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第39回広島2人デモ 3.11 2周年特別版 報告

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◆画像説明
1.第39回チラシ1-4P
2.第39回チラシ2-3P
3.プラカード1・2
4.プラカード3・4
5.今日の様子の写真

みなさま

お騒がせします。
第39回広島2人デモ 3.11 2周年特別版のご報告です。

参加者は8.5人

哲野、網野、ツナさん、じゃけえさん、大歳さん、
島根から廃炉マトリョーシカさん
大阪から脱原発カメラマンの岸本さん
http://blog.goo.ne.jp/oceandragon_coconut
そして岸本さんの娘さんのここなちゃん
岸本さんのお腹の5カ月のお子さん
計8.5人でした。

来るつもりだったシュウトさん、仕事抜けられなくて残念との連絡がありました。
そしてKさんも仕事で抜けられず「心だけ参加!」とのご連絡
原田さんも仕事抜けられず「心だけ!」

集合場所に行くと新聞にも告知されてましたが、平和公園のガンギでやってました。
震災イベントです。キャンドルを「3.11」にならべるというものです。
歌も流れていました。

※写真をご覧ください。

「祈りのヒロシマ」なんて聞いたことありませんでした。今回初めて知りました。
「祈る」ってことは「すでに終わったこと」ってことですね。
ヒロシマ念願の核兵器廃絶は終わっていませんが・・・?

そしてこのイベントは広島市やマスコミこぞって盛り上げています。
昨日の3.10イベントだって原発反対イベントなのに震災イベントとして報道されました。
原発反対、放射能被曝反対の声なんてなかったかのようです。

さて集合場所で待っていると、ツナさんが来ました。
そしてすぐに廃炉マトリョーシカさんが。

シカ「本当にいいんですかね?」
哲野「いいですよ、もちろん」
網野「?」
哲野「伝えてなかったけど、島根原発差し止め訴訟のアピール文配るんだよ」
http://www.simane-roren.jp/sayonara-appeal.pdf

そして「こんにちは~」と現れたのが、大阪からきた岸本さんでした。
じゃけえさんもきて、チラシの内容の説明を哲野がします。

哲野「今日は311ですから、それぞれ311に関してご自分の思いをスピーチしてください。」

警備の警察の方も来て、指令書の確認をし、チラシを渡します。

時間になり、音楽が鳴りました。
そこにちょうど音楽とともに大歳さんが登場。

出発です。

▽本日のチラシ
http://www.inaco.co.jp/hiroshima_2_demo/pdf/20130311.pdf

▽本日のプラカード
※プラカードは上の写真をご覧ください。

トップバッター、大歳さんからスタートです。

大歳「毎度、お騒がせしております。
   本日は3月11日、月曜日ですが
   毎週金曜日恒例の、広島2人デモの3.11特別編としてデモを行いたいと思います。

   あの震災から2年が経ったということで大手メディア各社とも震災復興特集を組んで報道を行ってます。
   これらの報道は予想どおり、苦しい震災を乗り越えて復興目指す人たちの苦悩や努力を
   ある種の美談として伝えるものがほとんどになっています。
   その一方で原発や放射能といったそういう報道は除外、またはかなり小さく扱っており
   大手のメディアは多くの国民から都合の悪い事を遠ざける忘却装置として機能していることを改めて思い知らされます。

   私の通勤手段は車なのですが、移動のときはたいてい、FM・AMラジオがつけっぱなしになっています。
   私のようなドライバーは多いと思うのですが、このラジオというのも実はクセモノです。
   今朝、広島FMのラジオの朝の放送を聞いていましたら、
   『震災から今日で2年が経ち、各地で哀悼のセレモニーが行われた』というトピックに続いて
   原子力開発機構で出た、福島原発周辺の空間線量はこの2年で半分以下となっており
   当初の予想よりも早く線量が下がっているという報道を行っていました。
   これだけを聞けば、原発事故は意外とたいしたことはない、と考えそうになりますが
   当然そんなに甘いものではありません。
   原子力開発機構のいうこの2年の数値とは、福島のどの地点の位置の数値なのか、
   当初の予想とはどんなものなのか、空間線量だけの比較で良いのか、
   これらすべては疑問です。

   もう一度言います。ラジオも十分クセモノです。
   ラジオ放送といっても、県外のニュースものは中国新聞系列による放送、そのスポンサーは中国電力です。
   福島原発1号機から3号機まで今でも大量の放射能を出し続けていて
   汚染水もどんどん排出されていますし、その一部は地下水脈に混入していると言われています。
   4号機においても使用済み核燃料の取り出しは、いまだにスタートすらしていない状況です。
   いまだに危機の状態です。
   恐らく長い将来にわたって危機のままでしょう。
   危機は福島だけではなく、現在大飯原発3号機・4号機以外の日本中の原発は稼働をとめた状態ですが
   これは発電をしていないというだけで、福島第一原発4号機と同じく崩壊熱を出し続けていて
   冷却水で核燃料を冷やしている状態ですから、ここにまた大地震や津波がきて冷却機能を失えば
   また放射能の大放出を招きます。
   これ以上のリスクをかかえないためにも原発の再稼働を許してはなりません。
   そして原発は即刻廃炉にしなければなりません。
   
   ここ広島にもっとも近い原発は、愛媛の佐田岬にある四国電力伊方原子力発電所で
   再稼働の最有力候補です。
   これはプルトニウムを燃料に用いた危険なプルサーマル発電です。
   絶対に再稼働させてはいけません。
   豊かで美しい瀬戸内に、原発は要りません。
   ふるさとの海を大切にしましょう。」

次にマイクが哲野に渡ります。

哲野「みなさま、お勤め帰りのところをお騒がせします。
    毎週金曜日に歩いている2人デモですが、今日は3.11、福島原発事故から2年になります。
    今日は特別に歩いております。
    2011年3月11日、2つの大事件が起こりました。
    一つは14時16分に発生した東日本大震災です。
    この地震自体の被害も大きなものでしたが、被害をさらに大きくしたのはみなさんご存知巨大津波でした。
    もう一つの事件は地震発生から約1時間半後の15時42分にその発生が確認されました。
    福島第一原発1号機から3号機の全交流電源が喪失したことが確認されました。
    「福島原発事故発生」の瞬間です。
    経済産業省、旧原子力安全・保安院はその日の22時には正確に次に何が起こるか予測していました。
    その予測は22時30分には当時の首相、菅直人氏に報告されました。
    私の想像ですが、菅さんはこの報告を聞いて恐らく腰を抜かしたでしょう。
    原子力安全・保安院の予測は当時首相官邸のwebサイトに3月12日0時30分には公表されました。
    それを引用します。

    『(実績)14:47 原子炉スクラム(RCIC起動)
     (実績)20:30 RCIC停止(原子炉への注水機能喪失)
     (予測)22:50 炉心露出
     (予測)23:50 燃料費覆管破損(ペレットが剥き出し)
    (予測)24:50 燃料溶融(メルトダウン)
    (予測)27:20 原子炉格納容器設計最高圧到達(容器爆発の恐れ。従って)
             原子炉格納容器ベントにより放射性物質の放出』

    実際には最初の危機は1号機に訪れましたが同じことです。
    どちらにせよ、全電源喪失の事態では誰が予測しても同じ運命でした。

    2011年3月11日にはこのように2つの事件が起こりました。
    政府や主要なマスコミはこれを東日本大震災という一つの事件にまとめてしまいたいようです。
    それは当然、福島原発事故の、まったく独立した重大性を覆い隠すためです。
    今日も全国で311追悼集会がおこなわれています。
    政府も自ら主催して、天皇を呼び、震災追悼慰霊祭を開くなど
    追悼イベントに力を注ぎました。
    「追悼するんだ!」と言えば、誰も正面から文句は言えません。
    しかし一方の事件は「追悼」し復興を誓って済むかもしれません。
    しかしもう一方の事件は「追悼」し復興を誓ってはすみません。
    なぜなら、福島原発事故は現在進行形だからです。
    また、大震災は天災ですが、原発事故は人災です。
    人災である以上、我々人間の側に何か大きな問題があるはずです。
    その問題はまだわかっていません。
    はっきり解明されていません。
    2012年7月の国会事故調報告書は今後国会の中に原因究明のための委員会を設け
    事故原因を追究すべしと提言してその報告を結んでいますが
    国会の中にそのような動きはありません。
    3月11日福島原発事故から2年目の今日、みなさんに申し上げたいことは
    その日、2つの事件が起こった、一つの事件は追悼・復興段階にある、
    もう一つの事件は現在進行形であり、これから危険な新たなメルトダウン、
    メルトスルー、水蒸気爆発、核暴走などの危険が去ったわけではない、
    つまり追悼や復旧・復興の段階にはまだ至っていない、
    これから新たな危険をいかに最小限に留めるか、その段階である、
    ということだけをお伝えしたいと思います。」

次にじゃけえさんです。

じゃけえ「皆さん、こんにちわ。お騒がせしております。
     毎週金曜日にやっている広島2人デモですが、3月11日の今日も歩いております。
     除染やがれき処理に復興費が使われています。復興費は被災者の為のものです。
     今も避難所での暮らしを強いられている人たちが沢山います。
     被災者の方達に必要なのは安心して送れる生活です。
     除染は無意味です。
     (※現在、除染と称されているものは例えばクリーンルームに入るときの除染とは全く異な る作業や概念です。
       言葉の正しい意味では、それは除染と呼ぶべきではなく、移染と呼ぶべきです。
       それが証拠に、大量の放射性廃棄物が溜まりあげています)
     瓦礫の処分は東電がするべきです。
     復興費は被災者の方たちのためにある費用です。
     被災者の方たちが安心して暮らせる補償をしてあげるべきだと思います。
     被災者の生活の為に復興費を使ってください。
     大震災は自然による天災ですが、原発事故は人の手による人災です。
     震災が地震や津波だけだったなら、復興はもっと進んでいたことでしょう。
     原発事故が起こってしまったために大変な苦労を強いられている人たちがたくさんいます。
     復興費を瓦礫の処理や除染に使うことは間違っています。
     このことを無視し続けることは
     被災者の方たちをいじめているのと同じことです。
     無視し続けることはいじめと同じです。
     福島の現状を少しでも想像してみてください。
     宜しくお願いします。」

次に廃炉マトリョーシカさんです。

シカ「広島のみなさん、こんにちは。
   今日も中国山地を超えて島根からやってきました。
   今日は3月3日、島根くにびきメッセで行われた集会のアピールを皆さんにどうしてもお知らせしたいと思います。

http://www.simane-roren.jp/sayonara-appeal.pdf
『3月11日の「あの日」から2年が経とうとしています。(経ちました)
 人類史上最悪の原発事故を境に、「日本は大きく変わる」、「いや変わらなければならない」と誰もが感じていた筈です。
 しかし、わずか2年も経たないうちに核燃料サイクルの継続が決まり、
 原発の新たな「安全神話」ともいうべき「新安全基準」なるものが策定されつつあります。
 国としての「原発ゼロ」方針はいともたやすく反古にされ、「あの日」以前に時計の針が戻されようとしています。
 福島第1原発の事故原因はいまだ究明されていません。それどころか敷地内には大量の汚染水がたまり続け、
 あらたな海洋汚染を引き起こしかねない状況です。
 そしてそんな中、原発作業員の人たちは、日々被曝の恐怖と闘いながら危険な作業に携わっています。
 16万人もの福島県民はいまなお厳しい避難生活を強いられています。
 「除染」の問題も「賠償」の問題も混迷を極めて解決にはほど遠く、被災した人たちが分断されるような状況も起きています。
 私たちは東日本大震災と福島原発事故によって、想定しきれない自然災害の脅威と、
 ひとたび暴走し始めたらコントロール不能な原発事故・放射能の恐ろしさをあらためて思い知らされました。
 絶対安全な原発などあり得るはずもなく、後世に大きなつけを残す、放射性廃棄物の問題も手つかずのままです。
 二度とふたたび福島のような地をつくり出してはなりません。
 それは、福島を経験した、今を生きる私たちの責任です。
 時計の針を「あの日」以前に戻そうとする愚かな動きを、私たちは決して許しません。
 人類と共存できない原発にはきっぱりとさよならを告げましょう。
 そして中国電力には、島根原発を二度と動かすことなく、全て廃炉とするよう強く求めます。
 生とし生けるものすべての安心・安全のために、島根から、そして全国から原発のない未来を創り出していきましょう。

 2013年3月3日「さよなら島根原発 未来のために」集会参加者一同』

   島根県民が松江に500人近く集まって発したアピールです。
   私たち島根県民は今、中国電力島根原発3号機の稼働を阻止しようとする裁判を起こそうとしてます。
   http://sayonara.daynight.jp/shimanegenpatsu/3goro/
   みなさん、サポーターとしてでもいいです。是非ご協力をお願いしたいと思います。
   ご清聴ありがとうございます。」

次にツナさんにマイクが渡ります。

ツナ「みなさん、すっかり寒くなりましたね。
   2年前はもう少し寒かったような気がするんですが、気のせいだったのか…覚えてますか?
   2年前の夜は東北、雪が降ってました、覚えてますか?
   みなさん、伊方原発というのをご存知ですか?
   瀬戸内海の向こう側にあります。
   これ、とてもとても危険な建物です。
   中国山地の山の向こうにはとてもとても危ない島根原発があります。
   そして今上空流れています、ジェット気流。
   ジェット気流の風上、これは九州の北のほうですね、
   これも玄海原発というとてもとても危ない建物があります。
   危険な建物はたくさんありますけれども、逃げ場がありませんねぇ。
   危険なものに囲まれてしまいました。
   私たち、『放射能』というものを全く知らない街ではありません。
   一度も聞いたことがない人はいないはずです。
   放射能と全く関わりを持っていない人、ほとんどいないと思います。
   そういう町であるにも関わらず、放射能がとっても危ない原発に囲まれてしまいました。
   海を挟んでいます。山を挟んでいます。行政区超えてます。
   関門海峡超えてますからね、みなさんピンとこないかもしれませんが
   今、私たちの広島、とてもとても危ない状況にあります。
   ま、こういう状況で放射能を避けましょう、と言う人も、はっきりいって綺麗ごとですね。
   諦めてしまうのがずっと楽かもしれません。
   事実、ほとんどのひとが諦めてます。
   そうやって日常をやり過ごして、せいいっぱい日常を生きて
   原発なんてしらねえよ、って言う方がずっと楽です。
   反原発運動なんてアホじゃねえの?って、思ってらっしゃるのかもしれませんが
   きっとそれもありなんでしょうね、私には「なし」なんですけども。
   今日3月11日、黙祷された方もいらっしゃると思います。
   それ自体はぜんぜん、いいことなんですけれども
   その黙祷も、黙祷が目的になりましたね。
   みんなで同じ時間に黙祷して悲しみを共有して
   で、明日からはいつも通り、なんてことになるんじゃないかな~と思ってますが
   ・・・ま、そうやってみなさんが見事に風化させてしまいました、「福島第一原発事故」なんですが・・・

   それでもね、みなさんに目を逸らしてほしくないんです。
   みなさんテレビをみて被災者の方をみて、チラと涙流されたりすると思うんですけども
   それでもそこで終わってしまったら、あなたの自己満足で終わりなんです。
   沈黙は暴力なんです。
   事実原発で傷つけられている人がいるんです。
   沈黙は暴力なんです。
   こうやって、声をあげないと・・・いけないんですよ。
   みなさんね、死んでいった人たちに想いを馳せるんだったら、
   弱いものから死んでいくんだということもよく覚えておいてください。
   原発が爆発したときに、弱いものから死んでいきます。
   私から死んでいきます。あなたから死んでいきます。
   次に原発が爆発したら、あなたが死ぬと思ってください。
   あなたの隣にいる人が死ぬと思ってください。
   それがこの原発事故の本質だと思います。」

いつもは冷静なツナさんが、喋っているうちにあまりに無関心を装う一般市民の人たちに腹を立てたようです。
あとでツナさん自身、ツイッターに「やっちまった。徐々に通行人を罵るスピーチに・・・」と自戒されていました。

次にこのために大阪からやってきた、岸本さんにマイクが渡ります。

岸本「こんばんは。私はこの3月11日をどこで迎えようかと考えたところ
    この広島で3月11日を迎えることを決めました。
    今朝、大阪から来ました。
    大阪の関西電力はもう大飯原発を原発の事故があったのに動かしてしまってるんですけども
    次は四国電力の伊方原発を国は動かそうとしています。
    伊方原発はここ広島からもとても近いです。
    大飯もそうですけども、伊方原発がまた再稼働されて
    福島のような事故をおこさないという保証は誰もできません。
    私は2人の子どもがいて、お腹のなかに5か月の赤ちゃんがいます。
    子どもたちを危険にさらしたくありません。
    自分の子どもたちじゃなくても、いまから成長する子どもたちも
    これから生まれてくる子どもたちも、傷つけたくはありませんので
    こうやって地道な活動をしています。
    みなさんも他人事ではありません。
    福島は繰り返されないという保証はどこにもないのです。
    今日は3月11日、2年前、地震で原発が壊れてしまって2度目の3月11日です。
    新たな原発事故を起こさないために、
    みなさんも今日、考えてみてほしいと思います。
    宜しくお願いします。」

岸本さんに話を聞いてみると、大阪は例の橋下市長が瓦礫
(瓦礫といいますが、これも言葉のすり替えでその実態は低レベル放射性廃棄物なのです)
を受け入れて、盛大に放射能入りの焼却煙を吐き出していますので
上のお子さんは徳島に避難させていると言っていました。

この話をきいて思い出したんですが網野の友人が滋賀につい1週間前、仕事で行った際、
鼻血が止まらなくなったそうです。電話で家族に鼻血が止まらないと連絡したところ
お兄さんが「大阪で瓦礫を燃やしているから、放射能かもしれない」と指摘され合点がいったそうです。

(私たちは、ICRPや日本の厚生労働省、原発推進の偉い学者先生が言うように
無知蒙昧な感情的で救いがたく非科学的な一般大衆なのでしょうか?
それとも、経験知ではあるが、冷静に自分の身の周りを観察し、判断しようとしている賢い市民なのでしょうか?
どちらが正しいのでしょうか?)

次に哲野にマイクがわたりました。

哲野「日本で原発をなくしていくということは、非常に難しい事です。
    その難しさの理由は、私たち日本の中に世界的な核推進勢力
    世界に名だたる原発産業がある、これが大きな日本国内核推進圧力になっているからです。
    世界の5大原発ベンダー、ロシアのロスアトム、フランスのアレバ、
    それ以外はすべて日本の企業です。
    三菱重工業、日立製作所、東芝。
    この3つの会社がある時はアメリカのウェスティングハウスと組み
    ある時はアメリカのジェネラルエレクトリック社と組み、
    フランスのアレバと協力しながら原発・核施設を世界的に推し進めています。

    私たち広島は三菱重工業の城下町でもあります。
    こうやって歩いていると、お勤め帰りのサラリーマンの方のなかに冷たい目をして
    私たちを見るひとが多くはありませんが、います。
    その人たちの気持ちもわかります。
    会社の売り上げを維持しなければなりません。
    自分のセクションの売り上げを維持しなければなりません。
    利益をあげなければなりません。
    家族を養わなければなりません。
    出世しなければいけません。
    その権利はみんなにあります。
    しかし、そうした個人的な動機や一企業の動機が、全体から見れば
    私たちの市民の首を一個一個、ゆっくり絞めているんだということも忘れないようにしてください。
    誰しも飯を喰う権利があります。
    誰しも会社の中で出世する権利があります。
    どの企業も売り上げを上げる権利があります。
    ただし、麻薬と核、これだけには手をだしてはいけません。
    麻薬はいま、暴力団とヤクザ以外は手を出しません。
    しかし核は日本を代表する一流企業、日本を代表する一流経営者、有名人が
    堂々と手を染めています。
    人々の命や暮らしを縮めていくものに手を出してはいけません。
    日本の三菱重工業の社員の方々、東芝社員の方々、日立製作所の社員の方々、
    そしてそれを取り巻く膨大な下請け、孫請け、玄孫受けの企業で働くみなさん。
    自分たちの利益を追求することが、私たち日本人の首を絞めていることを忘れないようにしてください。」

ここで再度、シカさんにマイクが渡り、再度3月3日のアピール文を読んでもらいました。
そのあとに・・・

シカ「今本当に、時計の針は、あの日以前に巻き戻されようとしています。
   私が感じるところでは3月11日以前どころか、1945年のあの敗戦にまで、
   さらには昭和16年12月8日、真珠湾戦争にまで時計の針を撒き戻そうとしています。

   みなさん、憲法96条をご存知でしょうか?
   「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、
    国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。
    この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。」
    国会議員による憲法改正手続きを定めた条項です。
    この賛成発議を3分の2から2分の1へ変えようとしています。
    つまり憲法を変えやすくしようとしてます。

   憲法97条、基本的人権の尊重をご存知でしょうか?
   「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、
   人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、
   これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、
   侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」
   この基本的人権条項が自民党の憲法改正草案からは削除されています。

   本当に3.11前に時計の針を撒き戻そうとしてます。
   私たち島根県民は出来るだけ幅広く大きくあらゆる力を使って、知恵を絞って
   この原発を止めたいと思います。
   今原子力発電所を止めないと、とんでもないことになってしまいます。」

最後に網野にマイクが渡りました。

網野「毎週金曜恒例の2人デモなんですが、3.11ということで歩いております。
    今日は島根と大阪の方も参加していただいています。
    先ほど島根の方のスピーチにもあったように、島根原発はここ、広島地元の中国電力が建設しております。
    島根の人はやめてくれ、止めてくれって言ってます。
    で、広島の人はじっと黙っています。これはちょっと良くないなと思います。
    私たちには関係ないなと思うかもしれませんが、島根原発でもし・・・通常でも放射能を出すんですけれども
    もし放射能が出た場合、事故があった場合、当然水源である中国山地が汚染されます。
    私たちの水がめが汚染されます。
    広島の人間にとっても決してただ事じゃございません。
    よくよく考えてください。
    自然のサイクル、土、水、風、あらゆるものが私たちの命を支えています。
    私たち人間の命を支えるためだけに自然があるわけじゃありません。
    私たちが利用させてもらっているだけです。
    放射能とはどういうものか、原発とはどういうものか
    それは私たちにとってどういうものか、もう一度よくよく考えてみてください。
    そうしないと本当に、亡くなった人のためにならないと思います。
    今、福島の高濃度汚染地域に住まわされている福島県の人々、
    この人たちをこんな風にしているのは、広島と長崎の被爆者の人々の寿命調査のデータです。 
    寿命調査(LSS)これをまとめたのが比治山にある元ABCC、放影研です。
    このデータが使われて、今福島の人々は苦しめられています。

    先日、福島県民健康管理調査の一環で甲状腺調査が行われました。
    甲状腺がんを発症した子どももいます。
    しかし、評価委員会は甲状腺がんは被曝後5年以上経って発症するので
    今回の甲状腺がんは福島原発事故の影響ではない、と結論しました。
    しかし、これは大嘘です。
    彼らが根拠に使ったのは、広島・長崎の原爆生存者寿命調査(LSS)ですが
    この調査は原爆投下後、5年近く経ってはじめられた調査です。
    5年経ってがんが発症したのではありません。
    単に、調査を始めたのが、5年後だったにすぎません。
    5年以内にがんや白血病、その他の病気を放射能のために発症し、
    5年以内に亡くなった人のデータは今では山ほど見つかっています。
    こんなペテンはありません。
   
    これはもう証拠があります。原文がちゃんと公開されております。
    みなさん、調べればおわかりになります。
    これを知らない専門家、知ってても言わない専門家がいけしゃあしゃあと
    甲状腺がん・白血病は5年後以降に発症する、
    だから今出ている甲状腺がんや白血病は放射能によるものではないということを言っています。

    私たちがちゃんと情報を知れば、専門家と称する人たちが今いかに出鱈目なことを言っているのかがわかります。
    ということは、私たちが私たちを守るためには、信頼できる一次資料にあたって調べ、そして考え
    それはおかしいんじゃないのとちゃんと指摘して、やめさせる、変えさせる、
    こういうことをしていかないといけないです。

    これは、私は、私自身の命を守るためにやります。
    大事な人を守るためにやります。
    でもみんながそうすれば、・・・私の隣にいる人、私とは直接繋がりのない福島の人々、他の人々を助けられます。
    一人はひとりのためじゃありません、みんなのためです。
    一人一人が自分を守ることが、結局みんなを守ることになります。
    一人はみんなのために存在します。

    そして今世界中で声をあげている、「原発やめてくれ」って声を挙げている人々の力にもなります。
    私たちは決して、日本国内だけで闘っているのではありません。世界的な原発推進圧力と闘っています。

    こういった世界にいるということをわかり始めたことがフクシマだったと思います。
    私たちは今こういう世界にいるんだということが3月11日になるまでわかりませんでした。
    広島の人間としてでもわかりませんでした。
    核兵器廃絶だけ言っていればいいんだと思っていました。
    私は強烈な反省をしています。
    何より広島の人間が放射能というものをわかっていなかった、
    私は祖母が被爆者ですから、凄い苦しみ方をして死んでるんですけど
    なぜこうなったのかというのも、他の近所の人たちが死んでいった理由も
    調べて私なりに理解がいきました。3.11後に調べてわかりました。
    これが放射能の影響だったんだということがようやく理解できました。
    3.11は私たちにとても大きな機会を与えたと同時に私たちの世界がひっくり返った、そんな日だったと思います。
    すいませんお騒がせしたしました。」

警察にお礼を言ってお別れし
恒例の立ち話に・・・
十分長いので割愛します。

チラシのはけ具合。
手違いで、いつもの倍ちかいチラシを、持ってきていたのですが
強力な助っ人、ここなちゃんの活躍もあって往路ですべて無くなりました。
復路を歩くみんなの手持無沙汰なこと。
しかし復路のほうが、反応がよかったです。
チラシを差し向けたら、取るなと思う人がたくさんいましたし
「チラシありますか?」と受け取りにきた若い男性もいました。
チラシは実は、今日は2種類、1種類は島根アピールでした。
この島根アピールもシカさんが自分用に持っていた最後の一枚を取りにきた男性に渡しました。
その他各メンバー自分用のチラシを全て供出しました。
なぜ?こんなにチラシが売れたのか・・・
もちろん、ここなちゃんの大活躍があったにしろ、これは理由がわかりません。
ひとつ気が付いたのは、商店街のオーナーの方々か特に、今日は店前に出て
私たちの話を聞いていました。

デモ後のじゃけえさんの感想のツイートを挙げていましたのでご紹介して報告を終わります。

=========
20130311広島2人デモ”311特別版”参加して参りました~。
今日やらないでいつやるの?というわけです。
本日の参加者は8人。島根から、大阪から、皆様お疲れ様でした!!
私はなんだか穏やかな気持ちで歩いていました。
小さい女の子と一緒に歩いていたからでしょうか。
彼女の活躍でチラシは往路でほぼ完売!
参加者がもらった分も配りきって、ほしがっていた通行者に渡せなかったという事態にまで至るという結果に。
小さな女の子からもらったチラシを読んで有益な情報をゲットした通行者は超ラッキー。
チラシの内容・プラカード画像・デモの様子などデモ情報は『広島2人デモ』のブログでご覧頂けます。
チラシはとても勉強になりますよ。皆様、是非ご覧ください。
お渡し出来なかった方、是非・・・!
今回スピーチのメモは作らなかったんですが、何とかなるでしょう精神で行きました。
が、やっぱりメモ作って行くべきでしたね!!
まとまってなくて、何回も同じこと言ってました。
「復興費は被災者の為に使ってください」と、今日一番言いたかったことです。
だってテレビが・・・除染して復興しよう~って言ってるから・・・
その予算、被災者の生活の為に使って!と声を大にして言いたかった。
金曜日よりも人は少なくて歩きやすく感じました。
いつもより参加者が多くて心強く感じたのか気持ちに余裕もありました。
311ということもあり、私が勝手に感じていただけかもしれませんが
デモを受け入れられてるような気がしました。
元安川で311キャンドルナイトイベントしてましたし。←さっき地元のニュースでも流れました。
今日は見た限りでは二回、携帯で写真とられました。
こんなこと今まで無かったんですが、キャンドルナイトに参加してた方でしょうかね。
大阪から遥々参加されたカメラマンさん(女の子のお母さん)にもデモの様子を撮ってもらいました。

網野さんのスピーチに「広島で生まれた私たちでさえ被爆の認識が甘かった、
311をきっかけにいかに恐ろしいことなのかわかった。
311は私たちにきっかけを与えてくれた。絶対に無駄にしてはいけない。」という旨の言葉を聞いて
たしかにそうだ、悔い改めること無くしての追悼は為しえないと思いました。

デモ後立ち話でちびっ子と触れ合う。大阪弁かわいいな。
やっぱり深く考えなくても守るべき存在だって感じれる、それが希望だな。
そしてその存在が宝なんだな。
「きょうはありがとうね。」ってすごく自然にその子に言えた。
もうすぐ小学校に通うんだって。
以上、デモ感想でした!おつかれさまでした~。
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広島2人デモ
http://www.inaco.co.jp/hiroshima_2_demo/