第3回「赤旗」よ、お前もか・・・、スローガンとしての「核兵器廃絶」の終焉 そのA
(2011.2.25)
「スローガン」から「政治課題」へ

 2010年5月28日、NPT再検討会議最終日、最終文書合意妥結後直ちに発表されたニューヨーク国連本部「ニュース・メディア局・広報部」(Department of Public Information ・ News and Media Division)発表の、「最後の瞬間に最終文書採択」と題する広報資料を読む限り、「核兵器保有国に廃絶の期限を約束させる」という大魚を逸した非同盟運動諸国の悔しさがにじみ出ている。と同時に最後の瞬間でするりと抜けた核兵器保有国の安堵も率直に表明されている。
(2010NPT再検討会議webサイトのトップページ。再検討会議関連文書の宝庫である。)
(「核兵器を嫌悪する非同盟運動諸国」を参照の事
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/NPT/2010_06.htm>。
またこの国連文書の原文は次で読める
http://www.un.org/News/Press/docs/2010/dc3243.doc.htm>)


 しかしアメリカが主導権を握れなかった、特に今回再検討会議のようにアメリカが完全敗北を喫したNPT再検討会議は史上初めてではないか。同時に「核兵器廃絶」が、はじめてアメリカ主導の国連社会において「スローガン」から「政治課題」に転換した瞬間でもある。

 この国連広報文書は、「金字塔的な最終文書」という見出しを立てて次のように会議の雰囲気を伝えている。

度重なる交渉、そして何度なく行われた白熱した議論の後、核兵器不拡散条約(the Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons−NPTであって核不拡散条約なのではない。)への参加国は、本日、見直しのための2010年会議を閉会し、全会一致の最終文書を採択して金字塔的に、1968年協約(核兵器不拡散条約のこと)を前進させた。最終文書は核兵器軍縮に関する進展を加速し、不拡散を前進させ、かつ中東非核兵器地帯へ向けた作業を前進させるステップを含んでいる。』

 大きな二つの特徴がある。一つはNAM諸国(核兵器廃絶勢力)の主導によってはじめて達した「最終文書」であるということだ。もう一つは核兵器温存勢力、特にアメリカ・オバマ政権に対する最大の打撃とも言うべき「中東非核兵器地帯」実現へ向けて具体的な道筋を決定し、全体が合意したことだ。「核兵器廃絶」がスローガンでなくなったと同時に「中東非核兵器地帯」もスローガンではなくなり、「政治課題」となったことだ。


「我々は2015年を目指してスタートした」

 各国代表の声明もこの点を大きく評価している。

 NAM諸国を代表して、エジプト代表は次のように述べている。

時間的制約のため「今回会議で達成しようという狙った課題すべては達成出来なかった。しかし非同盟運動諸国は、表にでてきた各国の善意をうまく活用しようと決断した。失敗は考えてもいなかった。そして今回最終文書は、これから先の数年間、“交渉”の基礎となるものだと、非同盟諸国は見なしている。再検討会議は、歴史的な危機の中で招集された。それは新たなリーダーシップとより強力な政治的意志の中で起こってきたものだった。』

 核兵器廃絶期限を約束させられなかったが、それはアメリカ・オバマ政権を中心とする核兵器保有国が頑として受け入れなかったからだ。しかし、今回は最終文書採択を全てに優先させた、とNAM諸国(エジプト代表)は言っている。今回最終文書はこれからの交渉の基礎になるものだと評価している。

2015年再検討会議では、2025年までの核兵器完全廃棄を目処として完全かつ速やかな核軍縮の実行を実現すること。(すなわち核兵器廃絶)核兵器不拡散条約の目的の地球規模での実現と条約を効果的にするため要求される普遍性を実現することに焦点を合わせた努力を追求すること。そして、2025年までに核兵器のない世界を実現する根本としての核兵器禁止条約に関する交渉をスタートすることの促進である。』

 そしてNAM諸国は今回再検討会議が終了した瞬間から、2015年再検討会議で核兵器廃絶の期限を切る(2025年完全廃棄)目標を実現するためにその準備に入ると明言した。


イランの完全勝利

 話はやや逸れるかもしれないが、エジプト代表は次のようにも会議の成果を評価している。

非核兵器保有国参加国が、その国家的選択に従って平和的原子力エネルギーの利用を行うのは奪い得ない権利であることの再確認。この権利には、条約第4条と矛盾するいわれのない規制なしに核燃料サイクルを行うことも含んでいる。そして参加国による自主的な調整と確信に満ちた手段の構築は、完全に法的に正当性があることの確認。』

 これはイランの完全勝利である。原子力の平和利用が是か非かという議論は確かにあるが、問題はそれとは別である。核兵器不拡散条約は第4条で「原子力エネルギーの平和利用は参加加盟国の奪い得ない権利である。」と規定している。またこれは単に原子力エネルギーの成果を消費するだけでなく、核燃料サイクルまで行うことを含んでいる。この規定と矛盾する一切の規制なしに「原子力エネルギーの平和利用」を行う権利を再確認したというというのがNAMを代表するエジプト代表の声明の骨子である。

 イランのウラン濃縮活動はまさにここで明記されている活動にあたる。イランの名前こそ明記してはいないが、NPT再検討会議はアメリカを含めてイランのウラン濃縮活動を承認したに等しい。

 この再検討会議直前、アメリカ・オバマ政権は「イランを国際的に孤立させることが出来れば2010年再検討会議は成功だ。」と声明したが、逆にオバマ政権が孤立し大敗北を喫した。しかし、オバマ政権は単にイランに敗北したのではない。条約の公正な実施を求めるNAM諸国の固い結束に敗れたのである。

 エジプト代表(繰り返しになるがこの声明はNAM諸国を代表した声明である。)は次のような言葉で声明を結んでいる。

前向きな最終文書の採択は「確固として議論の余地のない」証拠を提示した。そしてその証拠の中で、非同盟運動諸国は交渉を通じて最大限の柔軟性を示したのである。不完全ではあるものの、最終文書は、我々をすべての側面において前進させるものだ。核兵器不拡散条約が備えているすべての条文のバランスの取れた実行とその普遍性を一層前進させるため、2015年へ向けた取り組みに他の参加国を誘い込むつもりだ。』

 これは2015年の再検討会議で核兵器保有国へ「核兵器廃絶」の日程を約束させる決意を改めて表明するものに他ならない。


NAMを支援するアイルランド

 アラブ・グループを代表してレバノン代表は、ほぼ満足の意を表して次のようにいう。

中東地域における継続的行動、それに決定的要素として1995年決議(中東非核兵器地帯創設決議)の確認とその実施は中東地域の安定と平和を追求するために、イスラエルが地域の他の国とともに、非核兵器保有国としてNPTに加盟することの必要性を強調したい。第2委員会の委員長としてアイルランドのアリソン・ケリー(Alison Kelly)大使がこの問題に大きな努力をなした。
 
 アラブ・グループはこの歴史的転換点の重要性を理解している。そして最終合意において、そのこと(イスラエルが非核兵器保有国としてNPTに加盟することの明記)が存在する大きな価値を強調したい。アラブ・グループは、その勧告を好意的に受け止め、また2012年会議(中東非核兵器地帯創設のための国際会議)に期待している。それは世界の他の地域と同様に、中東の人々が非核兵器地帯で暮らすこと確かなものとすることを世界が模索するからだ。

その理由によって、アラブ・グループは、その最終文書をそのままの形で何も付け加えずに受け入れたのだ。レバノン代表は、狭い政治的見解を乗り越え、条文の積極的な方向に向かって進むこと、そしてそれは中東により良い希望を許すものなのだが、そのことをすべての代表団に向かって要請する。』

 ヨーロッパ諸国の中では、アイルランドが積極的に「核兵器廃絶」を政治的課題として取り組んでいることを窺わせる声明でもある。

 同じ非同盟諸国でも、「中東非核兵器地帯実施決議」のような目に見える成果を勝ち取れなかったキューバ代表の声明は悔しさが滲んでいる。
 
(今回の)再検討会議は(われわれを)高い期待へと導いた。キューバ政府は積極的かつ建設的に作業し、核軍縮は引き続きもっとも高い優先順位を占めるという立場で会議をリードした。結果は(功罪)相半ばする。結論は前進的ステップを含んでいた。同時に、最終条文は本来必要であるべき内容からすると依然としてほど遠いものであった。最終的結論は、依然としていくつかの核兵器保有国との間には距離があることが明白なままとなった。その一方で、喜んで取るべき具体的なステップも明確となった。
 
 キューバ代表は、最終文書は核兵器不拡散条約を強化することを目指していないことを残念に思っている。それは会議議長の考えの反映であって、参加国の反映ではない。条約実行の見直しで使われる手続きは先例とすべきではない、あるいは将来の慣例として使用すべきではない。行動計画は、一歩前進とはいうものの、「限定的であり不十分」であった。非同盟運動諸国から提案された多くの行動計画は「薄められた希望と念願」としてしか反映しなかった。キューバは、2025年までを期限として核廃絶を達成することも含め出来る限りのことを行った。しかしそれは叶わなかった。』


NAMの「核兵器廃絶」へ向けた具体的要求

 再検討会議の議長は同じ非同盟諸国のフィリピンから出ていた(リブラン・カバクラン)が、キューバ代表は議長を非難している。しかし議長は最終文書を採択すること、言い換えれば妥協の最大公約数的一致点を見いだすことに、全力を注いだのであって、このキューバ代表の非難はやや手厳しすぎるかも知れない。さらにキューバ代表は次のように言う。
 
その他の制限交渉の中でも、最終文書は核兵器禁止条約に関する交渉の必要性について言及していない。また新たな核兵器の開発について明確な形でその禁止にも触れていない。さらに、最終文書の条文には、核兵器を保有していない諸国における核兵器からの即時の撤退の必要性に対する要求も含まれていない。また非核兵器保有国に対する普遍的な安全保証を盛り込んだ、国際的かつ法的拘束力のある手段の採択もしていない。「一歩一歩のアプローチ」(“step-by-step approach")は、現状をそのまま維持するための口実として使われてはならない。核軍縮は継続的な遅れの対象であってはならない。本日は狂喜すべき理由も、また悲観的になる理由も見当たらない。今日の結果は動機付けとして機能すべきだ。核兵器のない世界を達成するまで、我々は休むことは出来ない。』

これを読むとキューバ代表の言い分ももっともだと思われる。

NAM諸国は、

@ 核兵器廃絶の期限を決めること。
A それを担保するため核兵器禁止条約交渉を開始すること。
B 核兵器廃絶までの暫定期間、非核兵器保有国から核兵器を引き揚げること。
(私は確認できていないが、アメリカの拡大核抑止力―いわゆる核の傘を認めないことも含んでいると推測している)
C 核兵器廃絶のまでの暫定期間、非核兵器保有国に対して核攻撃しないとの約束を国際的合意にすること。
D 核兵器保有国は核兵器の新規開発はもちろん、既存核兵器の近代化も行わないこと。

 などを要求に盛り込んだ。この要求は一つ一つアメリカ・オバマ政権を中心にした核兵器保有国や西側ヨーロッパ諸国(アイルランドやオーストリアなどは別)に潰されていった。

 その悔しさをキューバ代表は指摘している。しかしキューバ代表は事態を冷静に受け止めている。最終文書は将来の「核兵器のない世界」を達成するためのステップになりうる、と言っている。


「核兵器のない世界」の起源

 ちなみにこの各国声明では、「核兵器のない世界」(the World free from Nuclear Weapons)という表現が夥しく出てくる。日本ではオバマが「プラハ演説」で使った言葉を、各国政府代表が踏襲しているという誤解も出てこようが、参加各国がこのフレーズを使っているのは、この言葉が1995年決議や2000年最終文書で使われた言葉だからだ。核兵器廃絶を目指す非核兵器保有諸国は、1995年・2000年合意を積み上げ、そのゴールを2010年再検討会議でも活かそうという観点から「核兵器のない世界」という言葉を使っている。「核兵器のない世界」という言葉は、もともとNPT再検討会議が産み出した言葉なのだ。

 この「核兵器のない世界」という言葉を、2007年ジョージ・シュルツ、ウィリアム・ペリー、ヘンリー・キッシンジャー、サム・ナンというそうそうたるメンバーが1月4日付けの共同論文「核兵器のない世界」(“A World Free of Nuclear Weapons”)で使用し、一躍世界的に有名になった。この時点でアメリカも「核兵器廃絶」=「核兵器のない世界」を政治的スローガンとしなければ、世界のリーダーシップを取れない、と判断したと云うことでもある。と同時にこのスローガンを利用して、核兵器のみならず「原子力の平和利用」も一挙に、核兵器同様、アメリカを中心とした「核先進国」の独占体制を確立しようと考えた。そのことを理念的に示した論文が、1年後の2008年に同じ4人が共同署名で発表した「核のない世界へ」(“Toward A Nuclear-Free World”)だった。
(以上<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/A_World_Free_of_Nuclear_Weapons.htm>や
http://www.nuclearsecurityproject.org/atf/cf/%7B1FCE2821-C31C-4560-BEC1-
BB4BB58B54D9%7D/TOWARD_A_NUCLEAR_FREE_WORLD_OPED_011508.PDF
>を参照の事)


 この4人の2008年の主張をもっと理論的に整理した形で発表された論文が、「核兵器のない世界へむけて」(“Toward a World Without Nuclear Weapons”)の副題のついた「ゼロの論理」(“The Logic of Zero”)である。アメリカのシンクタンク外交問題評議会の機関誌「フォーリン・アフェアーズ」の2008年11月/12月合併号に掲載された。この論文の中で、アメリカの「核兵器独占体制」「原子力エネルギー独占体制」のことを「包括的核管理体制」(“Comprehensive nuclear-control regime”)と呼んだ。
(「ゼロの論理」を参照の事。<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/obama/obama_14.htm>)

 そして、2009年1月オバマ政権が成立すると、その年4月オバマは、おおむねアメリカ支配層の流れに沿って「プラハ演説」を行うのである。だからプラハ演説は2000年代に入ってからアメリカ支配層が小出しにしてきた計画全体の一部を正式な政策として定式化したものに他ならない。

 確かに「核兵器のない世界」という言葉は、日本においてはオバマのプラハ演説で有名になった言葉かも知れないが、国連の核軍縮社会では1995年以来普通に使ってきた言葉であって、それは逆に日本の社会が、世界の核兵器廃絶の流れといかに無縁に過ごしてきたかを示すものでもある。
(偉そうなことを書いているが、私にしても2008年の4人の論文でこの言葉をはじめて知った。そして文書をさかのぼって読んでいくと、なーんだ、1995年の再検討拡大会議の時に使われ、2000年の再検討会議最終文書で使われていることを後で知った。)


NAM諸国の本音を語るイラン

 NAM諸国からもう1カ国。他ならぬイラン代表だ。各国声明を読む限りイラン代表がもっとも手厳しい。やや長くなるが、NAM諸国の本音を一番率直に表現している。またイラン代表の声明は、NAM諸国を代表するエジプト代表の声明に関連するものだと断りも入れている。つまりNAM諸国を代弁するものであると言いたいのであろう。

核兵器の存在は、人類に対する最も喫緊の危険だ。またその破滅的な結果は、そのようなことが起こらないように防止するあらゆる手段をとることがすべての人間の義務として科せられている。その無差別的な性格は、国際人道法の下に禁止さるべきものとして分類される。』

 私とすれば、せめてこれぐらいのことは対米従属の日本政府代表は無理としても、広島市長の秋葉忠利、長崎市長の田上富久、日本被団協を代表した谷口稜曄(すみてる)(長崎原爆被災者協議会)には再検討会議で言って欲しかった。3人の再検討会議・NGOセッションでの演説はあとでも見るが、情けないほど情緒的であり、このイラン代表のように「国際人道法上禁止されるべきである。」と明確に言い切ったものはいなかった。

私は日本の外務省への配慮であろうと推測している。1995年広島市長だった平岡敬は、ハーグの国際司法裁判所で核兵器の非人道性に関する陳述を行うのだが、その際外務省から、原爆の悲惨だけを訴えて、核兵器が国際法上違反であるかないか判断は差し控えてくれと要請される。外務省の要請はむろんアメリカへの配慮である。核兵器が国際法上違反であるとなれば、アメリカの核兵器保有の合法性はその瞬間にくずれさるからだ。

この時、平岡は外務省の要請を蹴って、長崎市長伊藤一長とともに明確に「国際法上違反」と証言した。今回NPT再検討会議で、秋葉、田上、谷口の3人が明確な口調で「核兵器の保有は国際法違反」と言わなかったのは、1995年同様に外務省の要請、あるいは暗黙の合意があったからだと私は推測している。
なお1995年平岡陳述のいきさつは、「平岡口頭陳述」<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/1995_1107_hiraoka.htm>や「平岡敬とヒロシマの思想 第7回広島市長時代―国際司法裁判所勧告的意見の意味」の「外務省から証人要請」の項以下<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/hiraoka/7/7.html>に詳しい。なお、平岡敬や伊藤一長の歴史的な陳述はいまだに広島市の公式サイトでも長崎市の公式サイトでも読むことが出来ない。まるでこの2人の陳述を両市とも忘れ去りたいかのようである。)

 イラン代表の声明を続けよう。

核兵器敞を近代化することは非難されるべきだ、そして(そしてそのことに国際社会は)寛容であってはならないと強調する。核能力の増大は、その政治的信頼性の減少と等しくあるべきだ。国際社会は決められた期限内に核兵器の獲得や使用を禁止する実際的なステップを、正当にも期待していた。2000年に、(1995年の)拡大交渉に続いて13の段階が確認された。しかし不幸なことに、それら(13の段階的実行計画)は実施されなかった。そしてその上、それらとは逆の手段が採用された。弾道弾迎撃ミサイル制限条約(the Anti-Ballistic Missile Treaty)の撤廃は、2000年合意の違反だが、その核兵器実戦配備の地位が上がるとともに、またその国家安全保障ドクトリンにおける地位が向上するとともに、核兵器の質的改善と新たな開発段階へと導いていった。そのような政策が2005年再検討会議失敗の主要な理由となっている。』


オバマ政権の核の近代化政策批判

核兵器敞を近代化することは非難されるべきだ。そのことに寛容であってはならない。』

 この言葉は、明らかにアメリカ・オバマ政権の「核兵器近代化政策」を指している。アメリカは1990年代以降新たな核兵器の製造を行っていない。いわゆるピーク時数万発の核兵器を保有していたアメリカに取って核兵器製造を続けることには全く意味がない。(これはロシア=旧ソ連にとっても同じ事情だ)兵器級核燃料も貯蔵施設に溢れている。

記者会見するバラク・オバマ。
右側は国務長官ヒラリー・クリントン

(写真はホワイトハウスのwebサイトからコピー貼り付け)

 しかし一方で、保有核兵器の老朽化はどんどん進んでいく。これは二重の意味で危険である。一つは核兵器事故である。もう一つは核兵器に対する信頼性が低下することによって生ずる「核兵器による威嚇」効果が減殺されることだ。
(長い文章で恐縮だが、また固い翻訳で恐縮だが、「アメリカの戦略態勢」(いわゆるペリー報告)というアメリカ議会報告の「核態勢論」<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/obama/USA_SP/strategic_posture_4-2.htm>に目を通していただきたい。ほぼ現在のオバマ政権の核兵器政策の骨格をなしている。いや、とばし読みだって構わない。)

 こうしてクリントン政権以降、老朽化した核兵器の「新品再生事業」が始まった。オバマ政権はブッシュ政権以上にこの新品再生事業に力を入れている。
(「アメリカ国家核安全保障局について」
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/obama/obama_21.htm>を参照の事。)


 今回NPT再検討会議でNAM諸国の要求の一つに、前述のごとく「D核兵器保有国は核兵器の新規開発はもちろん、既存核兵器の近代化も行わないこと。」があったが、これもアメリカ・オバマ政権の主導で核兵器保有国とそれを支援する西側グループ(日本も含んでいる)ははねつけた。

 イラン代表はこのことを指摘している。と同時にこのイラン代表の言葉は、第63回国連総会議長、ニカラグアのミゲル・デスコト・ブロックマンが2009年、特に希望して広島と長崎の原爆の日に出席して述べた演説の趣旨とも合致している。この時デスコトは、核兵器廃絶に関する広島の役割について特に触れ、同年8月6日、次のように述べた。

日本は、この象徴的な「平和の都市」、聖なるヒロシマに核兵器保有国を招集するもっとも高い道義的権威をもっており、世界に存在する核兵器に対する「ゼロ寛容」(“Zero Tolerance”)の道をスタートすることによって、われわれの世界を正気に戻す先頭に立つプロセスを真剣に開始する国だと信じます。』

 つまり彼は、世界に存在する核兵器に対しては1発たりとも「寛容」であってはならない、と主張したのである。
(なお当日会場参加者に配られたデスコト演説要旨は、広島市仮訳としてあったが、実際には外務省が訳して印刷したプリントを当日広島市は配布しただけと判明したが、外務省の訳からは、上記のパラグラフは慎重に取り除かれていた。以上「広島平和記念式典におけるミゲル・デスコト・ブロックマン 第63回国連総会議長のあいさつ<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/2009_03.htm>」を参照の事。)


 さらにデスコト・ブロックマンは8月9日、長崎で、

今日のジョージ・オーウェル的な世界においては、核攻撃による瞬間的な壊滅の脅威は「抑止」と呼ばれ、お互いに対する恐怖は「安定」と呼ばれています。「軍縮」は通常であれば削減を意味しますが、核戦力の廃絶というより近代化を意味するものでもあります。我々は、この不誠実で偽善的な詭弁をやめなければなりません。

 次に取り組むべき優先課題は、全ての核兵器の完全で最終的な廃絶に向けて宣言し、断固たる行動を取ることです。これを信頼できるものとするためには、廃絶を確実に実現する野心的かつ現実的な期日を設定する必要があります。』

第63回国連総会議長時代の
ミゲル・デスコト・ブロックマン。
当時アメリカを「戦争中毒国家」と
非難し激しく対立した。
国連のサイトからコピー貼り付け)
 
 と述べ、2010年NPT再検討会議でのNAM諸国の情勢認識と要求を先取りする発言を行っている。(「ミゲル・デスコト・ブロックマン第63回国連総会議長の長崎におけるあいさつ」<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/2009_05.htm>参照の事。)


「オバマジョリティ」のまっただ中

 日本の世論は、この時デスコト・ブロックマンの発言にほとんど注目しなかった。2009年と言えば、西側マスコミによって作られた「オバマ・ブーム」がまだ続いていた時であり、オバマのメッキがまだ剥がれ落ちる前だった。広島市長秋葉忠利が、8月6日の平和宣言で臆面もなく「オバマジョリティ!」を声高に叫んでいた時でもある。

 2009年8月7日、朝日新聞の朝刊広島版一面トップの平和式典を伝える記事は、「オバマ賛美」で埋め尽くされた。秋葉忠利がオバマを口真似した「Yes, We Can」が見出しに使われ、「オバマ氏とYes, We Can」と顔が赤くなるような紙面を広島市民に提供した。さらに秋葉は地元紙中国新聞を使って、広島の高校生たちに「オバマを広島に呼ぼう」などというキャンペーンもやらせたりもした。

 デスコトの問題意識は全く日本では、特に広島では共有されなかった。それはヒロシマが徹底的に「スローガンとしての核兵器廃絶」に終始し、鋭い政治問題としての「核兵器廃絶」に向き合ってこなかったせいでもある。一言で云ってデスコトの問題提起を受け止めるだけの政治センスを喪失したままだった。日本や広島や長崎は、世界の核兵器廃絶の現状認識・把握という点ではまったく「ガラパゴス島」にいるようである。そして「世界に核兵器がなくならないのは、原爆の恐ろしさが十分認識されていないからだ。広島に来てください、長崎に来てください。」といったおよそ的外れな観光キャンペーンまがいの主張が、いまだに大手を振ってまかり通っている。


欺瞞の米ロ2国間核軍縮交渉

 さてイラン代表の声明を続けよう。
 
2010年再検討会議はいくつかの核兵器保有国が単独の手段を採用する中で招集された。期待とは反対に、それら諸国の取った姿勢は、ある種の姿勢を断ち切る準備ができていないものを示すものだった。今回最終文書案に前回再検討会議で打ち立てられた基本的理念に関する明白な言及が欠けていることは不幸なことである。その例として、核兵器保有国による核兵器敞の核兵器実戦配備状況削減の再確認が、水で薄めたものであったし、それは役に立たないものであった。核兵器保有国のいう核兵器の開発や質的改善の停止に関わる再確認はそれらの諸国の「正当な利益」という説明に取って代わられた。また、最終文書の条文は、核武装国は彼らのドクトリンの中で核兵器廃絶をすべきであると確認していない。そうではなくて、核兵器の役割を「減少させてくれ」と頼んでいるに過ぎない。また最終文書の条文の別な部分で、不十分な1国によるあるいは2国間の(核軍縮)手段を歓迎することにより、軍縮に関して「バラ色の絵」を描いている。アメリカは、条約の義務に違反して、その戦略システムを近代化するために核兵器実戦配備システムに1000億ドルを投資すると公式に声明した。そしてフランスとアメリカが、その核兵器敞に対して影響を及ぼさないように、核兵器の使用または使用すると威嚇することに関して禁止する合意を妨げたのは不幸なことであった。』

 ここでは進行中だった米ロ戦略核兵器削減交渉(STARTU)に触れた部分だ。イラン代表は、もしアメリカ・ロシアが本気で「核軍縮交渉」を行うなら、当然その交渉には非核兵器保有国も交え、削減の意味のある成果をあげなければならない、しかるに交渉は「米ロ間」だけで行った、従って内容はお手盛りの実質削減には全くつながらない、役に立たないものになった。それを最終文書では評価している、評価することによって現在の核削減交渉が「バラ色の将来」をもっているかのような錯覚を抱かせた、と最終文書を厳しく批判している。これはイランばかりでなくNAM諸国全体が米ロ戦略核兵器削減交渉に対してもっている共通の評価だろう。

 さらに「核兵器の近代化」(新品再生事業やスマート兵器化などのことを指している)を禁止しようというNAM諸国の提案を積極的に潰しに回ったのは、アメリカ・オバマ政権だったことを強く示唆し、「核兵器による使用・威嚇」を禁止しようという提案を潰したのはアメリカ・オバマ政権とフランス・サルコジ政権だったことも暴露している。

非核兵器保有国の支配領土内での核兵器搬送に関しては、条文はそうした兵器の撤去を要求することに失敗した。全面的核兵器廃絶へ向けて期限を特定することを伴った法的枠組み、2025年までの核兵器禁止条約も含めて、は非核兵器保有国の重要な要求だったが、これも盛り込まれなかった。』


合意に対する各国の熱意

 さらにイラン代表は、イスラエルの核兵器開発中止要求も合意文書に盛り込まれなかったし、核兵器保有国と非核兵器保有国との間の核分裂物質移転に関する1995年の合意も再確認されなかった、と述べ、最終文書は見るべきものはない、とこき下ろしている。

 イラン代表が評価するただ1点は「中東非核兵器地帯創設」へ向けて具体的な政治日程が合意されたことだ。いわば「中東非核兵器地帯」もスローガンから政治課題化したわけである。

 こうした手厳しい評価の最終文書にイランはなぜ同意したのか、という疑問は当然残る。その疑問を見透かすように、イラン代表は次のように述べている。

イラン代表は、他の諸国の見解に敬意を示し、政治的善意を示すため最終文書合意に参加した。イランは、他の核兵器保有国とともに、特に非同盟運動諸国とともに、再検討会議の決定を完全実行することを追求し、そして再検討会議で完全に満たされていない期待をも実現することを決意する。』

 つまり今回最終文書をまとめようという各国の誠実な努力に敬意を表し、イランの政治的善意を表明するために、最終文書に同意したのだ、と説明している。
 
 この国連発表の広報資料全体をお読みなるとわかるが、イラン声明にあてた分量が異常に多い。また内容も具体的である。だからイラン声明はNMA諸国全体の声を代弁しているものだと私は推測している。そしてNAM諸国全体の中でイランは恐らく強面役を演じているのだろうと推測している。


一様に安堵の西側諸国

 こうしたNAM諸国の手厳しい評価に比べて、核兵器保有国・西側諸国の声明からは、一様に安堵の空気が感じられると同時に、今回最終合意が最後の最後まで合意に向けて予断を許さなかったものであることが窺える。
 
 まずロシア代表の声明から。
 
ロシア連邦の代表は、議長、主委員会委員長、小委員会委員長そして交渉の過程の最後の数時間での込み入った困難な問題で発揮したノルウエイ大使の技倆及びプロ意識に対して感謝の意を表明。こうした努力がなければ、合意を成し遂げようとする能力の上にその熱意と信念は花開くことはなかったろう。それぞれの代表団はそのベストを尽くした。ロシア政府はすべての代表団が進展を見せようとする最後の討論が忘れられないだろう。』

 最後の数時間でどんなやりとりがあったのか、それは公式には明らかにされていない。ただNAM諸国の要求に対してアメリカを中心とする核兵器保有国がこれを跳ね返そうとつばぜり合いを演じていたことは想像に難くない。またノルウエイが核兵器保有国に有利になるよう動いたことも想像に難くない。
 
多くの人々が、再検討会議に疑いを抱いていた。(合意に達することは出来ないだろうと思っていた、の意。)・・・ひとつの明確な計画がNPTの核軍縮及び他2つの柱を強化するものとして浮上した。行動計画を継続させることは、NPT体制を強化するに際して大きな貢献をなすだろう。ロシア政府は1995年決議における決定を特記した。この15年間はじめて、再検討会議は、中東地域における「大量破壊兵器及び実戦配備システム不存在地帯」創設に向けた共同作業に対して、具体的なステップを設定することが出来た。この決定の基盤はロシア代表団によって設定された考えがベースになっている。』

 ここはよくわからない。「中東非核兵器地帯」は「大量破壊兵器及び実戦配備システム不存在地帯」という風に言い換えられている。もしかするとロシアは「中東非核兵器地帯」に別な解釈が生まれるように調整したのかも知れない。


大満足のフランス代表

 フランス代表になるともっと大きな安堵感がただよう。

野心的なロードマップとして最終文書を歓迎する。その成功に対して議長と主委員会及び小委員会の委員長に感謝の意を表明する。最後の数時間で最終文書をふたたびいじらない努力をしたことにも感謝の意を表明した。実際の所、不拡散と軍縮にとって最終文書は集約的な成功だった。最終文書は、国際社会の核不拡散条約に対する深い関与を示すものであり、これから数年間の具体的でバランスの取れたアプローチを表象している。』

 最後の数時間では、恐らく懸案事項を巡って激しいやりとりがあったが、最終文書案に修正を加えない方向で議論がリードされたものと思われる。そのことにフランス代表は率直に感謝の意を表明している。全体としては、フランスは大満足の様子だ。フランスが不満な点は北朝鮮非難と「イラン核疑惑」に対する言及がなかったことに不満を表明している。

いうまでもなく、フランスはさらに踏み込んだ内容にすべきだと信じていた。特に朝鮮民主主義人民共和国の問題とイラン拡散問題に関して。フランスの代表団が再検討会議の間繰り返し強調していたように、言葉だけでは十分ではない。この文書の中で拡散危機の断固として行動することによって、また国連安全保障理事会における不拡散と軍縮努力を追求することによって、また原子力エネルギーの民間使用を協力し合うことによって、世界はそれを解決することを示しうる。この部分では、フランスは1995年中東に関する決議が満たされ、これからの年月でパートナーとともにそのゴールへ向かって準備し、また完遂されることを希望する。』

 北朝鮮については、「その他の地域問題」というセクションで、「会議は強く、朝鮮人民民主主義共和国が6者協議の下での深い関与を満たすことを主張した。中にはすべての核兵器を完全かつ検証出来る形での放棄、2005年9月共同声明に沿ってその現存する核計画を放棄することも含まれている。朝鮮民主主義人民共和国は、出来るだけ早い時期に条約に復帰し、IAEAの安全保障措置を遵守すること」が明記されたに止まる。2005年9月の共同声明とは、北京で発表された第4回6者協議の共同声明のことである。
 
 イランについては前述のごとく、「核燃料サイクル事業まで含めて参加各国の奪い得ない権利」が再確認され特筆された時点でイラン側の完全勝利だったことは前にも見たとおりである。フランスはこの結果に残念だった、と言っているがこれは核兵器開発をイランが行っていない以上、文句のつけようがない。

ただし、アメリカ・フランスを中心とする核兵器保有国は、イランのウラン濃縮事業に圧力をかけようと、自分たちの意のままになる安全保障理事会の場に戻ると、「イラン制裁決議」行った。再検討会議終了直後の2010年6月8日のことである。
「国連安全保障理事会、イラン制裁決議 1929を採択」
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/iran/05.htm>を参照の事。

この動きは、再検討会議会期中にすでに起きており、いわばNPT参加国全員の民主的な討論の場では、アメリカ・オバマ政権は横車を押すことは出来なくなっているが、安保理という自分の庭ではまだ通用するということでもある。

この動きを見てやはり非同盟諸国の重要メンバー、トルコの首相、レジェップ・タイイップ・エルドアンは『「イラン核問題」に対処する国連安全保障理事会は、その信頼性が欠如している』と安保理の非民主的体質を批判した。「トルコ首相エルドアン:国連安保理は“信頼性”が欠如」を参照の事。
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/NPT/2010_02.htm>)


中国代表とイギリス代表

 同じ核兵器保有国でも、中国は高見の見物といったところで、どこかアメリカ、フランスのお手並み拝見といった姿勢が窺える。どちらに転んでも中国に損もなければ、威信に傷もつかない。

最終文書が全会一致で採択されたことを祝福する。再検討会議の最後の成功から10年後、不拡散条約の効果、権威そして普遍性が強化されるにあたって有益な大きな成果を達成した。実際の所、条約の3つの目標を達成するに当たって、今回合意は大きな助けとなる、今回最終文書は効果的に実行されるだろう。いうまでもなく、中国代表はすべての核兵器の完全かつ全面的な廃棄の主唱者であり、その方面に関する国際的交渉を支持してきた。中国はまた安全保障に関する法的に拘束力をもった条約に関しても支持してきた。同時に核分裂物質カットオフ条約の早期妥結も支持してきた。この条約は核分裂物質の製造の管理にのみ有効なものである。CTBTの批准と早期発効の促進も忠実に支持してきた。また中国は、その他のNPT参加国が、その実施を促進すべく努力を払うよう参加させてきた。その中には本日の最終文書の勧告、特に中東地域におけるそれ、なども含んでいる。』

 イギリス代表の声明は安堵感を漂わせながらもそっけないものである。

今回の成果を特筆する。最終文書だけでなく、中東に関する1995年決議の実行計画にとともに、3本柱のすべてを通じた前例にない合意についてもそうだ。もっとも重要なことは、最終文書は、国際社会が継続的な自信構築に深く関わっていくこと、また利益共有の精神を発揮して、違いに架け橋をもたらしたことだ。現在の瞬間に至る径は長かったが、を強調しつつ、イギリス代表は、特に再検討会議準備会議の各委員長に対して感謝の意を筆頭に挙げた。イギリス代表は、むつかしい譲歩の要求されることがわかっていた中東決議を前進させる交渉に合意したことを温かく歓迎する前に、その条文の2、3の矛盾点を指摘した。その件に関しては、イギリス代表はアイルランドのケリー大使に賛辞を送った。最後に、イギリス大使はすべての利害関係国に、本日達成したことを脅威としてみるのではなく、チャンスとしてみるようにと要請した。前向きにそして前進する時であり、自信を構築することが成功への基本である。』

 イギリスは国内に、スコットランド独立運動と絡んだ核兵器廃絶運動を抱えている。この動きはイギリス全体の政策にも大きな影響を与えつつある。この声明の素っ気なさの背後には、イギリス支配階級の深刻な危機感が隠れている。私は5核兵器保有国のうちイギリスが最初の核兵器廃棄国になるのではないかと考えている。私たち日本の市民もこういう風にして政府を追い詰めなければならない、というお手本がスコットランドの核兵器廃絶運動だ。初代007のショーン・コネリーにエールを送りたい。日本で言えば「沖縄独立運動」に絡めた核兵器廃絶運動ということになりはしないか。 

(以下第4回そのBへ)