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「結・広島」広島市長回答受け取りとその顛末報告(転載)

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広島から一番近い原発、四国電力伊方原発3号機再稼働反対の請願を広島市議会に上げている「結・広島」ですが、先ごろ広島市長に対して質問を提出、その回答の受け取りと顛末報告がありました。

転載します。是非ご一読ください。

【結・広島】
http://hiroshima-net.org/yui/

=======以下転載========

▼質問PDF
http://hiroshima-net.org/yui/pdf/20131111.pdf
▼回答PDF
http://hiroshima-net.org/yui/pdf/hiroshima_shicho_kaitou.pdf
▼広島市長回答受け取りとその顛末
http://hiroshima-net.org/yui/pdf/hiroshima_shicho_kaitou_tenmatu.pdf

▼以下顛末報告▼

2013年11月18日

広島市長回答受け取りとその顛末報告

「結・広島」
広島市安芸区矢野町 752-29
代表 原田二三子

 既報のとおり、『結・広島』は「四国電力伊方3号機再稼働問題に関する広島市長への質問」を11月12日に提出し、広島市企画総務局秘書課長の岩崎学氏に受け取っていただき、11月18日回答を書面で受け取りに参上することを約しました。

(文章が長いので後での検索用に小見出しを入れております)


再稼働反対決議請願と温暖化対策課の「見解」との関係

 質問書の要点は、
  ① 「結・広島」の先頃広島市議会に提出した「伊方原発3号機再稼働に反対する決議」を求める請願書に関して市議会所轄常任委員会である『経済観光環境委員会』委員長の豊島岩白議員の求めに応じ、広島市役所担当部局である広島市環境局温暖化対策課が『見解』を豊島議員に提出し、これをこの問題に関する広島市当局の見解として常任委員会に報告した。
  ② この広島市当局(温暖化対策課)の見解は松井一實市長ご自身の見解であるか。

 というものです。

 考えてみればこの「質問」自体奇妙な質問でもあります。というのは広島市役所の長である広島市長に対して、その傘下市当局が議会に対して示した見解に対して「これはあなた自身の見解でもあるのか?」と聞いているわけですから。普通であれば聞かずもがなの質問です。しかしこのケースではあえて聞いて見なければならない理由がありました。

 「結・広島」の請願書の中身は、
①伊方原発の再稼働が近づいている、
②原子力規制委員会の「原発苛酷事故時の放射性物質拡散シミュレーション」と同じく原子力規制委員会が決定施行した「原子力災害対策指針」(2013年9月5日施行)を合わせ読むと、広島市は1週間で4mSvの被曝線量を被ることになり、「一時移転」の対象区域となる、
③現在の原子力規制行政は決して原発の安全を担保しておらず、「確率論的安全性評価」(PSA)の考え方の下に、原発再稼働の「基準適合性審査」を行っている、
④従って伊方原発はフクシマ事故並の苛酷事故を起こす蓋然性をもつ、
⑤これは広島市民にとって「生存権」問題である、
⑥よって広島市議会は広島市民の生存権を守る立場から「稼働反対」を決議して中央政府に政治的圧力をかけていただきたい、

というものでした。

 この「請願」に対して広島市当局の見解は、
①伊方原発問題はエネルギー問題である、
②エネルギー問題は国(具体的に“国”とは何を指すのか不明です。日本国憲法では国ないし国家とは国民そのものを指しますが、この場合の“国”は明らかに国民を指していません。前後を考えれば“政府”ないし“政権”を指しているものと思われます)の専管事項である、
③原発に対する信頼性はフクシマ事故で大きく損なわれた、
④広島市としてはこの信頼性の回復に努めるよう要望している、
⑤原発再稼働問題は、広島市としては国の進めているエネルギー政策見直しの中で適切に判断されるものだと考えている、

というものでした。


伊方原発再稼働は「生存権問題」か「エネルギー問題」か

 要点を整理すれば、伊方原発3号機再稼働問題は広島市民にとって「生存権問題」と「結・広島」が問題提起したのに対して、広島市当局は「生存権問題」の視点は無視したまま、伊方原発3号機再稼働問題という個別問題を、「原発問題」という抽象的一般論に置き換えて、原発問題はエネルギー問題とこれも一般化し、その上でこれは「国の専管事項」なので国及び関係当事者が適切に判断するものと期待している、と答えています。

 広島市当局は、「伊方原発3号機再稼働は広島市民の生存権問題」という問いには何ら反応を返さず、原発一般問題に置き換えて「エネルギー問題」だから広島市としては直接あずかり知らない、と広島市議会に「見解」を示したことになります。


ポスト・フクシマ時代の地方行政のありかた

 この広島市当局の「見解」は、請願を提出した私たちにとって看過できないものとなりました。1つには伊方原発3号機再稼働問題を広島市民の生存権問題として把握しきれない広島市当局の鈍感さ、が上げられます。フクシマ事故前とポスト・フクシマ時代では、地方行政のあり方は大きく変わりました。いや大きく変化しなければならないはずです。これまでは政府のいうなりに中央行政の末端行政機関として地方行政の存在が曲がりなりにも許されてきました。単に原発問題に止まらず、フクシマ事故が地方行政のあり方に対して投げかけた問題提起は非常に深刻なものがありました。典型的には、その大部分が福島第一原発から30km圏外にある福島県飯舘村の村長のコメントです。彼はいいます。「いままで国のいうとおりにやってきた。それが村民の避難という事態にまで立ち至った。これまで国を信じてやってきたのに国に騙された」

 地方自治体の最高責任者として「国に騙された」で済まされてはかないません。飯舘村の村長が国に騙されたのなら、それは騙した国よりも騙された飯舘村の村長により大きな責任があります。住民の立場からすればそうなります。なぜなら、飯舘村の住民の生命・財産、一言でいうなら生存権を守り抜く直接の最高責任者は飯舘村の村長、という役職なのですから。飯舘村の村長には大変気の毒な話ではありますが、少なくとも「ポスト・フクシマ時代」は、国のいうなりであってはならず、地方自治体といえども自ら調査研究し、住民の生存権は、第一義的にその自治体首長が守り抜くという姿勢を示してもらわねば困ります。少なくともそれが「フクシマ事故」から学んだ「ポスト・フクシマ時代」の地方行政の姿勢だ、といっても言い過ぎにはならないでしょう。

 この観点から見れば、広島市当局の姿勢は旧態依然たる「フクシマ事故前」の行政姿勢です。


主体性放棄・判断停止状態の広島市当局

 2つめは1点目の姿勢からくる必然の結果ですが、「原発問題はエネルギー問題」「エネルギー問題は国の専管事項」「よって地方自治体たる広島市は国の判断を見守る」「国は適切に判断してくれるだろう」とする主体性放棄の広島市当局の姿勢です。いわば判断停止状態にあるこの広島市の姿勢は、この市当局に私たちの生命・財産を預けて本当に大丈夫なのだろうか、という不安をいやが上にもかき立てます。

従って「広島市長も全く同じ考え、姿勢なのだろうか」という質問をぶつけてみたくなることとなります。広島市長に質問をしてみたい、と考える理由はもう1つあります。それは広島市長は私たちが直接選挙で選んだ存在だという点です。広島市民は、たとえば環境局温暖化対策課長を直接選任することはできません。が、広島市長は直接選挙で選ぶことができます。広島市長が不適切であれば私たちは直接広島市長を取り換えることができます。したがって広島市長に直接質問する行為は、私たちの選挙による選択は間違いがないかどうかの確認作業でもあります。

 こうした背景から私たちは質問書を提出したのです。


温暖化対策課登場の同義反復

 18日、質問書回答を受け取りに秘書課を訪れました。すぐに担当者に回答をもってこさせるというのでしばらく待っていると、なんと現れたのは広島市議会に市当局の「見解」を提出した当の担当部局「温暖化対策課」でした。

 「温暖化対策課の見解は本当に広島市長の見解なのか」という質問に対して、回答をもって現れたのが温暖化対策課なのですから、これは典型的な同義反復(トートロジー)です。(現れたのは温暖化対策課長の山崎孝通氏と直接担当者の福長賢氏の2名)そして課長が提出したのがこの回答書です。

 この時私たちの取り得る態度は幾通りかありました。1つは広島市長に対して上記いきさつで提出した質問書に対して、温暖化対策課長名でのこの回答内容では、回答になっていない、全くの同義反復であるとして回答書を受け取らないやりかた。2つ目は取りあえず話し合いをして、その上で判断するというやりかた。3つ目は「回答書」として受け取りその解釈はあとでする、というやりかた。結局2つめのやりかたを取ることにしました。

 市当局側は2名、私たち「結・広島」は代表の原田二三子と事務局の哲野イサクと網野沙羅の3名、それに秘書課長の岩崎氏がやや離れて立ったまま遠巻きにこれを眺めるといったいささか珍妙な光景で、話し合いとも交渉ともつかぬやりとりがはじまりました。やりとり自体は1時間半近くかかりましたが、かけた時間の割には内容は薄く、同じ問答の繰り返しが多く、以下要点だけを記します。


松井市長の回答なのかどうか不明確のまま

①これは松井市長の回答なのか?
 この回答書は温暖化対策課長名での回答となっているが、松井市長の回答なのかどうか、という質問に対して、対策課は「市役所は組織であって、市長に対する質問を担当部局名で回答することはよくあることだ。市長と担当部局は一体である」というものでした。

 これに対して「一般的に広島市長や広島市に対する質問に担当部局が替わって回答することはよくあることだし、そのこと自体は理解できる。しかし今回はそのケースに当てはまらない。担当部局の見解に対してこれは市長も同じ見解か?と問うているのが質問の趣旨だ。それに対して担当部局が出てきて回答するのでは、論理学でいう典型的な同義反復だ。このままは受け取れない。質問の成り立ちが理解されていない」と反論しました。

 これに対して山崎課長は「広島市長も同意見である」と捕捉したので、「松井広島市長も同意見という趣旨ならば、同義反復にはならない。それを文書化して欲しい。文書化の証としては、一筆手書きでいいので山崎課長名の前に“広島市長松井一實代理”と書き添えて欲しい」と迫りましたが、山崎課長はこれを拒否、あくまで自分名での回答書の形式を崩しませんでした。この回答が松井市長の見解であることは確認できましたが、文書化を断られたので、そのままとしました。


論点すり替えの回答

② 内容そのものが質問の回答になっていない。
 「私たちの論点は“伊方原発3号機再稼働問題”であって、しかも広島市民の“生存権”問題として扱っており、その角度から質問をしている。これに対してこの回答の構造は、伊方原発3号機再稼働問題という論点にはまったく触れず、構成としては“伊方原発3号機再稼働問題”は“原発問題”、“原発問題はエネルギー問題”“エネルギー問題は国の専管事項”“広島市は国のエネルギー政策を見守る”という流れになっている。原発問題が“エネルギー問題”という論点がありうることは理解できる。しかしこの質問書はその視点から論じていない。つまりこの回答は論点をすり替えている。論理学でいう典型的な“論点すり替えの詭弁の誤り”を犯している。質問の論点についてはなんら回答していない」というのが私たちの立場。

 これに対して「質問の論点は理解している。だからこうして説明している。原発問題が広島市民の“安全・安心”を脅かす状態になれば、広島市として当然対応をとるが、現在のところその証拠はない」という口頭の回答が対策課の立場。

 「それはそれで結構だ。広島市の使う“広島市民の安心・安全”(これは繰り返しどこかで聞くフレーズですが)は私たちの“生存権”とほぼ同じ意味だと思う。質問の論点が理解されていて、広島市民の生存権が脅かされる状況、あるいはその恐れがある時には、広島市は独自に動くということあれば、その旨を回答に書いて文書化して欲しい。口頭で回答したんだから、文書にすることには不都合はあるまい」と迫ると、なぜかこれは拒否。
 文書上では「原発問題はエネルギー問題」という立場を一切崩さないという決意が固く、あとは繰り返しの押し問答。


原子力災害対策指針を自分の頭で読むかどうか

③ 広島市民は生存権の脅威にさらされているか
②の中の話で唯一論点がかみ合った話題があります。それは“広島市民の安心・安全がおびやかされているか、あるいはおびやかされそうな証拠があるか”という問題です。要するにこれは原子力災害対策指針と同じく規制委の公表した原発苛酷事故時の“放射性物質拡散シミュレーション”をどう読むかという問題に帰結します。私たちの指摘している問題でもあります。対策課の理解は、“国”なり“規制委”なりが、原発苛酷事故時に広島市が何らかの対策が必要だ、という明示がない、という点につきます。確かにシミュレーション自体作成した目的は、原発30km圏内を“原子力災害重点区域”とすることの妥当性を裏付けることにあり、広島市は30km圏外にありますから重点区域ではなく、従って原子力災害時の広域避難計画対象区域から外れています。しかし、広島市は30km圏外で、災害対策指針でいうOIL2(一時移転対象区域)となりうる蓋然性があることは、シミュレーションで示された「原発からの距離と被曝線量関係グラフ」から明らかです。

 しかし対策課は、「“広島市”の明示がない」、の一点張りで「従って“広島市民の安全・安心”が脅かされている、あるいはその恐れがある状態ではない」と主張します。思わず「そこまで国にいうなりなのか、自分の頭でモノを考えてみるという姿勢はないのか」となじったほどでした。それぞれの自治体が自分自身で調査・研究をし、自分自身で地域住民の「生存権」を守る、これが「ポスト・フクシマ時代」の地方自治体のあり方でしょう。後から「国に騙された」といってみてもはじまらないのです。ところが広島市の姿勢(恐らく全国の多くの自治体も)は、「フクシマ事故前」の姿勢と全く変化がありません。(この場合“国”とは単に日本政府を指しているのに過ぎないのですが・・・)もしこれが松井市政の根本的姿勢ならば(山崎課長の口頭での回答を信ずるならば、これが松井市政の姿勢ということになりますが)、“ポスト・フクシマ時代”にはふさわしくない極めて危険な姿勢、ということになりましょう。
 (なおこのやりとりの最中、対策課が“EPZ”という言葉を使ったので、対策課がいまだに古い原子力災害対策指針を使っていることが明らかになりました。現行の対策指針では“EPZ”という用語は廃止され、“UPZ外”と一緒に大きく括られています。お粗末な話です)


“安全基準”は慣用的に使用が許されている?

④“安全基準”という用語の妥当性
 さらに、対策課が広島市議会に示した「見解」の中で「国の動き」として安倍首相の言動を再三再四「安全基準」という言葉をそのまま引用して、市議会に報告している個所だけは、解釈の問題ではなく事実関係の問題だから訂正しておくべきではないか、と指摘しました。これに対して対策課は「安全基準」という用語の誤りを認めつつも、慣例として「規制基準」という言葉を替わりに「安全基準」という用語を使用することは認められている、と反論しました。しかしこれは大きな問題で「安全基準というと基準を満たせば原発は安全であるかのような誤解を生む」(田中原子力規制委員委員長)という理由でわざわざ正式に「安全基準」を廃止し、「規制基準」という用語に差し替えたいきさつがあります。広島市のような地方自治体、特に対策課のような担当部局は積極的にこうした誤解に基づく用語の誤った使用を訂正していく立場にあります。それが「慣例として許されている」という認識では、いかに担当部局が現在の規制基準なり原子力規制委員会規則なりを理解していないまま、この問題(原発の危険性)に対応しようとしているかを表しています。

 さらに「少なくとも、市議会に示した見解にはミスリードにつながる用語法があるのだから訂正ないしは注釈を加えるべきだ」と指摘したところ、「安倍首相の言葉を引用しただけで首相の言葉を訂正するわけにはいかない」との回答。それはもっともなことなので「それでは注釈を入れたらどうか」と提案すると「対策課は解釈は行わない」(山崎課長)との回答でした。「国の動き」として安倍首相の言動を中心にピックアップして議会に報告すること自体、1つの立派な解釈なのですが、このあたりにくると私たちは、対策課の詭弁(論点すり替えや先決問題解決の要求、同義反復など)に疲れてしまい、もう山崎課長の恣意的な言い分の追及を行おうとする気力すら失せていました。後は広島市議会がこの用語法を使い続ける広島市当局の姿勢を黙認するかどうかです。「ポスト・フクシマ時代の地方行政はどうあるべきか」という課題はなにも広島市当局にばかり突きつけられた課題ではなく、同様に広島市議会にも向けられています。

 結局私たちはこの回答書ならぬ「回答書」を書面で受け取り、詭弁に終始し、危機感の薄い広島市当局の現状を証拠立てる1つの資料として受け取って帰り、解説記事(すなわちこの一文)を添えて公表し、広島市民に警告を鳴らすことにしよう、と決めてやりとりをこちらから打ち切って広島市役所を後にしたのでした。

 ただ私たちのために多くの時間を割いていただいた関係各位には謝意を表します。いかに不毛と見えようとも対話・討論はすべての出発点であり、ソリューションへ向けての“偉大な母”だからです。


【後記】

折角「温暖化対策課課長」と話す機会なので、前々から抱いていた疑問「原発問題はなぜ温暖化対策課が担当部局なのか」という質問をしてみました。山崎課長の回答は、「環境問題はエネルギー問題と密接な関係がある、また、原発はエネルギー問題なので温暖化対策課が担当している」との回答でした。どうも釈然としない回答です。
広島市の原発問題に対する対応の仕方は、環境省の対応の仕方と極めてよく似ています。環境省においては、温暖化対策とは要するに「温室効果ガス」(CO2やメタンガスなど)をいかに削減するかという政策課題と同義です。原発は全くCO2やメタンガスを排出しないエネルギー手段として捉えられていますので、環境省にあっては原発推進は温室効果ガス削減の有力なエネルギー手段として位置づけられています。つまり環境省は本質的に「原発推進」なのです。広島市の原発問題のポジショニングが基本的に環境省と同じ、ということは、広島市もまた原発を温室効果ガス削減手段としてとらえており、だから担当部局が温暖化対策課なのです。つまり広島市の態勢は“原発推進”と考えられます。