM、爆撃機」の3つに渡って限定したものとは思われない。内容を見る限り爆撃機は対象外だ。しかも戦術核兵器やその運搬手段はどうなのか?核兵器の貯蔵はどうなのか?「アメリカもロシアも、核兵器大国は、核軍縮に努力しています。」というポーズ以外のなにものでもないだろう。そしてこのポーズは、2010年5月に開かれる「核兵器不拡散条約」の運用再検討会議に、オバマ政権が提案する内容に説得力をもたせるために、どうしても必要なポーズである。

 「核兵器のない世界」への確固たる第一歩の最初に挙げられたのが、冷戦思考の代表的産物「米ロ戦略核兵器削減交渉」だった。朝日新聞はこれがアメリカ議会で批准されるかどうかが、次の難関だとしているが、難関でもなんでもない。5月の再検討会議までにはアメリカ議会は必ず批准する。アメリカには何の損もない。

 オバマが次に挙げたのは、「包括的核実験禁止条約」のアメリカ議会批准と発効だ。これは驚くべき厚顔無恥さだ。包括的核実験禁止条約は、アメリカはすでに署名している。残るは議会批准だが恐らくアメリカ議会はこれも5月の再検討会議までに批准するだろう。アメリカには何の損もない内容だからだ。

 包括的核実験禁止条約は、発効要件として1996年6月時点で、ジュネーヴ軍縮会議の構成国であり、かつ国際原子力機関の『世界の動力用原子炉』および『世界の研究用原子炉』に掲載されている44ヶ国すべての批准が必要である<第14条>。現在、44カ国中批准していない国は、アメリカ、中国、インドネシア、エジプト、イラン、イスラエル、インド、パキスタン、コロンビア、北朝鮮の10カ国。特にンド、パキスタン、北朝鮮は批准どころか署名もしていない。だから、オバマがこの条約の発効に努力する、ということは、アメリカ議会だけでなく、これらの国すべてに署名、発効をはたきかけるということでもあるが、オバマもそこまでは請け負っていない。だから、アメリカ議会が批准したところで、この条約が発効することは先ずありえない。


 電子核実験強化をすすめるオバマ政権

 これらの国がこの条約を署名または批准しない理由は簡単である。この条約が、既存核兵器保有国に圧倒的に有利な条約だからだ。核兵器の開発と核実験はセットである。ところが、「包括的」核実験禁止条約が禁じているのは、「地下核実験」だけなのだ。アメリカを始め、核兵器保有の歴史の長い諸国は地下核実験をする必要がない、といえば言い過ぎになるが、少なくても地下核実験に依存する必要がなくなっているとは云えるだろう。特にアメリカはそうだ。アメリカは1990年代のはじめ、包括的核実験禁止条約に署名するとすぐに、コンピュータを使った「核実験」に対する開発投資を本格的にすすめた。すなわち臨界前核実験やコンピュータ・シュミレーションによる「核実験」だ。包括的核実験禁止条約はこうした「電子核実験」をまったく対象としていないのだ。

 かつて部分的核実験禁止条約の時に、「地下核実験」が抜け穴だったように包括的核実験禁止条約は「電子核実験」が抜け穴になっている。「包括的」(comprehensive)の名前が恥ずかしがって真っ赤になっているという代物だ。結局電子核実験を早くからスタートさせた、「核兵器先進国」に有利な内容になっている。

 2010年2月、オバマ政権は「核兵器分野」に112億1500万ドル(約1兆円強)の11年度予算要求をした。10年度が98億8700万ドル(8900億円)だったから、13.5%に近い突出した伸び率である。この10月から議会で本格審議が始まるが、恐らく議会はこれをすんなり認めるだろう。ばかりでなく増額承認するだろう。この突出した伸びの中で、「科学、技術、エンジニアリング」という項目があるが、これはコンピュータ・シミュレーションによる核実験や検査、コンピュータ支援の臨界前核実験などに当てられる費用で、要求予算は16億2400万ドル(1462億円)。対前年比10%の伸びである。
(「アメリカ国家核安全保障局について」
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/obama/obama_21.htm>


 「電子核実験」の分野ではアメリカが突出して進んでいる。だから「包括的核実験禁止条約」が発効したところで、アメリカの「独占」になりこそすれ、損にはならない。ましてや核兵器廃絶とはなんの関係もない。

 もしオバマ政権が、本当に「核兵器廃絶」を考えその第一歩とするなら、「核実験を目的としたすべての物理的実験、電子実験、研究・開発、そのインフラ、人材育成や政府援助、補助、民間企業活動、大学研究活動を、罰則をもって禁止する条約」でなければならない。もしこうした本当の意味での「包括的核実験禁止条約」が提案されれば、アメリカ、イスラエルを除いてすべての国が賛成するだろうし、また「核兵器保有」の野心をもっているかどうかの「踏み絵」にもなる。


 兵器級核分裂物質独占を保証する「カット・オフ条約」

プラハでオバマが、「米ロ戦略的核兵器削減交渉」「包括的核実験禁止条約批准」に続く、「具体的な一歩」が、朝日の社説も指摘している「兵器用核分裂物質の生産禁止条約」、いわゆる「カット・オフ条約」である。オバマは次のようにいっている。

 さらにまた、爆弾(*核兵器爆弾)に必要な製造部分をカット・オフするため、合衆国は、核兵器の状態での使用を意図した核分裂物質(*回りくどい言い方だが、要するに兵器級核分裂物質)の生産に、検証可能な形で終止符を打つべく新たな条約の締結を追求します。もしこれらの兵器の拡散に止めることに真剣ならば、われわれは、核兵器製造を可能ならしめる、兵器級核分裂物質の生産に終止符を打つべきです。』
  
 さきほど、「包括的核実験禁止条約」のところで、私はこんなものをしゃあしゃあと持ち出し、「核兵器のない世界」への第一歩だというオバマを「厚顔無恥」と表現したが、カット・オフ条約では「鉄面皮」と表現しておこう。この条約の最大の問題点は、「兵器級核燃料」の製造だけを問題とし、その保有を問題としていないところにある。

 第一、アメリカは1970年代初頭から、もう40年近くも兵器級核燃料の新規生産を行っていない。(原子爆弾のウラン燃料、プトニウム燃料、熱核融合爆弾−水素爆弾の燃料などの更新は行っている。)要するに作りすぎたのである。そればかりか、ピーク時3万2000という核兵器の老朽化、経年劣化に伴って、核兵器をどんどん廃棄処分にしている。これはピーク時4万といわれるロシアも同じ事情だ。2009年5月「アメリカの戦略態勢議会員会」が議会に対して提出した最終報告書の付属資料<http://www.inaco.co.jp/isaac/
shiryo/obama/USA_SP/strategic_posture_6-02.htm>
によれば、その時点で廃棄待ちの核兵器は、アメリカ4200、ロシア5100を上限として保有している。

 核兵器を廃棄すれば、当然そこからは兵器級核燃料が取り出される。今アメリカはこうした兵器級核燃料を処分するか、平和目的の核燃料に転換するかの事業を進めている。規模こそ違え、ロシア、フランス、イギリス、中国も同じ事情だろう。

 だから「兵器級燃料の新たな製造」を禁止すると云うことは、新たな核兵器保有国の兵器級核燃料の製造を禁止するだけとなってしまう。事実上のアメリカを始めとする核兵器保有国の「核兵器独占状態」を固定化するものでしかない。「それでも新たな兵器級核燃料の製造」を禁止する意義は大きい、というものがあるかもしれない。現実は全くそうならない。

 NPTに加盟している国で、兵器級核燃料の製造を試みる国はまずない。NPTの査察官が厳重に監視しているからだ。これは良く言われるイランでも同じことだ。今のNPT体制ではありえない。だから、「イラン核疑惑」を言い立てるプロバガンダをよく見ても、「イランは兵器級核燃料を製造している。」とは決して云っていない。「ウラン濃縮をするということは、たとえそれは平和目的のためであったとしても、将来に必ず兵器級核燃料の製造につながる。」という言い方しかできていない。今のNPT体制の枠内にいる限り兵器級核燃料の製造などはできっこない。だから北朝鮮はNPTを脱退した上で、兵器級プルトニウムの製造を行い、核実験を行った。

 だからカット・オフ条約を意味あるものとするには、NPT外の核兵器保有国、インド、イスラエル、パキスタン、北朝鮮をNPTの枠内に入れることが大前提になる。それができない間は、「カット・オフ条約」は既存の核兵器保有国の「兵器級核分裂物質独占」を国際的に再確認する以上の意味はない。

 もし、オバマが「核兵器廃絶」を本当に考えるなら、カット・オフの対象に「兵器級核分裂物質の保有」をも加えるであろう。「製造はおろか保有もなくす。」というのであれば、これはイスラエルを除けば、各国賛成するだろう。現在核兵器を保有している国は、アメリカとイスラエルを除けば、アメリカが大量の核兵器を保有しているのでやむなく対抗上核兵器をもっているだけだ。「兵器級核分裂物質の製造、保有、保守・管理システムをすべて禁止」する条約なら大いに意味がある。


 「プラハ演説」での言葉のトリック

 ところで、朝日新聞の社説は、「オバマ構想」に注釈をいれて、次のように云っている。

 その基本線は、核保有国は軍縮を進め、持たない国は非核を継続して核ゼロをめざす。同時に核の闇市場などを封じ込めて、テロ集団の手に核が渡らないようにする――というものだ。』

 オバマはプラハ演説で上記の意味のことを確かに云ったが、言葉のトリックを使っている。次の箇所だ。

第二に、われわれは、共に、協力の基盤として「核不拡散条約」を強化します。この(*条約の)基本的取り決めは健全です。すなわちー、核兵器保有国は核軍縮をする。非核兵器保有国は核兵器を保有しない。そして全ての国は平和的核エネルギーを利用できる。』

 という箇所だ。これはNPT体制の強化を謳った部分だが、先に引用した朝日の社説ではちょうど前段部分に相当する。そして朝日の社説は知ってか知らずか、このオバマの言葉のトリックを鵜呑みにするかたちで社説に投影している。

 NPTは、少なくとも1995年の再検討会議での決議では、核兵器保有国に対して単に核軍縮を義務づけたのではない。「核兵器廃絶」を義務づけたのだ。それを交換条件として、1995年の再検討会議は全会一致で、NPT体制の永久存続を決めたのだ。

 その一番大事な部分を、プラハ演説でオバマは知らん顔を決め込んでいる。従って朝日の社説も、アメリカをはじめとする核兵器保有国の「核兵器廃絶義務」については知らん顔を決め込んでいる。

 次の言葉のトリックは、「すべての国は平和的核エネルギーを利用できる。」という部分だ。核兵器不拡散条約は、「参加非核兵器保有国が核兵器を保有しない。」という義務の代償として、核エネルギーの利用ばかりでなく、その開発や技術取得の権利を認め、これを援助することはNPTの義務であるとし、これを「非核兵器保有国の奪い得ない権利」としている。(たとえば外務省のサイト<http://www.mofa.go.jp/mofaj/GAIKO/kaku/npt/gaiyo.html>などを参照のこと。)

 この権利にもとづいて、日本は原子力発電用のウラン濃縮を行っているのだし、ブラジルもこの権利に基づいて自前のウラン濃縮活動を発表した。またたとえば、ヨーロッパのウラン濃縮コンソーシアム「URENCO」には、イギリスのほかドイツとオランダが参加しているが、ドイツやオランダの権利もこのNPTで定めた権利に基づいている。また世界最大のウラン濃縮企業「ユーロディフ」はフランス中心であるが、ほかにベルギー、イタリア、スペイン、スエーデンの4カ国も参加している。この非核兵器国4カ国の権利も当然、NPTの権利に基づく。イランが自前でウラン濃縮をはじめたが、これもNPTの権利に基づく。

 オバマの言葉のトリックはこの重要な「参加非核兵器保有国」の「奪い得ぬ権利」を単に「平和的核エネルギー利用の権利」として、平和的核エネルギー開発・技術所得、製造の権利はあたかもないかの如く扱っている。


 核独占を狙う「核燃料バンク」構想

 朝日の社説は故意にかどうかわからないが、上記問題に関してもっとも重要な「オバマ構想」のひとつに触れていない。それは「核燃料バンク構想」だ。

 オバマは云う。

 『  「国際的燃料バンク」の構想を含む、民生用核協力に関するあらたなフレームワークも必要です。そして拡散の危険を増大させることなしに、諸国が平和的原子力を利用できるようになります。核兵器の廃絶を宣言した諸国、特に平和的計画に着手したばかりの発展途上国にとって、それ(*核エネルギーの平和利用)は権利でなくてはなりません。ルールに従っている諸国の権利を否定するなら、いかなるアプローチも成功しないでしょう。気候変動との戦い、また全ての人々の機会を前に進めるわれわれの努力を代表するかのようにして、われわれは原子力エネルギーの平和利用を馬車馬の如く推進しなければなりません。』

 オバマをはじめ、アメリカや他の核エネルギー先進国は、自分たち以外の諸国に平和的核エネルギーの開発や製造、運営に関する技術取得をさせたくない。その利益は自分たちだけで独占したい。「核供給国」以外は、単に金を出して、原子力エネルギーの一方的消費国であって欲しい。これは言葉を変えて云えば、欧米先進国中心の、発展途上国・新興国に対する新たな搾取体制だとも云える。そのシンボルが、ここで提唱されている「国際燃料バンク」だ。要するに既存のウラン濃縮工場や平和的核エネルギー燃料処理工場を「国際燃料バンク」と位置づけ、すべての国がここから買い付ける(しかも超高値で)という仕組みだ。


 エルバラダイ構想との決定的違い

 このオバマの「国際的燃料バンク構想」は、前IAEA事務局長、モハメド・エルバラダイの「核燃料バンク」の換骨奪胎だ。というのは、エルバラダイは全く同様な構想をエルバラダイ構想として提案していたからだ。「換骨奪胎」というのは、この構想の核心が、この国際燃料バンクが一部核エネルギー先進国(いわゆる核供給)の独占体制になるか、あるいは国連やIAEAの民主化の上、参加各国の平等な権利の上に立って行われるか、にあるからだ。前者であれば、「核エネルギー製造の独占体制」「極大利潤の保証」となるし、後者であれば「NPTの平等の精神に基づく各国平和エネルギーの利用」となる。

 エルバラダイは云う。

 高濃縮ウランやプルトニウムの燃料サイクルという極めて神経質な部分を扱える国が必要だということでしょう。その際、単独の国が、工場に居座って、自分だけが高濃縮ウランやプルトニウムを生産するということがあってはなりません。実際こうした議論はすべてイラン問題が契機になって起こっています。

 国際社会が、すでに地殻変動が起きた地域に加えて新たな地域がこの核技術を保有していく成り行きに大きな関心をもったわけです。これは何もイラン独特の問題だという訳ではありません。もっと大きな絵を描いて問題を見る必要があります。

 将来にわたってすべての国が供給を保障された形で、電力目的やその他の目的の平和利用技術にアクセスできることを保障する問題です。しかしこのことに関連して、発生するリスクは最小限に抑えなければなりません。

 ですからたとえば国際的なコンソーシアムを設立して、燃料生産を行い国際的管理のもとに燃料のリサイクルを行うといったような構想ですね。』

 私が考えていることは、NPTの誰にたいしても支援を続けると言うことです。ブッシュ政権の考えていることは、切り捨てです。だからすでにウラン濃縮能力を持っている国は濃縮を続け、他の国に供給を続けます。

 でもその技術を新しい国が獲得することは認めません。多くの国がこの提案に不満を持つことはあきらかでしょう。遅れてやって来たからといってなぜこんな差別を受けなければならないのですか?

(ここでいう“ブッシュ構想”はオバマの“国際燃料バンク”とほぼ同じ構想である。)

 ブッシュと私は最終的には同じ目的を共有しているとは思いますが、ブッシュ構想より良い管理システムが必要だと思います。私の提案は、「早起きは三文の得」(the early bird catches the worm)ではなく、誰にでも公平な機会を提供しようというものです。もっと時間をかけて考えようよ、それまでいまのところ、個別の国が個別にあらたな施設を作るのを中止しようよ。

 そしてもっとよい管理システムを構築しよう、どの国にも供給が保障できるシステムをもって、どの国に対しても、「ぼくは自分自身の濃縮ウラン工場と処理工場をもちたい」と言わさないようにしようと言うことです。』
(「2005年CNNのエルバダイ・インタビュー」
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/CNN_Elbaradai.htm>

 エルバラダイ構想にあっては、同じ核燃料バンクであっても、一部核エネルギー諸国が独占する体制であってはならず、あくまでNPT参加各国の権利の平等が保証されたものでなくてはならない、と言う点がポイントだった。

 オバマ構想はそうではない。すでにウラン濃縮や燃料処理を行っている「先進国」がこれを独占しようというものだ。似ているが全く違った性質をもっている。

 先頃、IAEA事務局長の椅子を金で買った現事務局長天野之弥とロシアとの間に、ロシアのウラン濃縮工場(4箇所ある。<http://www.rist.or.jp/atomica/data/pict/04/
04050202/01.gif>
を国際核燃料バンクとするという契約を強引に結んだ。オバマがプラハで提唱した「国際核燃料バンク」構想の第T弾である。強引というのは、この契約に当たって、天野はIAEA参加国全体での民主的な議論抜きで行ったからである。

 (なお、天野やそれを支える日本が、IAEAの事務局長の椅子を金で買ったいきさつは「最も危険な核兵器保有国イスラエル−IAEA事務局長に天野氏選出の意味」
<http://www.inaco.co.jp/isaac/back/025-1/025_1.htm>
参照の事。)


 最良の核テロ対策は「核兵器廃絶」

 そしてここで突如登場するのが「核テロリズム」である。

 オバマは云う。

 今日、冷戦は消え去りました。しかし数千もの核兵器はそうではありません。歴史の奇妙な展開で、地球的な核戦争の脅威はなくなりつつありますが、しかし核攻撃のリスクは高まっているのです。さらにこれらの兵器を獲得した国も増えました。核実験は続いています。ブラック・マーケットは核の秘密(nuclear secrets)や核物質を取り引きしています。核爆弾を製造する技術は拡散しています。テロリストはそれを買い、製造し、盗もうと心に決めています。こうした危険を孕みつつ、われわれの努力は地球的な核不拡散体制へと収斂しているのです。しかしより多くの人たちや国家がこのルールを破るため、この体制を維持できない地点に到達しています。』

 先の朝日新聞の社説で、『同時に核の闇市場などを封じ込めて、テロ集団の手に核が渡らないようにする――というものだ。』としている部分だ。

 ここでのオバマの論理展開は相当に苦しい。

冷戦が消えた。核兵器が残った。(まるで自然現象のようである。正確には意図があって残しているのである。)地球的な核戦争の危険はなくなった。しかし核戦争のリスクは大きくなった。それはテロリストの危険である。テロリストが核兵器を入手しないようにしなければ、このリスクは大きくなる。」

 という展開である。冷戦のために核兵器があったというのなら、冷戦が消えれば核兵器はなくなるはずである。だから核兵器は冷戦のためにあったのではなく、事実は核兵器のために冷戦があったのである。だから、冷戦がなくなっても核兵器はなくならない。

 そして今度は核兵器がテロリストの手に渡らないようにしなければ、地球は危険に曝されるという。

 それほど危険ならば、テロリストが核兵器を製造することができない以上、核兵器そのものを葬ってしまえば、少なくとも地球が「核兵器の危険に曝される事態」は避けることができる。だから普通に考えれば、「テロリストの危険があるから、核兵器をなくそう。」となるのだが、オバマの論理展開はそうはならない。「テロリストに渡らないようにしよう。」となる。

 核兵器はなぜ必要なのかというとそれは「核抑止を使って核戦争を防止するためだ。」ということになる。

 この一連の矛盾に満ち満ちた論理展開でひとつだけ変化しないことがある。それは「アメリカは何が何でも核兵器の保有を続ける。」という1点だ。つまりオバマの論理展開の矛盾や苦しさは、「核兵器保有を続ける」という1点を動かさないための矛盾であり、苦しさであることは誰にでもわかる。三歳の童子でもわかる。

 しかし、朝日新聞の社説子にはこの論理矛盾のタネが理解できない。オバマに完全に同調してしまっている。その狙いは明らかであろう。オバマを支持すれば、オバマについていけば日本は大丈夫だという雰囲気づくりだ。一種の世論操作、誘導である。こうして多くの日本の市民は、「思考停止状態」に入っていく。

 オバマの云う「テロリスト」や「核テロリズム」なるものも、今日では相当怪しくなって来ている。
(たとえば、「ハルマゲドンへの道―9/11陰謀説」<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/
obama/obama_22.htm>
などを参照してみて欲しい。)


 今この問題に深く立ち入らないが、2000年代にはいって突如登場してきた、「アルカイダ」だの「テロ支援国家」だの「核テロリズム」だのがあって、「地球が核攻撃の危険に曝されている」という理屈は相当苦しい。ならば、テロリストを根絶する前に「核兵器を廃絶すればすむ話」の一言で片付けられる。これが健全な地球市民の政治判断というものだろう。


 「プラハ構想」とは「独占・搾取体制」

 これまで見てきたように、朝日新聞の社説の主張するように「プラハ構想」を動かしたら、どうなるのか?

 それは核兵器のみならず、原子力の平和利用(その多くは原子力発電である)の、アメリカを中心とした一部核供給国の独占体制の進展であり、その完成である。

 そしてかつて石油とその製品の世界市場供給を独占することによって、一部欧米諸国が、世界中の冨を搾取してきたように、今度は「原子力エネルギー」を使って、そうした「独占体制」を築いて、多くの新興国(中国やロシアを除く)や発展途上国からの新たな搾取体制の完成をしようとしている。この点が、5月のNPT再検討会議での山場の一つであろう。つまりオバマ政権は、「核兵器不拡散条約」を、自分たちは核兵器を保持したまま、文字通り「核不拡散・独占条約」にしようとしている。4月に開かれるオバマが提唱する「核テロ対策国際会議」なるものは、そのための茶番劇ということになるだろう。

 われわれ日本の市民も、欲と二人ずれでこうした体制作りに手を貸すのか、といえば、私の答えはノーである。(朝日の社説子の答えはイエスである。)

 20世紀は、一部大国が、強大な軍事力(その中心は核兵器だった。)と経済力を梃にして思うままに、威しと利益誘導で世界を支配する体制だった。二度の大戦も大きく云えば、それら諸国の支配権争いだった。そして気がつけば、一部の特権階級に世界の冨が、市民の冨が、ブラックホールのように吸い上げられる仕組みだった。

 21世紀はそうした時代であってはならないだろう。


 「戦略核兵器数」の意味

 もう一つ、この朝日新聞の社説の悪質さに触れないわけにはいかない。

 冷戦の遺物とも言うべき大量の戦略核弾頭を減らす新条約に、米国とロシアが合意した。オバマ米大統領が「核のない世界」を目指すと宣言した昨年4月5日のプラハ演説から約1年。署名式は8日、米ロ首脳がそろってプラハで行われる。

 これで急速に世界が核ゼロへと動くわけではない。だが、あの歴史的な演説で世界に発した言葉を行動に移していこうとする、オバマ氏の並々ならぬ意欲を感じさせる。

 新条約で米ロは、配備する戦略核弾頭をそれぞれ1550発以下に減らす。大陸間弾道ミサイルなどの運搬手段の保有数は、未配備分も含めて計800を上限にする。両国は発効から7年以内に削減目標を達成しなければならない。・・・新条約でもなお、世界の主要都市を何度も破壊できるほどの過剰装備ではあるが、安全保障戦略での核の役割を減らしていくための、重要な一歩である。』

 見苦しいまでの「オバマ礼賛」は、此の際目をつぶるとして、これまでそれぞれ6000だった核兵器が、(合計1万2000である。)、それぞれ1550に削減(合計3010である。)されたから、地球は1/3から1/4にその危険が削減したかのような書き方であり、これはすべてオバマの功績のような口調である。

 この社説子は、現在の核兵器の破壊力をどのように想像して、6000だの、1550だのという数字を書いているのだろうか?

 ヒロシマやナガサキの原爆をイメージしながら書いているのだろうか?

 しかもこれら核兵器は、実戦配備の戦略核兵器の上限である。実戦配備の核兵器ということは、ミサイルや自由投下型の爆弾の形で、命令があればいつでも発射できる核兵器だということだ。言い替えれば24時間、地球はそのどこかに、これら核兵器攻撃をいつなりとも受ける体制にあるということだ。この他に実戦配備の戦略核兵器や予備用の核兵器、あるいは貯蔵用核兵器が手つかずで存在している。

 私からすれば「狂気の世界」に暮らしていることには変わりない。「1万2000の狂気」か「3010の狂気」かという単に抽象的な数字の違いでしかない。

 現在の核兵器は、ヒロシマ・ナガサキの原爆とは全く違うモンスターに化けている。

 アメリカが現在保有(実戦配備しているものも含む)している核兵器の型番と特質は、「核兵器アーカイブ」というサイトで見ることができる。
(“The Nuclear Weapon Archive”<http://nuclearweaponarchive.org/>


 そのサイトの中で「持続し続けるアメリカの核兵器の貯蔵」(“U.S. Nuclear Weapon Enduring Stockpile”<http://nuclearweaponarchive.org/Usa/Weapons/
Wpngall.html>
というリストは、2007年8月末時点でアメリカが保有している核兵器のリストだ。実戦配備している核兵器を含んでいる。


 アメリカが保有する核兵器

 このリストは、これまでアメリカが製造した主要72のタイプ(合計7万)の中で、現在実際に稼働しているものが、一覧で眺められる。

 それによると、10種類の主要タイプの核兵器(核爆発装置)が存在する。たとえば有名な「B61」ファミリーは、当初の0モデルから11モデルのうち、モデル3、モデル4、モデル7、モデル10、モデル11と半分近くが生き残っており、うちモデル10だけが「戦略核兵器」と位置づけられ、あとは戦術核兵器である。モデル10はその出力(yield)から見ると、300トン、5000トン、1万トン、8万トンと4種類ある。

 またB61は、現在オバマ政権の「核兵器新品再生計画」で重点ファミリーと目され、2011年度の要求予算では、「核兵器貯蔵支援」で、トライデントI・U型用核爆発装置「W76」、ミニットマン用の爆発装置「W78」と共に新品再生の対象となっている。これらへの割り当て予算は、2011年度20億ドル(1800億円)で前年から25%のアップとなっている。
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/obama/obama_21.htm>

 W76は「W76Mk−4」と「W76Mk−4A」と2モデルあり、新品再生の対象となっているのは「4A」の方だ。いずれも出力は10万トン。

 「W78」は785が実戦配備され、これとは別に20が新品再生の対象となっている。新品再生が終われば800以上が実戦配備されるだろう。出力は33万5000トン。

 その他実働核兵器で保有数量の大きいものを挙げれば、B83ファミリー(保有数626、出力最大1.2メガトン)、W88(保有数量404、出力47万5000トン)などがある。

 だから核爆発装置(核兵器)の1個あたりの平均出力を約30万トンと見ることは妥当だろうと思う。


 「ヒロシマ1.5万トン」、「ナガサキ2.2万トン」

 この「核兵器アーカイブ」は別にヒロシマ・ナガサキの遺産」“The Hiroshima/Nagasaki Legacy”<http://nuclearweaponarchive.org/Japan/Hirosh.html>の中で、ヒロシマ型原爆の出力は1万5000トンと推定し、ナガサキ型の原爆は2万2000トンだったと推定している。だから現在の核兵器の平均出力を30万トンと仮定してみると、ヒロシマ型原爆の20倍の出力、ナガサキ型の14倍の出力ということになる。

 もちろんこれは平均だから、出力の比較的大きいもの、たとえばB83−1の120万トン(1.2メガトン)と比較すると、ヒロシマ型の80倍、ナガサキ型の55倍という出力ということになる。

 現在の核兵器1個が爆発すると、ヒロシマの20倍、ナガサキの14倍の破壊力をもっている、ということが、「6000」なり「1550」なりの数字の中身だ。

 しかもこの破壊力の中には「放射能」による破壊力はまったく計算に入っていない。爆風や熱線による破壊は、物理的破壊力の中に含めて考えることができる。

 要は想像力の問題だ。今実際に配備されている(繰り返すようだが、これは理論上は命令一下いつでも発射できる体制にあるということだ。)核兵器は、ヒロシマの20倍、ナガサキの14倍が平均値だということだ。

 今仮に30万トンの核兵器が、広島市内の中心、たとえば原爆ドームに投下されたと考えてみよう。実際に投下された原爆と直接比較するのはむつかしい。というのは原爆の被害は、その日の天候、地形、あるいは建物の堅牢性や脆弱性に大きく左右される。トルーマン政権の時に、「米国戦略爆撃調査団報告―ヒロシマとナガサキ」が特別版として作成されトルーマンに提出されたが、その中で、

 というのはもっとも破壊が集中していた地域はウラカミ谷であり、原爆による衝撃は広島に較べると全体としてみれば限定的だったからである。つけ加えれば「火事場嵐」(a fire storm)は発生しなかった。実際のところ風向が変わったことによって火災が大きくなるのを制御してしまった。』

 長崎は、破壊の規模において広島より大きかった。地勢の影響や原爆の落下地点のため実際に破壊された地域が狭かったにもかかわらずだ。』

 と述べ、ナガサキ型原爆はヒロシマ型原爆より規模が大きかったのに地形などの影響で、実際に生じた損害は広島より小さかった、とやや残念そうに書いている箇所がある。
(「そのA 長崎、人的損害、閃光火傷、その他の負傷まで」<http://www.inaco.co.jp/isaac/
shiryo/U.%20S._Strategic_Bombing_Survey/02.htm>


 だが、1945年7月、最初の原爆がアラモゴードで炸裂したとき、その結果を「マンハッタン計画」の責任者レスリー・グローブズが、ポツダム会談でベルリン郊外にいた陸軍長官ヘンリー・スティムソンに当てた報告書が残っている。この最初の原爆(ガゼット)は、型も規模もナガサキに投下された原爆(ファットマン)とそっくり同じものだった。

 その報告書は次のように云っている。

破壊の度合いによって、破壊の状況は次のように区分された。
1. 蒸発点 爆心から半径0.5マイル(約800m)まで。死亡率98%。
死体は行方不明または識別できないほど焼けこげる。行方不明とはこの場合すなわち蒸発である。
2. 全破壊帯 爆心から半径1マイル(約1.6Km)まで。死亡率90%。
全ての建物が破壊。
3. 過酷な爆風損害地域 半径1.75マイル(約2.8Km)まで。
死亡率65%・負傷率30%。橋・道路損壊。川の流れは逆流。
4. 過酷な熱損害地域 半径2.5マイル(約4Km)まで。
死亡率50%・負傷率50%。死亡はほとんど火災のための酸欠死。
5. 過酷な火災と風による被害地域 半径3マイル(約4.8Km)まで。
死亡率15%・負傷率50%。もし生きていても二度三度と火傷を負う。』
(以上<http://www.inaco.co.jp/isaac/back/006/006.htm>による)

 この報告は、地形の影響や投下地点が市の中心点をそれたことを調整して考えると、「米国戦略爆撃調査団報告―ヒロシマとナガサキ―」でしめされた長崎の惨状と驚くほど一致している。


 ナガサキが広島に投下されたら

 だから、ナガサキ型原爆が広島の中心地に投下されたと仮定してみよう。半径約800mが蒸発点で死亡率98%、半径1.6Kmが全破壊地帯で死亡率90%、半径4.8Km以内が「苛酷な熱損害地域」で死亡率50%となり、これを3つのサークルにしてみると図1のようになる。ほぼ広島心の旧市内がすっぽり死亡率50%圏内にはいる。

(図1)クリックで詳細図(PDF)をご覧いただけます

 それが現在の核兵器の平均値である出力30万トンの核兵器が投下されたとするとどうなるか?半径11.2Km以内が蒸発点で死亡率98%、半径22.4Km以内が死亡率90%、半径56Km以内が死亡率50%圏内である。この3つのサークルを図示したのが、図2である。ほぼ合併後の広島市内全体がすっぽり死亡率98%、宮島から呉あたりまでが、死亡率90%、山口県の大島や柳井、広島県の三原まで、北は島根県西南部がほぼ死亡率50%圏内に拡大する。

(図2)クリックで詳細図(PDF)をご覧いただけます

 繰り返すようだが、この被害想定サークルは、一次放射能の被害や残留放射能の被害は全く度外視している。放射能被害こそ、核兵器を他の兵器とくっきり区別する特徴だが、その被害は簡単に数量化を許さないほど幅広く、奥深く、また経年的であり、しつこく、執念深い。

 仮に「核兵器アーカイブ」のリストの中のB83−1の最大出力1.2メガトン(120万トン)が投下されたらどうなるか?

 半径44Kmまでが「蒸発点」で死亡率98%。西は岩国市の西まで、東は広島県の三原近くまで、南は瀬戸内海の大三島近辺、北は広島と島根の県境までがすっぽり入る。死亡率90%地域は半径88Kmに拡がり、西は山口市近辺、南は愛媛県松山市、東は福山市をすっぽり包んで岡山県との境までがすっぽり入る。死亡率50%になると半径220Kmまで伸び、西は九州の福岡を包んで佐賀市あたりまで。南は四国全域がまるごと含まれる。西は淡路島が半分含まれるところまで伸び、北は隠岐の島まで達する。これを3つのサークルで示したのが図3だ。

(図3)クリックで詳細図(PDF)をご覧いただけます

 大型のB83なら、中心点さえ適切に選べば、4−5個で日本列島は全滅する計算になる。

 要は想像力の問題である。現在アメリカとロシアの、戦略核兵器がそれぞれ6000実戦配備されている。これがそれぞれ1550になったところで、どれほどの違いがあるか。地球は一度しか滅ぼせない。仮に地球を10回滅ぼすだけの核兵器を保有していたとしても、2回分以上は無意味数なのだ。6000も1550も無意味数だ。繰り返すが、これは実戦配備の核兵器の話である。実戦配備の戦術核兵器、予備用の核兵器、保存貯蔵用の核兵器は別の話なのだ。

 しかし朝日新聞の社説は次のように言う。

 新条約でもなお、世界の主要都市を何度も破壊できるほどの過剰装備ではあるが、安全保障戦略での核の役割を減らしていくための、重要な一歩である。』

 社説子は「世界の主要都市を何度も破壊できるほどの過剰装備である。」と書いているものの、言葉だけが上滑りして全くその結果どうなるのかの想像力を欠いている。お粗末極まりない。もしその想像力があれば、「安全保障戦略での核の役割を減らしていくための、重要な一歩である。」とは到底書けまい。


 「マイノット空軍基地事件」にみる人為ミス

 「100の狂気」が「25の狂気」になったところで「狂気」には変わりない。この社説子の認識からは「われわれは今、狂気の世界に生きている。」という視点がすっぽり抜け落ちている。

 核攻撃はなにもテロリストだけの専売特許ではない。いやむしろそれよりも、人為的な事故攻撃のケースの方が可能性が高い。われわれが知りうる範囲でも実際に起こっているのである。2007年に発生した「マイノット空軍基地事件」などが好例だろう。

 これは、2007年8月29日から30日にかけて、マイノット空軍基地とベーカースデール空軍基地の間で発生した事件。核爆発装置W80−1モデル(出力5000トンモデルから15万トンモデルまである。)を搭載した巡航ミサイルが間違えて空軍のB52−H戦闘機に搭載された。本来は通常爆弾搭載のミサイルが搭載されなければならなかった。6基の核ミサイルを搭載したB-52Hはそのままマイノットからベーカースデールに飛び立ち、間違いに気付くまでに36時間もかかった。その間、核ミサイルは当然のことながら、通常の核兵器が管理下に置かれる手順やマニュアルの範囲外にあり、危険な状態だった。
(以上<http://en.wikipedia.org/wiki/2007_United_States_Air_Force_
nuclear_weapons_incident>


 核兵器の発射は大統領命令がなければ実行できない。ところが通常ミサイルは、原子司令官の判断で、あるいは状況によってはこのB−52Hの機長の判断でも発射できる。この36時間の間に、もしそうした状況があったら、間違いなくW80を搭載したミサイルは大統領命令なしに発射されていたろう。

 私はこうした人為事故は氷山の一角だと考えている。人間はミスをする動物なのだ。コンピュータだって誤作動しうる。

 核兵器を保有していること自体、ましてやそれを実戦配備していつでも発射できる体制自体が危険極まりないことなのだ。


 「狂気の世界」からのプロバガンダ

「安全保障戦略での核の役割を減らしていくための、重要な一歩である。」(朝日社説)と「米ロ戦略核兵器削減交渉」を評価すること自体、もう「狂気の世界」の住人といわざるを得ない。

 こうした新聞の論調は何も朝日新聞ばかりではない。「中国新聞」も同じく3月28日の社説で、

 世界の核兵器の90%以上を保有する米国とロシアが、昨年末に失効した第1次戦略兵器削減条約(START1)に代わる新たな核軍縮条約に最終的に合意した。来月8日にチェコのプラハで調印する運びだ。ヒロシマ、ナガサキをはじめ多くの人々の切望する、核廃絶へ向けた大きな一歩として歓迎したい。』
<http://www.chugoku-np.co.jp/Syasetu/Sh201003280108.html>

 と書き、朝日とほぼ同様な論調で「米ロ戦略核兵器削減交渉」を礼賛している。この新聞もまた「狂気の世界」に生きている。

 しかし、われわれ一般市民は、決してこのような「狂気の世界」からのプロバガンダに乗ってはならない。自分の頭で考え、判断し、「核兵器時代の想像力」を十分に働かせ、「正気の世界」にしっかり踏みとどまらなくてはならない。

 そして「狂気の世界」を「正気の世界」に変えていかなくてはならない。

 まことに、2009年8月6日、第63回国連総会議長だった、ニカラグアのミゲル・デスコト・ブロックマンが広島で次のように云うとおりである。

 日本が核攻撃の残虐性を経験した世界でただ一つの国であり、かつその上に、日本が世界に対して「許し」と「和解」の意義深い実例を示した、という事情を考慮するなら、私は、日本は、この象徴的な「平和の都市」、聖なるヒロシマは、核兵器保有国を招集するもっとも高い道義的権威をもっており、世界に存在する核兵器に対する「ゼロ寛容」(“Zero Tolerance”。1個の核兵器も許さないという意味。)の道をスタートすることによって、われわれの世界を正気に戻す先頭に立つプロセスを真剣に開始する国だと信じます。』
(「広島平和記念式典におけるミゲル・デスコト・ブロックマン 第63回国連総会議長のあいさつ」
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/2009_03.htm>