(2009.8.23)

<参考資料>オバマ政権の核不拡散チーム、顔ぶれ揃い活動を開始 見え隠れする外交問題評議会の影


スーザン・バークのスイスにおける講演

 オバマ政権の実務級「核不拡散」チームの顔ぶれが、この8月までにほぼ出揃い、本格的な活動を開始したようだ。

 09年8月12日、アメリカ・オバマ大統領核不拡散特別代表<大使級>、スーザン・F・バークが、ジュネーブ安全保障政策研究所の集まりで、『核不拡散体制強化:進展への青写真』と題する講演を行った。

【写真はアメリカ・オバマ大統領核不拡散特別代表<大使級>、スーザン・F・バーク。米国務省のサイトよりコピー。
http://www.state.gov/r/pa/ei/biog/125818.htm



 スーザン・バーク(Susan F. Burk)は、今年4月22日、アメリカ上院外交問題委員会で、大統領核不拡散特別代表<大使級>(Special Representative of the President for Nuclear Nonproliferation with the Rank of Ambassador)就任に当たっての議会公聴会で証言し、自分の考えをまとめて述べているが、すくなくとも外にむかって、公式の発言をし、オバマ政権の考え方を述べたのは、アメリカ国務省の公式発表をチェックする限りこれが初めてであろう。

 2009年5月4日から2週間にわたって開催されたNPT(Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons)の2010年再検討会議準備委員会の2日目、アメリカ代表の国務長官補佐官・ローズ・ゴットモーラー(Rose Gottemoeller)(「ローズ・ゴットモーラーの声明」<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/obama/obama_05.htm>を参照の事。)が、インド、イスラエル、パキスタン、北朝鮮に核兵器不拡散条約への加盟を働きかける、と声明を出したのと合わせて、オバマ政権の「核不拡散政策」が本格的に動き出した、という印象が強くする。


ジュネーブ安全保障政策研究所=Geneva Center for Security Policyは、1995年スイス連邦政府国防省が設立した国際的安全保障政策に関するシンクタンク。
<http://en.wikipedia.org/wiki/GCSP>または
<http://www.gcsp.ch/e/index.htm>

日本語での名称は、財団法人日本国際問題研究所・不拡散促進センターの軍縮関連リンク集<http://www.cpdnp.jp/linkin.htm>を見ると、「ジュネーブ安全保障政策研究所」と訳されているのでそれに従った。

なおスーザン・バークが行った講演「核不拡散体制強化:進展への青写真」
<Strengthening the Nuclear Nonproliferation Regime: A Blueprint for Progress>はアメリカ国務省のサイト
<http://www.state.gov/t/isn/rls/rm/127886.htm>で読む事ができる。

オバマ政権の核不拡散政策の本質が見え隠れしているので、今コメント入り訳文を準備中である。)



「不拡散のツアーリ」ゲイリー・セイモア

 またこの6月には、カリフォルニア州選出の民主党下院議員だったエレン・トーシャー(Ellen Tauscher)が下院議員を辞職、国務省の軍備管理及び国際安全保障担当の国務次官(under secretary of State for arms control and international security)に就任した。

 この記事では、オバマ政権の「核不拡散」チームの実務家キーパーソンをチェックしておき、彼らの今後の活動に注目する指標としつつ、彼らの発言を今後できるだけ詳しく見ていく目印としたい。

 こうして出揃ったオバマ政権の「核不拡散チーム」の実務家筆頭は、実はゲイリー・セイモア(Gary S. Samore)であろう。

【写真は、オバマ政権・国家安全保障会議「大量破壊兵器拡散及びテロリズム防止」担当のコーディネータ、「不拡散のツアーリ」ことゲイリー・セイモア。 The Cable
<http://thecable.foreignpolicy.com/posts/2009/02/02/
new_white_house_wmd_coordinator_attended_unofficial
_us_iran_dialogue_in_his_private>
よりコピー。】


 今年の1月29日付けフォックス・ニューズの電子版は、『ゲイリー・セイモア、大量破壊兵器の“ツアーリ”として打診』という記事を掲載した。
<http://www.judithmiller.com/3266/gary-samore-tapped-for-
weapons-of-mass-destruction-czar>)


 記事の内容はゲイリー・セイモアが、オバマ政権(ホワイトハウス)の「大量破壊兵器対策」チームの“ツアーリ”となることを打診されており、ほぼ決定的だ、というものだ。

 この記事の通り、セイモアはすぐに、オバマ政権・国家安全保障会議の「大量破壊兵器拡散及びテロリズム防止」担当のコーディネーターに就任する。
Coordinator of the U.S. Office for the Prevention of WMD Proliferation and Terrorism)
<http://en.wikipedia.org/wiki/United_States_National_Security_
Council>


 ここでいう“ツアーリ”とは、帝政ロシアの“ツアーリ”(Czar)のことだ。つまり専制独裁者・専制君主のことだ。この記事を読んだ時、なんとなく意味はわかったものの、もう一つしっくりこない。調べて見ると“ツアーリ”はワシントンの政界隠語で、陰の“絶対実力者”のことなのだそうだ。

たとえば英文Wikiは「List of U.S. executive branch 'czars'」<http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_U.S._executive_branch_'czars'>という項目名を掲げ、「アメリカ政界における非公式な用語で、特定のテーマで関係各省・各機関の間を調整し、あるいは全体を統率する人間」と説明した上で、ジョージ・W・ブッシュ政権(父ブッシュ)からオバマ政権までの「各分野ツアーリ」のリストを掲載している。なるほどこのリストの最後に、「大量破壊兵器不拡散」の“ツアーリ”としてゲイリー・セイモアの名前があがっている。


外交問題評議会・副理事長

 まずセイモアから見てゆこう。

 私がこのゲイリー・セイモアに興味を抱く理由は別にある。彼が現職の外交問題評議会の「副理事長」の一人という点だ。ゲイリー・セイモアは、アメリカ政界の中でも比較的地味な人物のようで、英語Wikiでもまだ独立項目がない。

 幸いにして、外交問題評議会(the Council on Foreign Relations)自身が、セイモアの履歴について掲載してくれているので、それを頼りにセイモアの足跡をたどってみる事にする。
<http://www.cfr.org/content/bios/Gary%20Samore%20CV.pdf>

 まず、セイモアの外交問題評議会における日本語役職名のことである。外交問題評議会の機関誌「フォーリン・アフェアーズ・リポート」<http://www.foreignaffairsj.co.jp/>はセイモアを時々「副会長」としている。またそれにならって日本語の新聞も「副会長」と呼んでいる。
たとえば<http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/071113
/mds0711132157002-n1.htm
>)


 そういえば朝日新聞も外交問題評議会と共催のシンポジウム
<http://www.asahi.com/shimbun/sympo/081201/>
で、セイモアを「副会長」と呼び、リチャード・ハースを「会長」呼んでいた。

 しかし外交問題評議会の公式サイトにある「歴史的理事・役員名簿」を見てみると、

 リチャード・ハース(Richard N. Haass)は2003年以来の「President」である。彼が最高位なのかというとそうではなく、2007年以来、カーラ・ヒルス(Carla A. Hills)とロバート・ルービンの2人が「Co-Chairman」として座っている。2007年までの「Chairman」ピーター・ピーターソン(Peter G. Peterson)は、一応形式的には最高位の「Chairman Emeritus」に就任している。「Honorary Chairman」は云わずと知れた、最高実力者・デビッド・ロックフェラー(David Rockefeller)である。1985年以来この椅子に座り続けにらみをきかしている。

 「President」のリチャード・ハースを「会長」としてしまうと、その上のお偉方の役職はどう日本語に訳したらいいのか?

 しかたがないので私は、36名からなる「the Board of Directors」を「理事会」と訳し、この理事会の2人の「Co-Chairman」を「共同会長」とした。デビッド・ロックフェラーの「Honorary Chairman」は「名誉会長」とし、ピーターソンが就任している「Chairman Emeritus」はラテン語起源の役職名を重んじ「栄誉会長」とした。
「外交問題評議会A」<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/CFR/02.htm>の理事会の項参照の事。)


 その上でリチャード・ハースの「President」は、一般企業なら「社長」と訳すところだが、外交問題評議会が非営利法人であることを重んじ「理事長」とした。

 ゲイリー・セイモアの「副会長」となると、なぜこんな日本語役職名をあてたのか、全く見当もつかない。現に理事会副会長(Vice Chairman)は、2007年以来リチャード・サロモン(Richard E. Salomon)が座っているし、名誉副会長(Honorary Vice Chairman)は前AIGの会長だったモーリス・グリーンバーグ(Maurice R. Greenberg)が2002年以来その役職にある。

 大体セイモアの肩書きは「Vice President」である。その上には、「歴史的理事・役員名簿」で見るとおり、名誉理事長や栄誉理事長は別にしても、デビッド・ケロッグ(David Kellogg )やジャニス・マーレイ(Janice L. Murray)の常務副理事長(Senior Vice President)がいる。「Vice President」はリサ・シールズ(Lisa Shields。2003年就任)、スザンヌ・ヘルム(Suzanne E. Helm。2005年就任)、ナンシー・ボダーサ(Nancy D. Bodurtha。2005年就任)、ゲイリー・セイモア(Gary Samore。 2006年就任)、ケイ・キング(Kay King。 2007年就任)、カミユ・マッシー(L. Camille Massey。2008年就任)とセイモアを含めて6人もいる。セイモアを「副会長」と呼ぶのはミス・リーディングではないだろうか?

 ここでは、「Vice President」を平の副理事長としておく。
「理事」とすると理事会メンバーの理事と混同する。もちろんセイモアは36名で構成される理事会メンバーではない。)



国務省とランド研究所

 セイモアは朝日新聞主催のシンポジウムでも登場しているように、結構日本の政官界では名前の知られた人物のようだ。たとえば自民党の深谷隆司などはわざわざ自分のサイトにセイモアに面会した記事を掲載している。
<http://www.fukayatakashi.jp/topic/080403_08.html>
(ちょっと自慢そうだ。)


 随分前置きが長くなった。セイモアの経歴を見てみよう。

 セイモアはハーバード大学の政府学部(Department of Government<http://www.gov.harvard.edu/faculty/rmacfarquhar/>で、1979年に修士号を、1984年に博士号を取得している。修士を取ってから博士号を取得するのに5年かけている。ちなみに博士号論文のタイトルは「サウジアラビアにおける王族政治 1953−1983」(Royal Family Politics in Saudi Arabia, 1953-1983)だそうだ。

 経歴から見ると政府学部を卒業してすぐに、国務省に入省したのだと思う。1978年から1993年まで「国務省」となっている。ただこの間、1980年から82年まで、ランド・コーポレーション(ランド研究所。有名なアメリカのシンクタンク<http://www.rand.org/>でコンサルタントを務めている。分野は「ペルシャ湾における政治的安定と安全保障」でこれはアメリカ空軍が資金を出した研究プロジェクトらしい。

 随分昔のことになるが、私がロスアンジェルスにいた時、共同でアパートを借りていたルームメイトが、ランド・コーポレーションに入った。ジョン・ホプキンス大学を卒業した優秀な男で、その後私が日本へかえって全く畑違いの分野に入ったために音信不通になったが、その後朝日新聞で、日本のアメリカ大使館の書記官として紹介された記事を見て驚いた事がある。ランドと国務省、あるいはランドと国防省の人材はほとんど一体のものがあるようだ。)



ローレンス・リバモア・国立研究所

 またこの間、1984年から87年まで国務省に在籍のまま、ローレンス・リバモア・国立研究所(Lawrence Livermore National Laboratory)の分析研究者も務めている。ここでのテーマは、外交問題評議会の履歴によれば、

 「中東及び南アジアにおける核計画に関する技術的・政治的展開に関する研究と分析の指揮」ということだそうで、核拡散に関する秘密の報告や概述を数多く作成した、との事である。

 ローレンス・リバモア国立研究所は1952年、カリフォルニア大学が設立した科学研究機関である。州立大学が設立した機関に「国立」の名前が冠せられる理由は、エネルギー省の資金で運営されているからである。もう少し正確に言えば、エネルギー省が金を出し、「ローレンス・リバモア国立安全保障有限責任会社」(Lawrence Livermore National Security, LLC -LLNS)が経営・運営する「国立研究所」である。
年間予算は16億ドル=1520億円)

 研究所の目的は「国家安全保障に関わる科学技術の基礎研究を行う。」ところにある。この研究所の淵源は「マンハッタン計画」にさかのぼる。マンハッタン計画の中心開発研究所の一つにニューメキシコ州のロス・アラモス研究所があった。オッペンハイマーが所長を務めたところだ。そのロス・アラモス研究所に対抗する形で新たな核兵器開発の拠点としてリバモア放射線研究所が作られる。当初「水爆の父」と云われたエドワード・テラーやオッペンハイマーの同僚で、暫定委員会の4人の科学顧問団の一人だったアーネスト・ローレンスが中心だった。科学技術上の流れで云えば、ロス・アラモス研究所が「核分裂」を研究するのに対して、リバモア放射線研究所は「核融合」を研究する、ということになる。
暫定委員会
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/Interim%20Committee.htm>

あるいは「熱核爆弾(水素爆弾)開発に関する手紙 ルイス・ストロースからハリー・S・トルーマン合衆国大統領へ」http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/Lewis_Strauss_to_Truman_
Letter1949_11_25.htm>
などを参照のこと。)


 長くなるのでローレンス・リバモア国立研究所の変遷については、これ以上立ち入らないが、「ローレンス」はアーネスト・ローレンスの「ローレンス」であり、この研究所が国家予算をもって「核融合」(いってしまえば、水素爆弾を含む「きれいな核エネルギー」)を研究してきたことを確認しておきたい。ここに、09年3月世界最大のレーザー核融合施設である「国立点火施設」(National Ignition Facility; NIF)を完成させたのもこうした流れによる。
以上ローレンス・リバモア国立研究所の記述は主として英語wiki「Lawrence Livermore National Laboratory」
<http://en.wikipedia.org/wiki/Lawrence_Livermore_National_
Laboratory>
などによった。)



クリントン政権の不拡散専門家

 さて、ゲイリー・セイモアに戻ろう。78年から93年の国務省時代を通じて、IAEAや核供給国グループとの関係を深め、「核不拡散」の専門家として、ソ連、フランス、イギリス、オーストラリア、カナダ、日本、韓国、イスラエル、エジプト、パキスタン、インドなどの諸国と密接なつながりを持つようになる。

 セイモアがアメリカの「核不拡散」の専門家として、次第に頭角を現すのは1993年から2000年2期8年のクリントン政権の時だ。特に有名なのは北朝鮮との2国間交渉だ。1995年には、国務省から国家安全保障会議入りして、核不拡散及び輸出管理担当のディレクターに就任する。この時にまとめたのが、朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)の設立である。

 ( これは核兵器不拡散条約の精神からすれば完全な失敗だった。
北朝鮮は本当にはエルバラダイのIAEAを相手として、核兵器不拡散条約の枠組みの中で、核兵器開発計画放棄、原子力エネルギーの平和利用計画を進めるべきだった。

クリントン政権は、核兵器不拡散条約の枠組みの外で、北朝鮮と2国間で交渉を進めてしまった。これが今でも北朝鮮がアメリカとの2国間交渉を行い、アメリカさえうんといえば、何でもできると思わせることになった。

こうして北朝鮮は2003年1月、核兵器不拡散条約を脱退し、核実験を行って核兵器を保有することになる。アメリカは今になって北朝鮮を持て余し、6カ国協議の枠組みを作って、北朝鮮問題を中国に押しつけようとしている。

歴史的にみれば、クリントン政権の時の「2国間交渉」政策に誤りがあったのであり、もう一度IAEAが北朝鮮問題を担当するのが本筋だ。この意味では6カ国協議も誤れる枠組みということになる。)


 セイモアは国家安全保障会議にとどまり、96年から「不拡散問題及び輸出管理」担当の大統領特別補佐官に就任、特に中国との交渉で、1997年には「核輸出管理協定」、2000年には「ミサイル輸出管理協定」を結んだのが大きな実績だ。


国際戦略研究所―IISS

 2001年1月にはジョージ・ウォーカー・ブッシュ政権が成立し、入れ替わるようにして、セイモアはイギリスの国際戦略研究所(International Institute for Strategic Studies IISS)に移り不拡散担当の研究部長兼上席研究員に就任する。IISSはロンドンの本部をおいてはいるが、もともとフォード財団の資金でできた軍事・国際政治を専門とするシンクタンクである。国際的にも有名で定期刊行物「ミリタリー・バランス」などを発行している。

 2005年にはシカゴに本部を置く慈善団体、ジョン・D・アンド・キャサリン・T・マッカーサー財団の「グローバル安全保障及び持続可能性」担当の副理事長に就任、財団の「資金集め」を経験する。

 そして2006年に外交問題評議会の担当理事(Vice President)に就任、研究部門を統括する事になる。

 私が知りたいのは、そして恐らく知る事ができないだろうが、セイモアがいつ外交問題評議会のメンバーになったか、ということだ。2006年にメンバーになったとはちょっと考えにくい。それより以前だろう。

 オバマ政権「核不拡散チーム」の主役の一人、「査察・法令遵守・実施」担当の国務長官補佐官、ローズ・ゴットモーラーの場合は、最初から外交問題評議会の研究員からスタートして今の地位に上り詰めた。その点、ヘンリー・キッシンジャーと経歴がよく似ている。

 しかし、セイモアの場合は国務省がキャリアのスタートだ。だから国務省の階段を上っていく過程の中で外交問題評議会のメンバーになったのだろうと推測している。


ロバート・アインホーン

 オバマ政権「核不拡散」チームの他の顔ぶれの中でセイモアと密接に協働したキーパーソンがいる。09年7月の終わり頃、「不拡散・軍備管理」担当の国務長官特別顧問(the Special Advisor to the Secretary of State for Nonproliferation and Arms Control)に就任したロバート・アインホーン(Robert Einhorn)だ。彼は国務省一筋である。

 話が変わるようだが、2009年5月19日付のアメリカ国務省の声明<http://www.state.gov/r/pa/prs/ps/2009/05/123538.htm>を見てみると、「P5不拡散条約」(P-5 Non-Proliferation Treaty)という耳慣れない言葉の条約の交渉が進行中だという。

 「P−5」とは、核兵器不拡散条約が確認した核兵器保有国、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の5カ国の事だ。この5カ国が、2010年のNPT再検討会議に向けて「NPT体制強化」のために新たな合意を模索するのだという。これには伏線と準備があって、2007年12月「P−5と核不拡散」(The P-5 and Nuclear Nonproliferation)という名前の会合が開かれている。2010年再検討会議へ向けて「P−5」が共通して抱える問題を話し合おうという会合だ。

 この会合は一種のNGOで各国代表も政府の直接関係者ではなく、一応民間人という体裁をとっているが、いずれもかつて各国政府の要人や高官を務めたことのある人物ばかりの会合だ。
この会合の作業部会報告がインターネットで閲覧できるので見ておいていただきたい。
<http://csis.org/files/media/csis/pubs/071210-einhorn-the_p-5-
web.pdf>


 この作業部会報告によると、この会合は、ワシントンに本拠を置くシンクタンク「戦略国際問題研究所」(the Center for Strategic and International Studies-CSIS)が企画・構成・主催しており、金を出したのは、ゲイリー・セイモアのところでも出てきた、 ジョン・D・アンド・キャサリン・T・マッカーサー財団である。

 つまり07年の段階で、NGOの形で「P−5」が共通する課題、(その課題とは一言で云えば「核不拡散」=「核独占」だが)を話し合って2010年NPT再検討会議対策を練っておき、2年後の09年に「P−5核不拡散条約」という形で政府レベルの問題に格上げしようというわけだ。当然来年のNPT再検討会議に間に合わせようとするだろう。

 随分横道にそれたように見えるが、この2007年「P−5と核不拡散」会合の作業部会で、プロジェクト・ディレクターを務めたのがロバート・アインホーンなのである。

【写真は「不拡散・軍備管理」担当の国務長官特別顧問、ロバート・アインホーン。この写真は、2006年4月に行われたアメリカPBSの「アメリカとインドの核パートナーシップ」と題する座談形式の番組に出演した時のもの。だから戦略国際問題研究所の副理事長として出席している。
PBSのサイト
<http://www.pbs.org/newshour/bb/asia/jan-june06
/india_4-5.html>
からコピー。】


 こうしてみると、オバマ政権になってアメリカの核兵器政策および核政策が急に変化をしたわけではなく、クリントン政権、ブッシュ政権と一定の流れができており、その上にオバマ政権も乗っかっているわけである。しかし、国連の民主化と真に核兵器廃絶を考えているグループは、このオバマ政権の狙いはもう見透かしていると云うべきだろう。
「正気と狂気のはざまの平和式典―2009年原爆の日」
<http://www.inaco.co.jp/isaac/back/026/026.htm>参照のこと。
『オバマジョリティ音頭』で踊っている場合ではないのだが・・・。しかし、アレって、恥ずかしいネ!)



戦略国際問題研究所−CSIS

 ロバート・アインホーンは国務省で29年間務めた後、2001年、戦略国際問題研究所(CSIS)の国際安全保障担当の上級顧問に就任した。
<http://fora.tv/speaker/3498/Robert_J_Einhorn>


 だから2007年12月「P−5と核不拡散」の会合が開かれた時、アインホーンは戦略問国際題研究所の上級顧問だったことになる。

 ここで戦略国際問題研究所について、簡単に見ておこう。設立は1964年と、こうした著名なシンクタンクとしては新しい。もともとはジョージタウン大学の一部として作られたようだが、現在は完全に独立している。創立者の一人がアメリカ海軍の作戦部長だったアーレイ・バーク(Arleigh Burke)であることからもわかるように、どちらかといえば国防省系のシンクタンクという言い方ができるのではないか?

 現在の理事長は元国防副長官(Deputy Secretary of Defense)だったジョン・ヘイムア(John Hamre)で、最高執行責任者(CEO)でもある。理事会(the Board of Trustees)のメンバーが凄い。

 まず会長がサム・ナンである。長い間上院軍事委員会(U.S. Senate Committee on Armed Services)の委員長として君臨した。現在の国務長官ヒラリー・クリントンも上院議員時代、軍事委員会の民主党有力議員の一人だった。ほかの理事(Trustee)の顔ぶれは、たとえばヘンリー・キッシンジャー(Henry Kissinger)、ズビグニュー・ブレジンスキー( Zbigniew Brzezinski)、ウイリアム・コーエン( William Cohen。クリントン政権時代の国防長官)、 ブレント・スコウクロフトなど。(Brent Scowcroft。歴代共和党政権で国家安全保障会議の大統領顧問を務めた。オバマ政権でも国家安全保障会議の重要メンバー人選に影響力を発揮した。そういえばブレジンスキーもオバマの指南役と云われている。私から見ると冷戦時代のゴーストなんだが・・・。)
以上主として英語Wiki「the Center for Strategic and International Studies-CSIS」
<http://en.wikipedia.org/wiki/Center_for_Strategic_and_
International_Studies>
による。)


 上記のうちサム・ナンとキッシンジャーの2人は、前ブッシュ政権時代、ウイリアム・ペリー(クリントン時代の国防長官)、ジョージ・シュルツ(レーガン時代の国務長官)とともに、「核兵器がない世界」という論文を発表し、現在のオバマ政権の「核兵器政策」あるいは「核政策」の道筋をつけている。
「核兵器がない世界―4人は遅れてきたカール・コンプトンか」
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/A_World_Free_of_Nuclear_
Weapons.htm>
を参照の事。)


 外交問題評議会との関係から云えば、競争関係にあるというより相互補完関係にあるというべきだろう。特にキッシンジャーはロックフェラーの政治的大番頭でもある。

 横道にそれるが、日本語Wiki「戦略国際問題研究所」<http://ja.wikipedia.org/wiki/戦略国際問題研究所>を参照すると、「元首相小泉純一郎の次男小泉進次郎も関東学院大学を卒業後、籍を置いていた。」と書いている。出典が明らかでないので確認しようがないが、先ほどの深谷隆司とともに自民党のベテラン議員たちは、アメリカの権力と情報の中枢が奈辺にあるかをよく理解しているというべきだろう。

 国務省時代、アインホーンは「大量破壊兵器」や「ミサイル運搬システム」などの「不拡散」の専門家として、「不拡散問題」をテーマに、東アジア諸国、南アジア諸国、中東諸国などと交渉の先頭に立ってきた。

 この意味では、先に見た「不拡散のツアーリ」ことゲイリー・セイモアとシャム双生児の関係にある。先ほどクリントン政権時代にセイモアが中国との「核及びミサイルの輸出管理」について協定に達したことに触れたが、この外交問題評議会作成の記述はわざわざ「ロバート・アインホーンと共に」と断ってもいる。


外交問題評議会メンバー ウオルフスタール

 さてオバマ政権「核不拡散」に関する実務家チームの中で、ジョン・ウオルフスタール(Jon Wolfsthal)も見ておこう。

 今年5月の終わり頃、副大統領のジョー・バイデン(Joe Biden)は、「不拡散」担当の特別顧問にジョン・ウオルフスタールを任命した。
<http://www.americanchronicle.com/articles/view/95871>

【写真は左が アメリカ副大統領不拡散担当特別顧問のジョン・ウオルフスタール、右がロバート・アインホーン。2008年1月、「ルクセンブルグ・フォーラム」の「イラン核問題に関する作業部会会合」での写真。
この時エネルギー省出身のウオルフスタールはカーネギー基金に籍を置いていたはずであり、アインホーンは国際戦略問題研究所副理事長の肩書きだった。
出典は世界ホロコーストフォーラムの写真ギャラリー
<http://www.worldholocaustforum.org/eng/gallery/index.wbp?gallery=d2ce7cb0
-0c24-4d2e-9f16-c2655961bf0d>


 ウオルフスタールが6年間「不拡散担当」の副部長を務めたカーネギー基金(the Carnegie Endowment)が作成した履歴によると、彼はエネルギー省でキャリアを積んだらしい。
<http://www.carnegieendowment.org/experts/index.cfm?fa=expert
_view&expert_id=34&zoom_highlight=jon+wolfsthal>


 また短い英語Wikiの記事によると、ジョージタウン大学でも教師職を得ていた。
<http://en.wikipedia.org/wiki/Jon_Wolfsthal>


 カーネギー基金の履歴書によると、ウオルフスタールはエモリー大学(Emory University<http://ja.wikipedia.org/wiki/エモリー大学>で修士号を取得しているから、これら記事を繋ぎ合わせると、エモリー大学で修士号を得た後、ジョージタウン大学で教師職を得て、それからエネルギー省に入ったものだと思う。エネルギー省でのキャリアは1990年代に積んだ。この時北朝鮮の核施設のアメリカ政府現地監視やロシアの核施設の安全性の向上、兵器級核分裂物質の取り引き防止などの仕事に就いている。そして最後はエネルギー省の不拡散に関する政策特別顧問になっている。エネルギー省からカーネギー基金にうつって不拡散担当の副部長となって6年間働いた。この間に核兵器不拡散の専門家として名前を知られる事になる。またこの間、アメリカの国際不拡散政策、核戦略に関する研究についても大きな評価を得た。

 カーネギー基金の履歴書は、ウオルフスタールが外交問題評議会の期間メンバーだ、と書いている。期間メンバーの任期は5年間<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/CFR/
02.htm>
を参照の事。)
だから、彼が外交問題評議会入りをするのは、カーネギー基金の不拡散担当副部長時代であろう。実力を認められてカーネギー基金入りをし、そこで実績を積んで政府の要職につく、というコースはローズ・ゴットモーラーとも共通している。


スティーブン・マル

 オバマ政権の「核不拡散」チームの中でヨーロッパ・アフリカ担当といった格の人物が、国務省政策的軍事担当の国務長官補佐官代行(the Acting Assistant Secretary of State for Political Military )のスティーブン・マル(Stephen Mull)だ。国務省でキャリアを積んだ人物で、今回の職の直前はアメリカのインドネシア特別代表部の副代表だったが、それまでは、ソマリヤ問題、ヨーロッパ問題の専門家だった。特にポーランドとのコネクションが深い。ポーランド外務省のサイトを見ると、今年7月マルがポーランドを訪れた時の様子を大きく取り上げている。
<http://www.msz.gov.pl/Acting,Assistant,Secretary,of,State,
for,Political-Military,Affairs,Stephen,Mull,visits,Poland,28851.html>

【写真は国務省政策的軍事担当・国務長官補佐官代行のステーィブン・マル。今年7月ポーランドを訪れた時、現地アメリカ大使館で撮影したものらしい。出典はボーランドのアメリカ大使館のサイト
<http://poland.usembassy.gov/embassy-
events-2009/ambassador-stephen-mull-in-
warsaw-9-july-2009.html>

また2003年には前ブッシュ大統領の任命でリトアニアの大使も務めている。ジョージタウン大学出身。彼もまたジョージタウン大学コネクションである。
以上主として英語Wiki<http://en.wikipedia.org/wiki/Stephen_Mull>による。)


元投資金融家のトウシャー

 今年の6月に「不拡散チーム」入りしたのは、カリフォルニア州選出民主党下院議員、エレン・トウシャー(Ellen Tauscher)である。

【軍事管理及び国際安全保障担当の国務次官、エレン・トウシャー。英語Wiki<http://en.wikipedia.org/wiki/Ellen
_Tauscher>
からコピー】 


 彼女はこの3月オバマ政権の国務次官就任の指名を受け、議会の認証手続きを経てこの6月正式に受諾を表明、下院議員を辞職して軍事管理及び国際安全保障担当の国務次官(Under Secretary of State for Arms Control and International Security Affairs)に就任した。

 インターネットで見る限り、アメリカの現職の下院議員が国務省の次官に就任することに対する驚きの声はない。国務省の地位が高いと云うべきか、下院議員の地位が低いと云うべきか・・・。

 トウシャーは「核兵器」や「大量破壊兵器」の専門家でも「不拡散」の専門家でもない。その経歴にこうした分野での経験や専門性は全く窺えない。わずかに下院議員時代にそうした問題に関係する委員会に関わっていたというだけだ。

 にもかかわらず彼女が「不拡散チーム」入りをしたと見なされるのは、「軍事管理及び国際安全保障担当の国務次官」という役職そのものにある。この役職は「核兵器からアメリカを守る」国務省の高官という意味なのだ。歴代この役職について有名なのは元アメリカの国連大使、ジョン・ボルトン(John R. Bolton)だろう。彼はW・ブッシュ政権の2001年から2005年までこの職にあった。この職にあった時ボルトンは、何度か「イランの核疑惑」を理由にイランへの軍事侵攻を主張している。(もっとも国連大使をやめた今でも主張しているが。)

 日本から、しかも広島の片田舎から、しかもインターネットだけを頼りに、ただ眺めているだけの私にとって、トウシャーがこの役職につく必然性がまったく理解できない。これまで登場したオバマ政権の「核不拡散チーム」はそれぞれ国務省やエネルギー省、シンクタンクなどで活躍してきたそれぞれの分野での専門家だ。経験も実績も豊富である。トウシャーにはほとんどその経歴がない。外交の経験すらない。

 唯一思い当たるのは彼女が、ニューヨークの金融業界の出身だということだ。外交問題評議会の主な理事・役員を見てもらえばわかると思うが、外交問題評議会とは、アメリカの、もう少し絞って云えばニューヨークの金融資本グループが取り仕切る世界的シンクタンクなのだ。
たとえば「外交問題評議会・理事会」
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/CFR/02.htm>の項参照の事。)


 トウシャーが外交問題評議会のメンバーであるという証拠は全くない。どこを探してもその記述はない。そもそも約4300人もいる外交問題評議会のメンバーは一部の役員・理事などを除いて大半が明らかにされていない。
上級研究者や事務職員のことではない。外交問題評議会が指定する正式メンバーのことだ。外交問題評議会・メンバーシップの項参照の事
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/CFR/02.htm>


 本人が明らかにするかあるいは信頼のおける機関が明らかにするかでなければ誰がメンバーなのかわからない。トウシャーについてもわからない。が、彼女の経歴を見るとそうであっても不思議はないという感じがする。


カリフォルニア州で下院議員当選

 彼女の経歴を英語Wiki<http://en.wikipedia.org/wiki/Ellen_Tauscher>に従って見ていこう。

 トウシャーは1951年、ニュージャージー州のニューワーク(Newark)で生まれた。ハドソン川を挟んでマンハッタンの対岸の町である。いまでも労働者階級の町である。トウシャーの両親も労働組合で職を得ていた。彼女がシートン・ホール大学(Seaton Hall University)というカトリック系の私立だが、どちらかといえば貧しい階級の師弟に大きく門戸を開いている大学を卒業した時、彼女がファミリーの中で初めての大学卒業者だったという。

 大学を卒業すると投資銀行業界に身を投ずる。(なお彼女の専攻は児童教育学だった。)25才でニューヨーク証券取引所の正式会員になる。そして1979年から83年までアメリカン証券取引所の役員を務めている。その後、彼女は例のベア・スターンズ証券や社員による巨額の使い込み事件で有名になった、ドレクセル証券のアメリカ子会社で働く。そうして、1989年突然カリフォルニア州に移り住むようになる。カリフォルニア州ではこどもを抱える親たちへ向けた社会活動をする傍ら、地元民主党の資金集めを担当したようだ。

 1996年、サンフランシスコ湾地区のある選挙区で、共和党の強い選挙区だったそうだが、民主党下院議員に立候補、見事当選を果たす。この時、トウシャーが選挙の争点にしたのは「こどもの問題」「家族の問題」だったそうだ。その後、共和党候補と競り合いながらも連続当選を果たしていく。下院議員としてのトウシャーの主張は「穏健民主党」だったそうだ。民主党の実力者ナンシー・ロペシ現下院議長からも支持を受けた。

 2002年10月の下院「イラク決議」では賛成票を投じたものの、2005年12月からはイラク戦争反対の急先鋒の一人になる。そうして今回国務次官の指名を受け、これを受諾した、といういきさつをたどる。

 彼女とオバマ政権の「核不拡散チーム」とのつながりは、「外交問題評議会」しかない、と私には思えるのだ。しかし、私には彼女がオバマ政権の「核兵器廃絶チーム」でどんな役割を果たすのか、全く見当もつかない・・・。


ローラ・ホルゲイト

 セイモアは安全保障会議のコーディネーター就任にあたって2人の人物を自分の補佐役として安全保障会議入りをさせている。上級ディレクターに就任したジョージ・ルック(George Look)とローラ・ホルゲート(Laura Holgate)だ。ジョージ・ルックは、軍備管理の専門家としかわかっていないが、ともかくもセイモアの下で、来年のNPT再検討会議のアメリカから提出する議題を作成するようだ。

 この点では、ローズ・ゴットモーラーと共同作業となろう。しかしゴットモーラーの役割は、主としてロシアとの核削減交渉のアメリカ側実務担当ではないか。すでに今年の4月にローマでロシア側の担当者と予備会談を持っている。
日本では時事通信だけがこのニュースを伝えた。)
とにかく日本の大手マスコミは、大きな派手な話題だけを、同じように追いかけるので、各出来事の間のコネクションが全くわからない。とにかく「核兵器廃絶問題」は英語メディアや論文だけが頼りだ。日本語の新聞やニュースを読んでいたのではまるきりわからない。)

【写真は国家安全保障会議・大量破壊兵器・テロリズムの脅威削減担当・上級ディレクターのローラ・ホルゲイト。アメリカの民間シンクタンク「国家安全保障研究所」の討論会に出席した時のもの。この時ホルゲイトは時期的に見て、NTIに籍をおいていたものと考えられる。出典は国家安全保障研究所のサイト
<http://www.cnponline.org/ht/d/Gallery/album_id/7412/pos/7415>

 ローラ・ホルゲイトが安全保障会議の「大量破壊兵器・テロリズムの脅威削減担当」(WMD Terrorism & Threat Reduction)の上級ディレクターに就任したのは、この7月のことだ。彼女は「核分裂物質」の一元管理体制作りを担当すると見られている。
「ゼロの論理」
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/obama/obama_14.htm>また
<http://www.linkedin.com/pub/laura-holgate/4/229/a17>参照の事。)


 ローラ・ホルゲイトはプリンストン大学を卒業後、マサチューセッツ工科大学で修士を取った。その後ハーバードで研究助手を務め、軍縮管理庁(当時は独立の政府機関だった。現在は国務省の一部局。<http://en.wikipedia.org/wiki/Arms_Control_and_Disarmament
_Agency>
で一年間過ごした後、1993年から1998年まで国防省の共同脅威削減局(Office of Cooperative Threat Reduction Policy)の局長を務める。この時「ナン・ルーガー計画」に沿って、ソ連崩壊後、ウクライナ、カザフスタン、ベラルーシの3カ国に散った核兵器と兵器級核分裂物質の処理が進んでいくのだが、彼女はその具体的政策立案をしている。

 1998年からはエネルギー省に移って核分裂物質処理局(Office of Fissile Material Disposition)の局長を3年間つとめた。

 国防省からエネルギー省に移動するというのは不思議ではない。エネルギー省の前身はアメリカ原子力員会(AEC)であり、そのAECの前身は例のマンハッタン計画である。1946年トルーマン政権の時にAECができたのだが、AECの運営部門の中心スタッフはほとんど元軍人の民間人だった。エネルギー省と国防省は今でも密接な関係にある。

 2001年、W・ブッシュ政権が成立するとホルゲイトは、発足したばかりの「核脅威イニシアティブ」(Nuclear Threat Initiative―NTI)に移動して、ロシア・旧ソ連諸国担当の副理事長に就任する。恐らくは国防省時代の共同脅威削減局長の時の実績がサムエル・ナンに認められたものだろう。


「ナン・ルーガー計画」

 ここでは二つのことをあらまし頭に入れておきたい。「ナン・ルーガー計画」と「NTI」だ。

 まず「ナン・ルーガー計画」(Nunn-Lugar Program)から片付けよう。

 1992年アメリカ議会で「共同脅威削減計画」(The Cooperative Threat Reduction <CTR> Program )が承認された。この計画は民主党の重鎮上院議員で上院軍事委員会の“ドン”たるサムエル(サム)・ナン(Sam Nunn)と上院共和党の最長老議員リチャード・ルーガー(Richard Lugar)の共同提案議案だったので「ナン・ルーガー計画」と呼ばれる。

 当時ソ連が崩壊、旧ソ連が保有していた核兵器、兵器級核分裂物質、ミサイルやミサイルサイロなどが、ロシアを別にしても、ウクライナ、グルジア、アゼルバイジャン、ベラルーシ、ウズベキスタン、カザフタンといった新たに独立した諸国に分散放置された。このため、一時的ではあるが、ウクライナは世界第三位の核兵器保有国になったほどだ。
「世界の核兵器保有状況」の註を参照の事。
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/kono/wold_atomicbomb.htm>


 核兵器の拡散といって、これほどの「拡散」もない。またこうした新たに独立した諸国にもこんな危険なシロモノを管理する能力もないし、大体長い間旧ソ連の核実験場だったカザフスタンやその隣国のアベルバイジャン、ウズベキスタンといった国々は、こうした核兵器や兵器級核分裂物質など持ちたくもなかった。といって旧ソ連を国家法人として継承したロシアにもこうした危険な兵器を管理する能力も財政力もなかった。

 「ナン・ルーガー計画」はロシアと共同して散らばった核兵器などを処理・管理しようという計画だった。

 勘違いしないで欲しいのは、サム・ナンやリチャード・ルーガーは「核兵器廃絶論者」なのではない。あくまでアメリカを「核兵器の脅威」から防衛するということが目的だ。しかし、だからといって「ナン・ルーガー計画」の価値が減じるわけではない。この計画で、処理または廃棄された「核兵器関連機器や物質」は以下の通りである。

・6312発の核弾頭/5371基のICBM/459カ所のICBMミサイルサイロ/11台の移動型ICBM発射台/128機の核兵器搭載型爆撃機/708基の空対地核ミサイル/408基の潜水艦ミサイル発射装置/496基の潜水艦用発射ミサイル/27隻の核兵器搭載潜水艦/194箇所の核実験トンネル

・安全確保された260トンの核分裂物質。
たとえば、核弾頭を処理しても危険な兵器級核分裂物質が残存する。ウラン濃縮度でいえば90%以上である。これを平和利用目的の核分裂物質、たとえば原子力発電用のウランは濃縮度3−5%である、に処理する事などは安全確保された核分裂物質といえるだろう。上げるのは大変だが下げるのは比較的容易である。)/安全確保された60箇所の核弾頭貯蔵庫/208トンの高濃縮ウランから低濃縮ウランへの転換(高濃縮ウランは濃縮度20%以上。原子力潜水艦の燃料や研究実験用に使われる。20%未満を低濃縮ウランと呼んでいる。)

 この他この計画では生物・化学兵器も合わせて廃棄処理した。そればかりでなく、こうした措置によって失業する科学者や技術者の就職先まで世話をした。
以上の記述は英語wiki「Nunn-Lugar Cooperative Threat Reduction 」
<http://en.wikipedia.org/wiki/Nunn-Lugar_Cooperative_Threat
_Reduction>
などによった。)


功績の大きい「ナン・ルーガー」計画

 繰り返すが、ナンやルーガーは「核兵器廃絶論者」なのではない。「アメリカに対する脅威」を取り除きたかっただけだ。ナンはオバマ同様「将来の核兵器廃絶」はいうが、今すぐ「即時廃棄」とは云わない。「核兵器廃絶」は唱えるがその場合でも「アメリカが最後の廃棄国」でなければならないという。1946年のカール・テーラー・コンプトンから始まって、このアメリカの主張はオバマに至るまで一貫して変わらない。
「もしも原爆を使用しなかったら」  カール・T・コンプトン
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/kono/Karl_T_Compton_
If_the_Atomic_Bomb_Had_Not_Been_Used_Japanese.htm>
参照の事。)

 しかし、繰り返すようだが、だからといって「ナン・ルーガー計画」の価値は減じない。「アメリカへの脅威」とは「地球への脅威」でもあるのだから。白猫だろうが黒猫だろうがネズミを捕ってくるのが良い猫なのだ。彼らの本当の狙いさえ見はぐらなければ十分に評価できる。

 現実に「ナン・ルーガー計画」の功績は極めて大きいと云わねばならない。この計画のおかげで、カザフスタン、アゼルバイジャン、ウズベキスタンなど旧ソ連から独立した中央アジア5カ国は、核兵器や兵器級核分裂物質が領土内から完全に取り除かれた。

 そしてこのことをきっかけとして、「中央アジア非核兵器地帯創設」の構想をスタートする。そして今年09年3月、構成各国個別のIAEAとの厳密な査察協定が締結され、正式に「中央アジア非核兵器地帯」が発効する。「核兵器廃絶」向かっては大きな前進である。

 これももとをたどれば、「ナン・ルーガー計画」の大きな功績だろう。もっとも、「ナン・ルーガー計画」の目的は「アメリカに対する脅威、特に大量破壊兵器、特に核兵器からの脅威」を取り除くことだ。

 この意味では「中央アジア非核兵器地帯」の成立は、必ずしもアメリカの核兵器政策の利益とは合致しない。ロシアは南から見ると、「モンゴル非核兵器地位」「中央アジア非核兵器地帯」の成立で、核兵器攻撃からは完全に守られることになるからだ。だから、アメリカは今でもイギリス、フランスとともにこの「中央アジア非核兵器地帯」を認めていない。
『「中央アジア非核兵器地帯」発効の意義 核兵器廃絶へ着実に進む地球市民』<http://www.inaco.co.jp/isaac/back/024/024.htm>を参照の事。)


 アメリカに取っては皮肉な進展だが、そうなにもかも目論見通り行くわけではない。国際政治とはそうしたものだろう。国際政治とは無数の玉が乗った「玉突き台」みたいなものだ。ある狙いをもってある玉を突いても、とんでもないところで玉同士がぶつかり合う。

 この「ナン・ルーガー計画」の故をもって、サム・ナンに「ノーベル平和賞」をという声があるそうだが、私は別に反対しない。むしろ賛成する。地球に対する大きな脅威を取り除いたのは事実なんだから。
アメリカ軍産複合体制の大立て者サム・ナンがノーベル平和賞というのも皮肉な話だが、もともとノーベル平和賞はその程度の賞である。)



リチャード・ルーガー

 リチャード・ルーガーについてみておこう。彼が共和党上院議員に初当選したのは、1976年というから凄い。途中若干の落選期間はあるものの、現在に至るまで現職の共和党上院議員である。今年1月には上院共和党最高齢議員にもなった。(1932年生まれ。今年77才。)上院外交問題委員会の委員長を2回務めている。上院議員活動全体を通じての最大の特徴は一言で云えば、「アメリカのための脅威削減」に大きく貢献したということではなかろうか?

こうした観点から、先の「ナン・ルーガー計画」も眺める事ができる。

 2005年と云えば、ブッシュ政権とミルトン・フリードマン流の「新自由主義経済」の絶頂期ではないだろうか?旧ソ連諸国に散らばった核兵器関連の危険物も、IAEAの厳密な査察と共に、安全に処理・破棄されるか、プーチン政権で国力を取り戻したロシアに引き渡されるかして、完全に落ち着いたころだ。ブッシュの「戦争終結宣言」にも関わらず「イラク侵略戦争」は一層その激しさを増す。アフガニスタンでは合法的に選ばれたタリバン政権を倒したあとも、アメリカは統治に手こずっている。日本では、アメリカ帝国主義べったりの小泉政権が、大衆煽動政治で猛威をふるっていた。

 2005年8月の、議会夏休み期間中に、ルーガーは民主党イリノイ州選出の若き上院議員、バラク・オバマと共に、ロシア、アゼルバイジャン、ウクライナの3カ国を訪れていた。目的はそれぞれの核関連施設を視察するためである。次に掲げる写真は英語wiki「Richard Lugar」<http://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Lugar> に掲載されているルーガーとオバマの旅行中の写真である。ロシアのペルムという町の近くで撮影されたものだという。

 こうしてルーガーはオバマと急速に親しくなる。もちろんオバマは次期大統領候補の下馬評にすら挙がっていなかったころだ。2007年1月、大統領ブッシュは、「ナン・ルーガー計画」を補強強化する形で議会を通過した「ルーガー・オバマ拡散と脅威削減イニシアティブ」法案に署名し、この法案は正式に法制化された。この計画で旧ソ連諸国の核兵器や核分裂物質を管理しようというものだが、それは「ロシアの脅威」ではなく「テロリストの脅威」に対処する目的をもっていた。オバマは現在でもルーガーのことを「ホワイトハウスを取り巻く人物のうちで私の考えをもっともよく理解して呉れている人の一人」と評しているという。
以上前掲英語wiki「Richard Lugar」)の記述を中心にまとめた。)


 だからオバマ政権の「核兵器政策」なり「核不拡散政策」は、2000年代初頭から(あるいはクリントン政権から)、周到に準備され、積み上げられてきたものだということが想像される。この場合、民主党・共和党の違いはほとんど認められず、アメリカの政策は一貫していると考えるべきだろう。

 そうした政策は、これまで見てきたように、国務省・国防省・エネルギー省とハーバード大学などの学術研究機関、戦略問題研究所やランド・コーポレーションなどのシンクタンクが立案し、米議会の有力指導者が法制化しながら予算の裏付けをし、最終的には時の政権が実施していくというパターンである。こうしたいわゆる「国家安全保障セクター」(エドワード・ケネディ上院議員の言葉。「オバマ政権の国防副長官に元レイセオン副社長」
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/obama/obama_01.htm>参照の事。)
という極めて閉じられた世界の中を優秀と認められた人物がその居場所を変えながら、出世と権力の階段を登っていくと、いう特徴が見られる。こうして見ていくとケネディのいう「国家安全保障セクター」とはアイゼンハワーがその退任演説で指摘した「軍産複合体」(私は軍産複合体制という言葉を使っているが)の「ワシントン・サークル」のことではないか、という仮説も生まれてくる。
アイゼンハワーの離任<退任>演説<豊島耕一訳>
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/Eisenhowers_Farewell_
Address_to_the_Nation_January_17_1961.htm>
を参照の事。)


 ともあれ、こうした体制の中で、オバマ政権の「核兵器政策」や「核政策」もまた運営されている、という基本的理解が今あらためて重要だろう。


ナンとターナーのNTI

 この体制の中で、いわゆる「シンクタンク」が、重要な役割を果たしている事は、これまで見てきた「核不拡散チーム」の経歴からも窺える。
ただ、その中で外交問題評議会だけは別格「官弊大社」だな、という感じはするが、今のところはっきりした根拠がない。)


 こうしたシンクタンクの中で、2000年代に入って設立されたニューフェースながら急速に影響力を広げているのが、ローラ・ホルゲイトが設立当初から関わっているNTIである。
「核脅威イニシアティブ」Nuclear Threat Initiative―NTI)


 NTIは、テッド・ターナー(Ted Turner)とサム・ナンが共同で2001年に設立した公共慈善団体である。核兵器、生物兵器、化学兵器などの拡散を削減する事によってグローバルな安全保障を強化するために設立された。また同時にそれら兵器が実際に使用されるリスクを削減する目的も持つ』


 テッド・ターナーは1990年代以降、TVニュース専門ネットワークとして急速に成長し、いまやアメリカ4大ネットワークの一つといわれるようになったCNNの創設者の、あのテッド・ターナーである。
今現在CNNはアメリカの情報産業コングロマリット、タイム・ワーナー社-Time Warner Inc.-の傘下に入っている。タイム・ワーナーは外交問題評議会の企業メンバー。「外交問題評議会 企業メンバーの項参照の事。
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/CFR/03.htm>


 上記『』内は、NTIを紹介した英語Wiki「Nuclear Threat Initiative」の冒頭書き出しである。
<http://en.wikipedia.org/wiki/Nuclear_Threat_Initiative>


 ただ、「NTI」を、ただ金を出すだけの「公共慈善基金」とした点は、その活動ぶりからみてもどうか?活動からみると、活発な政策提言や、政府・民間に限らず関係各所を結びつけるコーディネーターとしての役割から見て、明らかにシンクタンクである。「金を出しますが、知恵も出します。おまけにとりもちもいたします。」という至れり尽くせりの組織である。

 2002年、ベオグラード(*旧ユーゴスラビアの首都。今はセルビア共和国の首都)の近郊にある原子炉の、48Kgの高濃縮ウランを通常原子炉用燃料に転換(*高濃縮ウランは濃縮度20%以上をさす。これが原子力発電用の燃料に転換したと解釈すれば濃縮度は3−5%)してロシア連邦に引き渡す費用で、アメリカ政府は300万ドルを出したが、足りない費用の500万ドルを拠出した。』


 と英語Wikipediaは書いている。この記述の根拠はイギリスのアクロニウム・インスティテュートの報告記事である。<http://www.acronym.org.uk/dd/dd67/67nr13.htm>アクロニウム・インスティテュートは、例の日本では有名なレベッカ・ジョンソンが主宰する反核NGOである。<http://www.acronym.org.uk/acroinst.htm>

 この記述を信用すれば(恐らく事実だと思うが)、ロシアとアメリカは、今オバマ政権が進める「テロリズムからの脅威」から「世界を守るため」に「世界の核分裂物質の一元管理」をすでに2000年代に入ってすぐに共同で着手していることになる。そして主としてアメリカの金と技術で、「ユーゴ内戦」で疲弊したセルビア共和国から、核分裂物質を取り上げ、ロシアにその管理を委ねたという事になろう。

 しかもその時、NTIが費用の大きな部分を民間セクターからの基金拠出でまかなったということである。オバマ政権の政策が議会を通過すれば、こうした姑息な手段を採らなくても、堂々と潤沢に連邦予算が使えるし、国際的な管理体制が(アメリカの主導で)成立すれば、堂々と取り上げる当の相手国に費用を負担させて、実施できるかもしれない。


安全化転換費用のバカ高さ

 それとこの記述で注目されるのは、「転換費用」のバカ高さである。単純にいって48Kgの高濃縮ウラン(恐らく兵器級濃縮ウラン−濃縮度90%以上―ではないと思う。)、を安全な濃縮ウランに転換するのに800万ドルかかっている事になる。単純にいって1Kgあたり、167万ドルである。世界にどのくらいの核分裂物質があるかというと、外交問題評議会の機関誌「フォーリン・アフェアーズ」に掲載された「ゼロの論理」という論文によれば
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/obama/obama_14.htm>を参照の事。)


 世界には2万5000発以上の核兵器がある。ロシアとアメリカでその95%以上を占めている。3000トンに近い核分裂物質もある。25万個の核爆弾を製造しうる量で、40カ国以上に貯蔵されている。』

 とのことだ。3000トンの根拠は明示されていないが、もし仮に3000トンとして、これを、1/3の1000トンだけを「安全化」したとしよう。というのは世界に存在する核分裂物質は、その大部分がすでに「安全化」された平和利用目的の核分裂物質だからだ。だから1000トンと見よう。1000トンは100万Kgである。1Kgあたりの転換費用を167万ドルとした。単純にかけてみよう。すると、167兆ドルとなる。アメリカの国家負債などはいっぺんに吹っ飛んで、チャラである。
「アメリカ連邦政府総負債の推移とGDP比率」の項参照の事。
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/Economy_of_the_US/07.htm>


 実際には、こんな計算はなりたたないだろうが、核分裂物質の「安全化転換ビジネス」がいかに有望な市場かは、私の「下司の勘ぐり」は割り引いたとしても、容易に想像がつこう。

 ローラ・ホルゲイトはこうしてNTIで6年間、「大量破壊兵器不拡散」の専門家として研究を重ね人脈を作って、国家安全保障会議入りをする。


政府人一筋に30年間

 最後に見ておきたい人物が、冒頭に紹介したアメリカ・オバマ大統領核不拡散特別代表(大使級)、スーザン・F・バークである。

 スーザン・バークの役職は「大統領特別代表」であり「大使級」に格付けされているから、当然議会の確認(confirmation)が必要となる。

 09年4月22日、この確認のための上院外交問題員会が開かれバークは証言しているが
<http://foreign.senate.gov/testimony/2009/BurkTestimony090422p.pdf>、その中で彼女は自分の履歴について次のように云っている。

 私は過去30年間以上にわたって国のために働く特別の権利を得てきました。ペンタゴン、軍縮管理庁、国務省などです。そのうち20年は「不拡散問題」に関わって来ました。』


 つまり彼女は根っからの「政府人」であり、政府部内きっての「不拡散」専門家の一人なのである。

 誤解しないで欲しいのは、そして私も長い間誤解をしてきたが、ここでいう「不拡散」とは、大量破壊兵器、特に核兵器を廃絶しようという意味ではない。「廃絶」と「不拡散」は全く別なコンテキストの言葉だ。

 「不拡散」とはアメリカを大量破壊兵器、特に核兵器から守る、という文脈で使われている。アメリカにとってもっとも安全な道は、大量破壊兵器、特に核兵器をアメリカだけが所有し、他の一切の国々が所有していない状態だ。バークはそうした「不拡散問題」で20年間働いてきた、といっているのである。

 スーザン・バークの詳しい経歴を今のところインターネットを通じて知る事ができない。仕方がないので、国務省が発表している経歴書を使って彼女のキャリアを眺めてみる事にする。
<http://www.state.gov/r/pa/ei/biog/125818.htm>を参照の事。)



「核兵器不拡散条約」の「核不拡散条約」化

 この経歴書の冒頭に極めて興味深いことが書かれている。

 彼女は、核不拡散条約(the Non-Proliferation Treaty-NPT)の強化と国際的不拡散体制の強化の課題に向けて他の諸国と共同する事に責任を負う。バーク大使はNPT再検討会議への準備で主導する役割を演ずることになるし、国際的外交を通じて、合衆国の目標であるNPTの更新と再活性化及びグローバル体制を推進することに対しても責任を負う。』


 スーザン・バークの仕事はNPTを新しくすることだ、といっているのである。ここでも「the Non-Proliferation Treaty-NPT」(核不拡散条約)という言葉が使われていて、現在の正式な名称「Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons」(核兵器不拡散条約)は英語名称としてもう使われていない。

 日本では、マスコミをはじめもう長い間「核兵器不拡散条約」は使われていない。「核不拡散条約」だ。今も頑固に「核兵器不拡散条約」と呼び続けているのは、外務省と私くらいなものだろう。
外務省のサイト
<http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kaku/npt/index.html>を参照のこと。)


 オバマのプラハ演説でも「核不拡散条約(the Non-Proliferation Treaty-NPT)」と呼んで、条約の正式名称では呼ばなかった。
「アメリカ合衆国大統領 バラク・フセイン・オバマのプラハにおける演説<オバマ プラハ演説>“NPT体制の強化?”の項参照の事
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/obama/obama_04.htm>


 またアメリカの正式文書の中で、「核兵器不拡散条約」という言葉は全く姿を消した。すべて「核不拡散条約」という言い方である。

 つまり、オバマ政権の狙いは、2010年NPT再検討会議において、「核兵器不拡散条約」を名実ともに「核不拡散条約」としようということだ。そしてそれを「NPT体制の強化」と見なしている。これはアメリカにとっての「NPT体制の強化」ということだ。

 この場合、焦点は、NPTの3つの柱のひとつ、「平和的核エネルギーの利用は、NPT参加各国の平等な、奪い得ない権利である。」という項目の取り扱いだろう。
しかし、第63回国連総会議長、ミゲル・デスコト・ブロックマンの09年8月の広島長崎での発言を読む限り、このオバマ政権の狙いは、もう見透かされているなぁ。)



スーザン・バークがNPT再検討会議の代表?

 スーザン・バークはジョージタウン大学の政府学部を卒業し、ワシントンDCのトリニティ・カレッジで修士号を取得した。それからまっすぐ国防省に入ったようだ。最終的には国防長官事務局(the Office of the Secretary of Defense)入りし、高級レベルのスタッフの一人になっている。

 それからローラ・ホルゲイトのところでも出てきた軍縮管理庁(U.S. Arms Control and Disarmament Agency)に転出した。時期的に見て軍縮管理庁が独立の政府部内機関だったときだと思う。ここでは、国際核問題部(International Nuclear Affairs Division)の部長になっている。そして1995年NPT再検討会議のための部局の部長としてその準備にも当たっている。それから1999年に国務省に転出し、「不拡散問題」担当の国務長官補佐官代行にまで出世する。

 それからブッシュ政権の下で2002年に新設された「国土安全保障省」(the Department of Homeland Security)と呼応するように、対テロ対策の一環として国務省内に新設された国土安全保障局の最初の副コーディネータにも就任している。

 それから今回の「不拡散」担当の大統領特別代表に就任となるわけだ。


「不拡散体制」構築のさらに奥

 こうして見ると恐らくは2010年再検討会議の実質アメリカ代表は、「不拡散」専門家のキャリアをもつスーザン・バークであり、政府や議会のまとめ役がエレン・トウシャー、その下で実務的に、特にロシアとの核削減交渉の実務家がローズ・ゴットモーラーという配置になるのだろう。

 そして国家安全保障会議を拠点にして全体を指揮するのが、「不拡散のツアーリ」ことゲイリー・セイモアということになる。そしてこれまで紹介してきた実務家スタッフはそれぞれの専門性を生かして、オバマ政権の「不拡散政策」推進にあたるのだろうと予想される。中でももっとも重要な役割を演ずるのが、ロバート・アインホーンだろう。

 「不拡散体制」を貫徹するためには、NPTが確認した5つの核保有国を一つにまとめておく必要がある。それは国連の常任理事国でもあるからだ。そのまとめを国際戦略問題研究所時代から準備してきたのがアインホーンだった。

 もう一度確認しておくが、オバマ政権の「不拡散体制」とはあくまでアメリカを大量破壊兵器、特に核兵器の脅威から守るという意味での「不拡散体制」だ。そしてそれを「グローバル体制」にするのが、ここで紹介した「オバマ政権不拡散チーム」のミッションである。そしてその試金石であり、最初の難関が2010NPT再検討会議だということができるだろう。この「アメリカ中心主義」の「グローバル不拡散体制」を果たして、ラテンアメリカ諸国、東南アジア諸国、イスラム・アフリカ諸国を中心とする「非核兵器諸国」がすんなり承認するだろうか?

 事態は国連の民主化問題と密接に絡んでいるが、今のところ「フレッシュ・オバマ」の人気でアメリカは着々と来年の再検討会議に向けて必要な準備を積み上げているように見える。

 想像をたくましくすれば、アメリカを中心とする「グローバル不拡散体制」自体も単なる表看板に過ぎないかも知れない。表看板を突き抜けてズイっと奥へ入ってみると、そこには厖大なマーケット規模が予想される「平和利用核エネルギー市場」が横たわっている、という事かも知れない。
いや、これは全く私の想像であり、仮説にすらなっていない。)



スーザン・バークと日本軍縮学会

 私は、ここでふっと思う。こうしたオバマ政権の「グローバル不拡散体制」構築にあたって、対米従属下の日本にふられた役割はなんだろうかと。

 ひとつには、スーザン・バークのミッションである「外交的」に「不拡散体制」を促進する仕事を側面援助することであろう。幸いにしてIAEAの事務局長は、日本出身の人物に決定した。
シリーズ「オバマ政権と核兵器廃絶」第1回「最も危険な核兵器国 イスラエル IAEAの事務局長に天野氏選出の意味」
<http://www.inaco.co.jp/isaac/back/025-1/025_1.htm>参照のこと。)


 もう一つは、オバマ政権の狙いを支持する国際世論を形成するキーファクターを演ずる事であろう。そのためには、まずオバマ支持の日本国内世論を作る事であろう。

 日本にふられた役割でこの2つ以上に重要な役割はないだろう。

 特に09年広島・長崎の平和祈念式典における両市長の「オバマ支持」のメッセージは効果的だったかもしれない・・・。
「正気と狂気のはざまの平和式典−2009年原爆の日」参照
<http://www.inaco.co.jp/isaac/back/026/026.htm>)


 スーザン・バークはこの8月下旬来日して、あるシンポジウムに出席する。というのは、この4月に「日本軍縮学会」が発足し、その第1回研究大会が09年8月29日に開かれるので、午後のシンポジウムの「目玉」のシンポジストとして出席が予定されているからだ。
「日本軍縮学会」
<http://www.wilmina.ac.jp/ojc/disarmament/index.html>


 日本軍縮学会の真の目的が何かは私にはよくわからない。しかし、「アメリカのための不拡散体制」構築を推進するスーザン・バークにとって、日本軍縮学会出席は、09年8月12日、スイス・ジュネーブ安全保障政策研究所の集まりで、『核不拡散体制強化:進展への青写真』と題する講演したことに次ぐ本格始動の動き、とみるべきだろう。


(この稿了)


(*  なお、日本軍縮会議の役員は次の通り。
<http://www.wilmina.ac.jp/ojc/disarmament/4.html>

また賛同者名簿も閲覧する事ができる。
<http://www.wilmina.ac.jp/ojc/disarmament/5.html>